6-57 ねずみ潰し

 エルヴィン達により暴動に加担したクライン市民が次々と捕まえられていた時、1人の男が突出した脅威を目の当たりにし、それへの危機感に後押しされ、冷や汗を流しながら全力で街を駆け抜けていた。



「クソッ! 聞いてねぇぞ! あんな化け物ルートヴィッヒが居るとか反則だろう‼︎ ボケカス団長め……後で馬鹿高いウィスキー奢らせてやるっ‼︎」



 ヴンダーへの潜り込みを命じた無精髭の団長に、男は上手くいかなかったもどかしさと合わさり怒りが湧いて来る。



「いや、奢らせるだけじゃ足らん‼︎ 街から逃げ失せれた暁には、あのジリジリ髭全部引っこ抜いてやる‼︎」


「その前に逃げ切れるかどうかが問題じゃねぇか?」



 男の前に、不敵な笑みを伴ったフライブルク軍の兵士が現れる。


 それに、男は足を止めると、苦々しく口元を歪めた。



「まったくもって最悪だ‼︎」



 男の前に現れた兵士。それは、ついさっき化け物の揶揄やゆしていた魔術兵、フライブルク軍最強ルートヴィッヒであった。


 ルートヴィッヒは剣を握りながらトントンと肩を叩くと、不敵ながら殺気混じりの視線を男へと送る。



「いや〜っ、まさか他にもモグラが居るとはねぇ……いや、こんな雑魚供をモグラに例えるのはモグラに失礼か……ネズミだな。そうは思わねぇか? さんよ」



 男、バンダナの男に、ルートヴィッヒのジョークを楽しみ余裕はない。何故なら、先程から向けられている殺気への恐怖と、彼から逃げられる隙が全く無かったからである。


 無口で何の返しもない男に、ルートヴィッヒは退屈そうに溜め息をこぼすのだが、ふと男は気付いてしまった。



「さっき、他にも、とか言ったな……それはまさか、他にも居た、って事か……?」


「ああ、居たぜ? 東門を開けようとしてた馬鹿供が何人か居たな……全員魔術師だったから面倒臭さかった」


「ソイツ等、どうなった……?」


「全員、俺がぶっ殺したよ? いや、1人、2人は捕虜にしたかな……?」



 それを聞いたバンダナの男の表情から、ほんの微かだけ残っていた余裕も消えた。


 街に潜り込んでいた他の者達。男とは関係がないから、おそらく別の傭兵団が送り込んだ奴等だろうが、東門の守備兵を殲滅できる程の精鋭達である事は予想できる。


 それが、目前の奴が1人で全滅させたのだ。この時点で間違いなく奴が化け物と呼べる事を再認識してしまったのだ。



「何でこんな辺境の小領主が治める街にお前みたいな奴が居んだよ。もう少し給料の良いとこ行けよ!」


「給料良いんだぜココ。ま、確かに他の領地に比べら少ねぇかもだし、割に合わねぇ仕事させるぐさいブラックだがな。モグラ叩きまで俺に押し付けんだぜ? いや、ネズミ潰しだったか……まぁ、何にせよ俺をこき使いやがんだよアイツはな」


「の、割には楽しそうに話すな……」


「あははは、そうだな! 楽しいんだよこの街は! 苦労やら何やら全部引っくるめてこの街で働くのは楽しい。だからよ……」



 ルートヴィッヒは今度は怒気をはべらせ鋭く男を睨み付ける。



「この楽しい遊び場を荒らす奴は誰だろうと許さねぇ‼︎ しかも、ダチまで傷付けられたんだ……その発端たるテメェは許さねぇ‼︎ なぁ? 扇動者さんよ!」



 バンダナの男。彼の仕事はクライン市民を暴発させ、ヴンダーの街を混乱させる事であった。

 そして、その隙に外の傭兵達が街を攻撃し、外的炎症及び内的炎症で街を疲弊させ、とすのが、無精髭の団長の算段だったのだ。



「あのクソオヤジ……ここで死んだら呪い殺してやる‼︎」



 扇動の結果もアッサリ鎮静化され、逃げようと思ったら化け物ルートヴィッヒにぶつかった。割に合わぬにも程があるだろう。


 そして、このままでは間違いなく死ぬ。目の前の化け物ルートヴィッヒに殺される。


 しかし、逃げようとして背中や横顔を見せた時点でも死ぬだろう。多分、他のモグラ、ネズミ供はココで殺されている。それ程までに奴には隙が無い。


 頭の中で考えを巡らせ、打開策を思案するバンダナの男。最早、残された道は1つしかなった。


 男は懐からナイフを取り出すと、身体強化を発動。戦闘の構えを取り、襲うタイミングを見計らう。


 これには、ルートヴィッヒも感嘆し、口笛を鳴らした。



「他の奴等はここで直ぐに襲ってくるか、尻尾巻いて逃げる馬鹿ばかりだったんだがな……実力差がわかる点、お前はネズミの中で1番優秀だ」


「褒めてくれて嬉しいが……逃してはくれんだろう?」


「無理だな。お前はココで殺す!」



 殺気を奏でる鋭い双眸は相変わらず、口元は不敵に笑うルートヴィッヒ。


 それに、実力差が分かっているバンダナの男は苦笑するしかない。


 しばらく互いに睨み合う両者。


 ルートヴィッヒは下手へたに動いて敵を見失い逃す事を恐れて、


 バンダナの男は下手へたに攻めて強烈な反撃が来る事を恐れて、


 それぞれ動けず、相手の一挙手一投足を警戒する2人。


 しかし、必然的にバンダナの男が先に動いた。


 ここは敵地。いつ敵の応援が来るかもしれない状況で長居するなど愚の骨頂。早々に逃げなければならないのだ。


 男はナイフを構えながらルートヴィッヒの懐に入ると、ナイフを逆手に持ち、相手の顎を目掛けて振り上げる。


 それをルートヴィッヒは顔を動かし横を掠めさせると、肩を叩いていた剣を斜めに振り下ろし、男の胴を狙うが、男はそれを背後に飛ぶ事で回避。しかも、去り際にナイフをルートヴィッヒの首目掛けて投げていた。


