6-56 エルくんへ
突然現れたアンナ。手術後直ぐなのだろう。患者用の薄い手術衣を身に纏い、少し辛そうに冷や汗を流し、顔をしかめている。
いや、あれだけの傷をこんな短時間で治せる訳がない。おそらく応急処置程度しかしていないだろう。
「アンナ! 何でココに居るんだ⁈ 動ける身体じゃないだろう!」
先程の沈着さが消え、銃も下ろし、動揺するエルヴィン。それに、アンナは優しく微笑する。
「言ったじゃないですか……貴方のやる事全て事前に教えて貰うって。だから聞きに来たんです。エルヴィン、今から何する気でしたか……?」
「今はそんな事言ってる場合じゃ!」
「そんな事言ってる場合ですっ‼︎」
鋭く突き抜ける言葉。彼女の目は真剣そのもので、表情には僅かに怒りが見え始める。
「エルヴィン、貴方は今……あの日、テレジア様が誘拐された日と同じ事をしようとしましたよね?」
「そうだよ。彼等はそれだけの事をしでかした。少なくとも、私にそうさせる起爆剤を堂々と振り掛けてきた。ならば、それに端を発する炎で焼け死ぬのは自業自得、当然の報いだろう?」
「エルヴィンの怒りは尤もです。ですが……やめて下さい」
「そんな事をしても無意味、君達が喜ぶ訳じゃない。とでも言いたいのかい? 私はそんな善良な理由でこんな事をしでかす訳じゃない。私自身、こうしなければ怒りが鎮まらないんだよ」
エルヴィンは暴動者達をより一層の殺気を織り交ぜ睨み付ける。
「私はね……悪意には悪意で返すべきだと思ってる。悪意で動いた奴等が善意で許されるなどあってはならない。善意で許す程度で、悪意が無くなるなんてあり得ないからね。過去、どれだけの人間が、それにより再び解き放たれた悪意の犠牲になったか…………」
拳が握られ、奥歯でガリッと音が鳴る。
「だから見せしめに俺の悪意で苦しめ、それを晒す! 俺達に悪意を向けた者がどうなるか脅し、他の奴等が悪意など抱かないよう、その種を徹底的に潰す! 領民や部下達やテレジア、それに君がこれ以上悪意に害されるのを何としてでも阻止する! その為にソレ等は絶対に殺さなければならない‼︎ だから殺す‼︎」
怒りに歪められた形相に、捕らえられ身動きの取れない暴動者達は恐怖で震えあがる。
最早、エルヴィンには殺すという選択肢しかない。許すという選択肢がない。
確かに彼等は反乱、叛逆に等しい行いをした。1時代前から一族郎党皆殺し、今でもその選択肢が残っている事を彼等はしでかした。
今からエルヴィンがしようとしている事も、どちらかと言えば軽い制裁なのだ。しかも、再発防止の為の合理的な制裁でもある。
領主としては正しい選択の1つのなのだろう。
しかし、エルヴィン・フライブルク。彼の選択としては最悪だった。
「エルヴィン……いいえ、エルくん。今から話すのは領主としての貴方ではなく、1人の青年としての貴方だから、前みたいにこの呼び名を使うね?」
「何だい、いきなり……?」
「エルくん。今の貴方は本当にエルくん?」
「何を言ってるんだい? 私は私だよ」
「違うよ。貴方はこんな事しない。今の貴方は怒りだけしか見えてない、只の憤怒の権化だよ」
「それはそうだ。怒っているからね。それに……私は領主だ。領民に舐められてはいけない存在なんだよ。だから、ある程度は冷酷にしないと……」
「わたしは領主のエルヴィンじゃなくて、只の青年エルくんに聞いてるんだよ。領主という立場で誤魔化すのは止めて。今の貴方は自分の怒りを冷酷と履き違えているの。証拠にほら、周りを見てみて」
アンナに促された通り、周りを見渡し始めるエルヴィン。そして、彼は
彼が見たもの。それは、
こんな事態を未然に防げず、後悔するように苦々しく拳を握り締める兵士達。
あの日の再来と嘆く男爵領民達。
何より、自分を見詰める瞳に、畏怖と恐怖しか写されていないクライン市民達。
そう、今からエルヴィンは悲劇を作り出そうとしていた。
悲しみしか生まぬ悲劇を作り出そうとしていた。
それ等を殺せば、当然彼等は死ぬ。そして、彼等の家族は未亡人や孤児となるだろう。
怒りの感情に任せ殺すには、あまりにも悲劇的過ぎる結果を生んでしまうのだ。
「これでも、貴方はこの人達を殺すの? 晒し者にするの? 本当に、こんな下らない事で罪を背負って良いの?」
彼等を怒りに任せて殺すのは簡単だ。そうすれば今の気分は晴れ、自分の恐怖を知らしめる事は出来るだろう。
しかし、暫くして殺された者達の子弟はエルヴィンを恨むようになり、また大きな火種を生む事になる。今回の暴動が可愛く思える程の。
何より、怒り任せに殺してどうなるのか。自分の怒りを鎮火する事にしか利が無いではないか。
下らなかった。人を殺す理由には、虐殺をする理由にはあまりに下らなかった。
頭を巡る考えに、正当性に、エルヴィンの怒りは消えていく。そして、いつの間にか銃が腰のホルダーへと仕舞われた。
「やれやれ……私も血の気が多いらしい……」
反省するように、頭を掻きながら苦笑するエルヴィン。その姿はいつもの少しだらし無気なものに戻っていた。
「アンナ……皆んな……見苦しい所見せた。すまない……」
アンナや兵士達に頭を下げるエルヴィン。それに、皆んなは笑みを浮かべ、笑いを
「いや、スッキリはしましたよ。俺達の怒りも限界だったんでね……」
「しっかし、やっぱ領主様は怒ると怖いですねぇ……俺達も気をつけよう」
「まっ、これで一件落着っと、がははははは!」
先程の緊張感が嘘のように、笑い、笑顔を浮かべるフライブルク兵士達に、暴動者達は安堵する。
「よ、良かった……助かった……」
吐息を
しかし、それをエルヴィンはまた冷たい瞳で視線を向ける。
「一応、言っておくけど……次、こんな真似したら、今度こそは殺して死体を晒す。覚悟しろ」
また向けられた強烈な殺気。それに、暴動者達は寒気を走らせ、否応なく頷かされる。
半強制的に暴動者達を納得させたエルヴィンは、また苦笑を浮かべると、アンナへと向き直った。
「まったく……君はどれだけ私に人殺しをさせたくないんだい? 君も知っての通り、私の手は既に真っ赤だよ?」
「それでもです! 貴方が人を殺す姿は見たくありません。それに……私には人殺しを禁じおいて、私が貴方に人殺しを禁じさせるのは駄目、なんて、不公平でしょう?」
「あははは……痛い所を突かれてしまった……」
乾いた苦笑を
その時、アンナの身体からガクリと力が抜け、支えていた兵士は軽くしゃがみながら彼女を支え、エルヴィンは直ぐに彼女へと駆け寄った。
「アンナ、やっぱり無理して来たね? 早く戻ってちゃんとした治療受けないと!」
「わかってます。直ぐに戻ります」
兵士と共にエルヴィンがアンナを支えると、彼女は少し嬉しそうに口元を綻ばせた。
想い人に心配されている自分。不謹慎にもそれが嬉しかったのだ。
そんな背中を、テレジアが羨まし気に、眩しそうに、悲しさ気に眺めている事にも気付かずに。
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