7-91 白き思考

 戦端が開かれて数時間が経過し、空の色は黒混じりの黄金色へと変わっていた。


 戦況は共和国軍の有利。あと少しで基地を奪還出来るという状況で、そのあと少しを敵の粘り強い抵抗で食い止められていた。



「何故、まだ基地を奪還出来んのだ! 兵力は此方こちらの方が圧倒的なんだぞ‼︎」



 夜になりかけ、朝から始められた戦いが黒染の絵師到来まで続けられていたという現実。敵の何倍も居る味方が押し切れないでいるという事実。それ等の目前に鎮座した不快な光景に、ペサック大将の奥歯がガリガリと騒ぎ出す。



「何たる無様な有様だ! これが我等が偉大なる共和国の軍隊か? この俺が率いている軍隊か? そんな筈あるかぁあっ‼︎ 貴様等の実力がこんな筈あるかぁあっ‼︎ もっと真面目に戦えぇえええっ‼︎」



 ヒステリックに喚き散らす総司令官。この光景を見れば、「無様な有様なのはお前だ‼︎」と、共和国兵達は思った事だろう。


 彼等とて真面目にやっている。かつて自国の拠点だった基地を奪還すべく必死で戦い続けているのだが、それは敵とて同じ。


 帝国軍も同胞の屍を積み上げてまで手に入れた基地を必死で守っているのだ。


 何より、下準備の差が大きい。


 帝国軍はエルヴィンの助言から防衛準備を整えていたのに対し、共和国軍は真面まともな準備無しの行き当たりバッタリの烏合の攻撃。


 時間の経過と共に改善が見られたものの、防衛側の地理的優位と合わせ、帝国軍と共和国軍の総合的戦力比はほぼ互角、共和国軍の方が僅かに上という事態になっていた。


 しかし、僅かにも差があった。塵も積もれば山となるがごとく、戦闘時間の経過と共に、共和国軍の勝利が着実に近付き、帝国軍の敗北が目前に迫って来ていたのである。



「大隊長! 第五小隊壊滅!」


「残存兵を第一小隊に糾合し、負傷兵は下がらせろ!」


此方こちら、第二小隊……小隊長が……戦死、なさいました……」


「副隊長に指揮権を委譲し戦いを継続させろ!」



 数時間に渡り、昼食を食べる暇も無く、軽い水分補給のみで、指示を飛ばし続けるエルヴィン。表情に疲労によるヤツレが見て取れたが、他の銃を握り戦う兵士達と比べれば軽いものである。



「全員の体力と気力がもう限界値を振り切っている。これは、いつ決壊するかも分からない」



 緊張の糸一本でも切れたら終わり。ギャンブルに於いて勝ちの賽の目が六しか残されていない状況。



「戦力は半減。他の部隊も同様だろう。此処ここでこの部隊が全面崩壊なんて事になれば、それこそ東防衛線は壊滅する。援軍に来るべきで、判断は正しかったんだろうけど……個人的には来るんじゃなかったな」



 苦労とか疲労とか、面倒臭い事全般が嫌いなエルヴィンからすれば、こんな危機的状況も嫌いな部類に値する。軍人として戦場に赴く事自体、彼にとっては渋々なのだから当たり前だろう。



「誰かこっちに援軍をくれ‼︎」



 他の部隊から聞こえた警鐘で我に返ったエルヴィンだったが、此方こちらも手一杯。援軍など出せる余裕は無い。



「綻び始めた。いよいよ不味いな、コレは……」



 周りの状況把握を怠らせず、的確に近しい指示を飛ばし続けていたエルヴィンだったが、やはり個人の力では限界がある。津波が常に襲っているのを何とかき止めているが、自分達以外の部隊がやられ、一つでも穴が開けば、そこから一気に決壊する。


