7-92 コンクリート製の焚き火台
夜になっても未だ落ちず、尚も元味方基地にはためく帝国旗に、ペサック大将の歯軋りが悲鳴の様に喚き出す。
「何故落とせんのだ! 何故落ちんのだ! 勝ちは目前なのだぞ! 独裁者の尖兵ごときに苦戦する道理など無い筈だ‼︎」
「それは、兵力以外の全てに於いて敵が優っているからだ!」というのは、周りの幕僚の数人が推測した現状だ。
共和国軍に地の利は無く、士気も防衛側の方が勿論高い。極め付けは下準備無しで突っ込ませた事による連携の脆弱さが生んだ無駄な犠牲で、これさえ無ければ既に基地は落ちていた事だろう。
そもそも、基地から敵が撤退する予定だっただろう未来図を無理矢理ペサック大将が書き換え、不必要な戦いを強いられているという自覚が共和国兵達にも芽生え始め、長時間の戦闘の疲労と、仲間達の死際を目の当たりにし続けた事で、時間経過に比例して連携が改善されながら、士気が下降傾向にあったのだ。
「クソクソクソクソクソ‼︎ 兵士共が不甲斐無いばっかりに、俺の戦績の価値まで下がってしまう! 早く落とせ‼︎ 帝国兵を蹂躙しろ‼︎ 独裁者の尖兵共の血で大地を染め上げろぉおっ‼︎」
爪を噛み出し、最早、正気を失い始めているとしか言いようが無い総司令官の様子に、幕僚達も流石にやる気を喪失していった。
しかし、救いもあった。先程まで同じ様に正気を欠いていたマシー少佐が冷静さを取り戻し始めたのである。
自分と同じ症状の者を見て、客観的に自分を顧みる事が出来たのだろう。
これでペサック大将の正気も戻す事が出来ると喜んだ幕僚達だったが、残念ながら遅過ぎたと、落胆させられる事になる。
マシー少佐の持つ消火剤では足りない程に、ペサック大将の憤怒の炎が燃え広がってしまっていたのだ。
「俺とした事が……ペサック大将の手綱を握り損ねていたとはな……」
苦々しく拳を握り締めるマシー少佐。猛牛を暴れさせたらもう止まらない。下手をすれば、猛牛に寄生していた自分も無事では済まないだろう。
「せめて基地奪還さえ叶えば、プラスにはならずとも、マイナスにもならずに終えられる。早く落ちてくれれば助かるが……」
そう願いながら、夜空に雲無き雷鳴轟かせるルミエール・オキュレ基地を眺めたマシー少佐だったが、これはこの場の共和国兵全員が願った事だろう。早く落ちればそれだけ犠牲も減り、早く故郷への帰路へ着けるのだから。
当然、そんな兵士達の中にトゥールやジャンが含まれていたのは言うまでも無い。
「なかなか敵もシブトイ。司令官が防戦に専念させた結果だろうが……なかなかどうして、帝国軍にも良将は居るものだ」
敵の射線を建物の陰で遮りながら、トゥールは銃を構え、突撃の機を伺い、感嘆を
フライブルク中佐の部隊と遭遇し、東防衛戦へと戻らされたトゥール達だったが、味方自体が基地内へ浸透し、もう少しで防衛戦も崩せそうという中で、敵による決死の抵抗が続けられていたのだ。
「もう少しで、もう一度突破出来そうなのだが、そのもう少しが中々実現しない。しかもだ……」
「南に居た《剣鬼》が
ジャンの言葉通り、《剣鬼》が参戦して以来、東防衛戦の帝国軍の戦況は改善されていた。とは言っても好転迄は行かず、劣勢に変わりはない。
それでも、粘り強い抵抗が更に粘り強くなったため、共和国軍からすれば面白くもない。
「ブレスト少佐、他の戦線はどの様な感じだ?」
「通信では、南は以前突破すら叶わず、西は突破には成功しましたが、押し返されて以降、膠着状態だそうです」
「東のみが優勢、といった所か……」
「ですが、敵の兵力にも限りがあり、忍耐にも限度があります。最早限界でしょうから、もうそろそろ綻びが出るでしょう」
「それは有難いな……最早、
総司令官の暴挙とそれを止められなかった司令部に非難の気持ちはあるが、自分とて意見しに行かなかった責任はある。行った所で門前払いされていただろうが、行動に移しただけでも違った筈だ。
「ブレスト少佐、今回も付き合わせてすまんな。通信兵が足らんで困っとった」
「構いませんよ。どうせ、大した通信は要塞からの通信妨害で届きませんし、暇ですので」
巨大な通信装置を背負いながら、ヘッドホンを着け、司令部からの何かしらの命令に備えるジャンは、肩をすくめ、苦笑を
「要塞から何の連絡も無いのは、何も起こらない程に平穏という事ですから喜ばしい話なのですが……やはり、こうも暇なのも困りますね」
「俺としては羨ましいがな」
その時、真横に手榴弾が飛んで来たので、トゥールは素早くそれを拾い、敵に投げ返して、帝国兵一人に鉄片の雨を降らせた。
「俺達は前線でこんな仕事をし続けねばならん。敵が居る以上、暇など無いからな」
「通信兵も似た様なものですよ。通信がある時は暗号文の解読作業がありますし、敵の通信なら翻訳作業も含まれます。自分には
「軍人も仕事である以上、誰も楽など出来んか……」
互いに苦笑を
「トゥール少佐!」
「分かっとる! 総員、敵が崩れた! 俺に続け‼︎」
しかし、突如としてヘッドホン越しに聞こえたノイズに、彼は足を止めて耳を澄ます事となる。
『
聞こえる筈の無い敵本隊からの通信。要塞から通信妨害を掛けている以上、
「まさか……」
ジャンの脳裏にある予測が立てられた瞬間、【
『基地防衛中の味方に告ぐ。二一二八時を持って、"オリヴィエ要塞を奪取せり"。繰り返す、"オリヴィエ要塞を奪取せり!"』
この時、この瞬間、それは敵味方問わず、暗号化もされずに流された通信だった。
だからこそ、通信兵のほとんどがその帝国語で流れた報告を一言一句全て耳にしており、即座に近くの味方に伝えられた。
"オリヴィエ要塞陥落"。大戦開始以来、一度も落とされなかった五つの要塞の一つ。共和国最大の防衛拠点。
それが落ちた。
歴史的瞬間、歴史的勝利、歴史的敗北。
そんな耳を疑う情報が戦場を駆け抜け、敵味方皆同時に遥か先に小さく見えるオリヴィエ要塞へと視線を向けた。
そこには、空を橙色に染める、内部に炎を揺らめかせたコンクリート製の焚き火台が、ただひっそりと佇んでいた。
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