6-53 凍える空気

 クライン市民の前に立ち塞がったルートヴィッヒ達。市民達によるものと思われる2つの所業に、全員の怒りが沸騰する。



「おいっ、お前等……自分達が何やったのか分かってんのか? 我等が領主の妹を誘拐しようとし、あまつさえ俺達の仲間を傷付けた。到底許せるものじゃねぇぞ?」



 辛うじて怒りを抑え込み告げるルートヴィッヒ。それを刺青の男は嘲笑う。



「待遇を改善しない貴様等が悪い。それに、そこに転がる女は同胞に銃口を向けたのだ。自衛の為だ、死んで当然だろう」


「ソイツはな、非人道的な命令には非従順だが、人道的な命令には俺達の誰よりも従順だ。だからな、お前等市民に対し、ソイツが銃口を向けるなんてありえねぇんだよ。……余程の事が無ぇ限りはな!」



 ルートヴィッヒはテレジアを掴む男を殺気を込めて睨み付け、彼を震え上がらせる。



「で、お前等……最終勧告だ。そこの女の子を離せ。解放しろ!」


「嫌だね。待遇を改善するなら考えてやるよ!」


「そうか……」



 場の空気が一気に張り詰める。ここまで無下な対応をされれば、最早ルートヴィッヒ達に怒りを抑える理由が消える。



「ルートヴィッヒもう良いだろう‼︎ 奴等を許す理由など無い筈だぁあっ‼︎」


「わかってる……俺も止める気はないし、何より……」



 ルートヴィッヒはかつて無い程の怒気と殺意に満ちた双眸で市民達を睨み、拳を血が滲む程に握り締める。



「あのカス供は今すぐ殺す! テレジアちゃんをどう助け出すか算段は立てた。もう良い……」



 ルートヴィッヒは剣を鞘から抜き、切っ先を敵へと向ける。



「妹君救出を最優先‼︎ 救出し次第奴等を皆殺しにしろっ‼︎ 良いか! 必ず1人残らず殺せぇえっ‼︎」



 最早後戻りなど出来ないだろう。クライン市民とフライブルク軍の亀裂は最早致命的。男爵領民にとってクライン市民はもう害虫であった。


 ルートヴィッヒ達は全員が剣を抜き、殺気を向け、身体強化を発動する。


 クライン市民も彼等を迎え撃つべく武器を構え、最悪人質に出来るようテレジアに刃を向ける。


 膠着状態が続きながら睨み合う両者。そんな中、怒りに苛まれながらもルートヴィッヒには冷静だが焦りがあった。


 早くコイツ等を殺さねぇと不味い。じゃねぇと、あの時の二の前だ!


 ルートヴィッヒはテレジア救出を急ぐべく、目前の害悪供殺害を急ぐべく、剣構え、突入態勢に入り、均衡を破る。



「全員、突げ、」


「ねぇ……これはいったい、どういう状況だい……?」



 その瞬間、その声を聞いた瞬間、ルートヴィッヒは絶句し、額から冷や汗を流し、動きを止める。


 最悪のタイミングだった。最悪の人物だった。


 来て欲しくなかった。見せたくはなかった。


 ルートヴィッヒは苦々しく顔をしかめながら、声の主へと振り返る。



「エルヴィン……」



 テレジアの兄にしてアンナの友。この街の最高権力者、エルヴィン・フライブルクがそこに居た。



「ねぇ……これはいったい、どういう状況かって聞いたんだけど……」


「…………」



 先程の怒りが消失し、言い淀むルートヴィッヒ。


 この時、エルヴィンの右手には壊してしまったアンナの髪飾りが握られ、破片が刺さりでもしたのだろう、そこから血がポタポタと落ちている。


 しかし、尚もその手は緩まない。逆にドンドン握る力が強くなっていく。



「ルートヴィッヒ、もう1度聞くよ? これはいったい、どういう状況なんだい……?」



 段々と凍え行く空気。実際に温度が下がっている訳ではない。只、ルートヴィッヒ等フライブルク軍の兵士達は、皆、凍ったように固まりながら冷や汗を流していた。


 そして、そんな凍え行く空気に耐えきれなかったらしく、ルートヴィッヒは口を滑らせる。



「クライン市民の暴徒がテレジア様を誘拐、それを救出しようとしたアンナが、市民の抵抗により…………重傷」



 聞き終えたエルヴィンは、クライン市民の背後で倒れて血を流す少女へと目を向けた。


 綺麗な森人エルフの少女。少し毒舌な少女。隣でいつも笑っていた少女。


 "エルヴィンにとって、とても大切な少女"