 もうすぐ夜。奇襲で無い以上、防衛側が有利となるが、再び陽の光を見る前に基地は落ちるかもしれない。


 勝ち筋が見えない。僅かでも良い、この先が見えない道に光が欲しい。


 基地内の帝国兵の誰もが抱く願いをエルヴィンも思い浮かべた時、今戦いに於いて最も聞きたくなかった部類の報告が届けられる。



「大隊長……」


「どうした?」


……」



 この瞬間、彼の思考は凍結した。


 思ったよりも感情が湧かない。悲しみが湧かない。ヴァルト村の戦いから大分経過して再会した相手で、それ程に密接な関係に無かったというのもあるかもしれない。


 しかし、そんな事を嘆く余裕は彼に無かった。それ以上に、彼の思考は現状悪化と言っても良い駆動を始めてしまっていたのである。


 先に話した通り、エルヴィンは指揮官としての能力は高く無い。平均程はあるが、それは仲間に支えられてようやく成し得る能力値である。代わりに指揮をってくれる者が居るという安心感により、彼は策略家としての能力を活用し、指揮官として存分に頭脳を生かせられるのだ。


 それがこの状況になり、ロストック中尉の戦死により崩壊した。代わりに指揮をれる士官が失われた。


 自分が死ねば部隊を纏める者が居なくなる。自分が間違えば部隊が危険に晒される。


 責任感とそれへの恐怖が精神的疲労で加速され、消化剤となって思考を動かす炎を消して行く。


 思考が止まり、冷え切り、先程まで頭にあった命令が、指示がどんどん消えていく。


 考えが消される。どうして良いか分からなくなる。何をしていたか分からなくなる。


 口が開かない、声が出ない、言葉が湧かない。


 不味い不味い不味い不味い‼︎


 口に手を当て、焦燥に駆られ、冷や汗が流れる。



「大隊長……?」



 此方こちらを心配そうに見詰める仲間達。自分が指示を出さなければ部隊が動けないのは分かる。分かっているのだ。


 なのに何をして良いか分からない。何を命じて良いか分からない。


 ただでさえ無理をしていた頭脳。疲労が祟り、一つの歯車が崩れただけで全ての歯車が動きを止めた。


 こうなれば最早、彼の策略家としての利点は機能を果たさない。



「駄目だ……どうしよう……どうする……どうする…………」



 いくら頭を動かそうと、いくら考えようと、思考は真っ白。視界が狭まっていく。


 色々と入って来ていた情報が遮断される。何より眠気が襲う。



「不味い……意識が…………」



 疲れ過ぎた。働き過ぎた。もう、身体が、心が、悲鳴をあげ、暗がりへと視界は暗転する。


 駄目だ眠い……眠い…………。


 エルヴィンの瞼が閉ざされ、脳の駆動が緩やかに減退していく。



「おいっ! 未だ倒れるな‼︎」



 背中を強く叩かれた事で現実に引き止められ、エルヴィンは襲ってくる眠気を振り払った。



「危なかった……危うく気を失う所だった……」



 もし、此処ここで自分が倒れていれば、それこそ仲間達を死なせかねなかっただろう。殺しかねなかっただろう。


 しかし、いったい誰が自分を叩き起こしてくれたのだろうか? エルヴィンは背後に居る人物へと振り返り、正体を見て目を丸くした。



「ガンリュウ少佐……⁈」



 南防衛線で代わりに指揮をっている筈の副隊長が、眼前に佇んでいた。



「ガンリュウ少佐、何故此処ここに⁈」


「こっちに余裕が出来たから、指揮をジーゲン、フュルト両大尉に任せて、一小隊だけ率い、最も危険な防衛線へ援軍に来ただけだ。その時に偶然、お前が倒れそうになっていたのを見かけたのだが……無理をし過ぎだな。知らぬ間に自分を追い詰めるのがお前の悪い癖だ」