 ルートヴィッヒは飛んできたナイフを身体の向きを変え避けるが、男はまた懐から2本のナイフを取り出し、左手のナイフを逆手に持ち、また構える。


 再び膠着状態となった2人だが、今度は直ぐにバンダナの男が動き出す。


 そして、ルートヴィッヒに対し、右手のナイフで突きながら、避けた先を左手のナイフが襲い、また避けられたなら右手のナイフで突く。


 息付く暇無く襲ってくるナイフに、ルートヴィッヒはどれも軽々と避けながらも反撃する余裕はないらしい。


 それにルートヴィッヒは、何と、次に横から襲ってきた敵の左手ナイフを歯で挟んで受け止めた。


 奇抜にも程がある敵の解決策に僅かながら呆気に取られた男だったが、これが致命的であった。


 その止まった隙にルートヴィッヒは剣を横に振り、敵胸部を斬り付け、彼の顔に血飛沫が飛ぶ。


 しかし、僅かに避けたのか致命傷ではなく、男は左手からナイフを離し背後に下がるが、それをルートヴィッヒは読んでいた。


 事前に足を突撃態勢にしていたルートヴィッヒは、退いて行く敵を追い掛けながら、右から左から上から下からと剣戟の応酬を始める。


 男はそれを右手ナイフでいなしながらも避けきれず全身に切り傷が出来ていく。


 これでは負けると思った男は駄目押しでナイフを敵の目を目掛けて投げ、ルートヴィッヒも顔を動かすだけでは避けきれないと判断し背後に下がる。


 その隙に男もルートヴィッヒから距離を取り、態勢を立て直そうとするが、最早この時点で勝敗は歴然だった。


 汗ひとつ掻かず余裕なルートヴィッヒと、全身傷だらけ満身創痍のバンダナの男。


 最早、男が勝つなんて事はあり得なかった。



「何だ? もうお終いか? 呆気ねぇな!」


「うるせぇ! お前が強過ぎんだよ!」



 本当にルートヴィッヒは強過ぎた。並なら死んでいる筈の攻撃を余裕で防ぎきっているのだ。多少なりとも戦いに興じて来た者からすればプライドがズタズタにへし折られるだろう。目下、その1人がバンダナの男なのだが。



「クッ、不味ぃなぁ……こりゃ勝てねぇ……」


「何だ? 潔く諦めるのか?」


「冗談! 死にたくねぇから諦めねぇよ!」



 最早勝てないのは分かっている。しかし、バンダナの男はまた懐からナイフを取り出す。これが、最後の1本だ。


 このナイフが消えればもう男に武器は無い。だが、彼には未だ秘策があった。



「さて、そろそろ終わりにすっかねぇ……もう俺が勝つのは見えてんだ。パッパと殺すか」


「悪いな……まだ俺は死ぬつもりはねぇ……」


「何だ? 何か隠し球があんのか?」


「さて、どうかな……?」



 強がりにしか見えないがルートヴィッヒの警戒は強まった。

 この時、ふと頭の中で何かが引っ掛かったのだ。


 そして、そんな引っ掛かりを取り払う機会を与えぬように、バンダナの男がナイフを構えて突っ込んで来た。


 ルートヴィッヒはそれを迎え撃とうと構え、眼下に迫った敵目掛けて剣を振り下ろす。


 バンダナの男。その脳天を剣が斬り裂こうと迫った瞬間。


 男が突然、目の前から消えた。



「何ぃ⁈」



 驚愕に目を見開くルートヴィッヒだったか、瞬時にある可能性に至り、背後を振り向いた。


 彼の視線の遥か先、そこを消えたバンダナの男が此方に背中を向けながら走っていたのである。


 そう、彼はスキル持ちであり【瞬間移動】を使えたのだ。


 スキル【瞬間移動】は一定範囲内の場所に瞬時に移動できる能力だが、移動範囲も狭く、簡単に連発出来ない性質上、最初に使っていれば警戒していたルートヴィッヒなら直ぐに追い付けた。


 しかし、戦いと、勝利必至の結末をルートヴィッヒに見せて油断させ、絶好のタイミングでスキルを使いバンダナの男は逃げたのだ。


 その後、直ぐに追おうとしたルートヴィッヒだったが、結局男を見失い、悔し気に顔をしかめ首をさすった。



「クソッ! よくよく考えりゃあ気付いた事だった。周りを城壁に囲まれ、兵士が監視するなか奴はどう街から逃げ失せる気だったのか? 何かスキルがあると分かっただろうに‼︎ あああああああああああっ‼︎」



 唸り、叫びながら、憤りのあまり頭を掻き毟るルートヴィッヒ。そして、彼は頭から手を離すと、夜空を見上げた。



「アイツにどう釈明しよう……」



 デレジアを誘拐されそうになり、アンナを傷付けられ、怒り心頭のエルヴィンを思い、頭を悩ませ、ルートヴィッヒは黄昏る。このまま戻ったら間違いなくブチギレられそうだったからだ。


 しかし、この時、既にエルヴィンの怒りは鎮静化されており、結局は御咎め無しのなるのだが、そんな事を今のルートヴィッヒが知る由は無い。

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