 そして、エルヴィンは只歩き出す。


 クライン市民に向け、テレジアに向け、彼は歩き、刺青の男が彼の前に立ち塞がる。



「これはこれは領主様。この女を取り戻しに来たのですか? 返して欲しければ俺達の待遇を……」


「退け」



 男など眼中に無く、只デレジアを見詰めるエルヴィン。それに、刺青の男は不快気に顔を歪める。



「テメェ、自分の状況わかってんのか? 良いから……」


「退け」


「貴様ぁあっ‼︎」



 刺青の男がエルヴィンの胸ぐらを掴み、彼の顔を怒りで凝視する。


 しかし、怯え始めたのは男の方であった。



「退けよ……邪魔だ」



 エルヴィンが男に向けた瞳。それは余りに冷たく、余りに恐ろしく、余りに無情であった。


 それに刺青の男はエルヴィンから手を離すと、彼が通るのを黙って許し、彼の背後をルートヴィッヒ達が付いていく。


 その後も、領主を捕まえるチャンスでありながらズラズラと彼の道を開け続けるクライン市民達。


 結局、テレジアの下までの道を許し、彼女を捕まえていた者までアッサリと手を放し、離れていく。



「兄、さん……?」



 空虚な光が消えた瞳で彼を見詰めるテレジア。すると、段々と彼女の瞳に光が戻り、また溢れんばかりの涙が浮かぶ。



「ごめんなさい……兄さん、ごめんなさい……私の所為で、私だけ所為で! アンナさんが! アンナさんが‼︎」



 エルヴィンに抱き着き、彼の胸に止まらぬ涙を滲ませるテレジアを、彼はそっと抱き、優しくその頭を撫でる。



「テレジアの所為じゃないさ……全て私の所為さ。私にはクライン市民への対応か遅れた責任があるからね。早く対処していればこんな事にはならなかった……」



 テレジアを抱くエルヴィンの力が強まり、彼女を守るようにギュッと抱き締める。


 そして、ふと彼女から手を放したエルヴィンは、次に、倒れるアンナへと向かい、その側でしゃがみ込むと、着ていたベストを脱いで彼女の背中に止血するように被せ、そのか弱い身体を仰向けに抱き上げた。



「エル、ヴィン……?」



 薄く目を開き、弱々しい声で彼の名を呼ぶアンナ。彼女は申し訳なさそうに目を伏せる。



「すいません……テレジア様を、守りきれま、せん、でした…………」


「大丈夫、私達が救出したよ。あのルートヴィッヒとね」


「そう、ですか……良かった……」



 最後まで他人を心配し、他人の事で笑ったアンナ。彼女はまた静かに瞳を閉じる。気を失ったのだ。


 その瀕死ながら満足気な綺麗な笑みを浮かべる少女の顔を眺めながら、エルヴィンは背後のルートヴィッヒに視線を送る。



「コブレンツ隊長」


「はっ!」



 この瞬間、エルヴィンが役職名を告げた瞬間、ルートヴィッヒの脳裏を苦々しさが支配する。



「暴動に加担したクライン市民を1人残らず捕らえろ。良いか、殺すなよ? 全員生きて捕らえろ」


「はっ!」


「一様言っておく……これは御願いでも、指示でもない、だ! 肝に命じておくように」



 そう言い残し、東門へ去っていくエルヴィン。その背中をルートヴィッヒは悔し気に見守った。


 エルヴィンは瞬時の判断が求められる時以外は基本、命令という言葉を使わない。大抵が御願いだ。


 相手を縛るのが嫌いな彼は、強制的に相手を働かせる事が苦手なのだ。


 しかし、今回、彼は命令と言った。それ程に、彼の怒りは尋常ではなかった。


 そして、その命令を、ルートヴィッヒ達は聞きたくなかった。


 命令という言葉こそ、2年前テレジア誘拐の時に使われた言葉と全く同じだったからだ。


 "あの忌まわしき、エルヴィンが非道に満ちた日と"

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