 激励をし元気付けてくれているのだろう。いつものごとく無愛想なので分かり辛かったが、優しさは感じられ、エルヴィンの口元には笑みが浮かぶ。



「すまない……ありがとう。早速で悪いけど、指揮を任せても良いかい? 君も疲れているだろうけど……私は限界だ。十分……いや、五分だけお願いするよ」


「十分のままで構わん」


「南防衛線で、指揮をしながら剣を取って戦っていたであろう君に、余り無理はかけられない」


「なら、八分だ。五分では足らんだろう」


「……分かった、八分休む。その間に思考を回復させておくよ」



 腰を下ろし、壁に背を預け、吐息を吐いて気持ちを落ち着かせながら、エルヴィンは、刀を抜いて臨戦態勢に入るガンリュウ少佐を眺め、少し目を伏せ、ふと告げる。



「ロストック中尉が死んだ」



 一瞬、ガンリュウ少佐の眉が動いたが、臨戦態勢への動きを止める様子は無く、彼は刀を構えた。



「そうか……」



 ただ一言、簡潔にそう呟きながらも、声色は何処どこか寂しそうであった。



「もう少し、語らい合いたかった御仁ではあったな……」



 エルヴィンに背を向け、そう言い残したガンリュウ少佐。彼は後味に悲しき乾いた舌触りを残しながら、敵の下へと駆けて行った。


 そうして、僅かばかり仕事から解放されたエルヴィンは、ようやくロストック中尉の死に想いを馳せる事が出来た。



「ロストック中尉の家族に、彼が戦死した事を伝えないといけない。けど……そういえば、彼の家族について何も知らないな。住所も分からない」



 それぐらい方面軍司令部に戻れば簡単に調べられるだろう。しかし、そうまでしなければならない程にロストック中尉について何も知らなかった事に、エルヴィンは僅かに驚きを感じていた。



「カッセル少佐の下に配属されてから、ヴァルト村の戦いで共に戦った程度の仲ではあった。けど、命を預けあった仲だったし、何度も会話はした。作戦についてばかりではあったけど、友誼ゆうぎを結べる程には親密だった筈だ」



 なのに何も知らない。不思議と未だに悲しみも起こらない。


 自分は冷め過ぎているのだろうか? と、他者が死ぬ事に慣れてしまっているのだろうか? と思う程に冷静で居られる。


 実際、両者共になのだろう。いや、実感が未だに湧かないだけかもしれない。


 ただ一つ言える事は、彼について知ろうと思える程に、自分は関心が無かったという事実のみだ。


 周りを見れば、ロストック中尉の死を心の底から悲しんでいる仲間達が居る。中尉麾下きか第四中隊の兵士も居るのだから当然だろう。



「いつも私が仲間の死に悲しんでいるのは、そう思うように、自分を偽っているだけなのだろうか? ガンリュウ少佐やジーゲン、フュルト大尉が死んだ時、私は心の底から悲しめるのだろうか……? 本当は……誰に対しても、私は興味が無いのだろうか…………?」



 此処ここに至り、自分の精神が少しずつ壊れ始めている事に気付いてしまう。


 戦場は人を狂わせる。平静そうに見える自分も、結局は命の価値が塵の様に消えていく光景を目の当たりにし続け、命の価値を無意識に低く評価し始めているのかもしれない。


 そう考えると虚しさが湧く、寂しさが湧く、恐怖が湧く。



「私は……テレジアやルートヴィッヒ、アンナが死んだ時ですら、平然で居られてしまうのだろうか……?」



 今は大丈夫だろう。だが、未来はどうなるか。


 まるで心無く、何に対しても感情が刺激されなくなる気がしてならない。



「早く帰りたいな……。テレジアの御飯を食べて、ルートヴィッヒと笑い合って、アンナと語らい合いたい……」



 ホームシックになりかけ、弱音を吐いた自分に、エルヴィンは自嘲する。


 此処ここまで気が弱まっていたのかと、指揮官としてあるまじき行為だと、自分の脆さを再認識させられてしまったのだ。



「無様だな……」



 今の自分を評価した結果を呟きながら、エルヴィンは黄昏れる様に夜空を見上げた。


 この時、既に日は沈み、代わりに敵を照らす探照灯と照明弾による光源が現れ始める。


 決壊間近の基地防衛線。明日の朝には崩れそうな軋みを鳴らし続け、帝国兵達の耳に不快音として届けられる中、突然、戦場全ての通信機にノイズが走った。

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