6-52 流れる赤

 テレジア目掛けて迫るクライン市民。それにアンナは、真っ先に迫った男の腹部に小銃のグリップを強烈な打撃と共に食い込ませる。


 次にその背後にいた市民には銃口を突き付け、撃たれると思い込ませ、怯んだ所を足を払って地面に倒し、こちらの腹部にも強烈な一撃を浴びせ気絶させる。


 その後も、迫る市民を払い、投げ、叩き、突くアンナ。軍で訓練されているとはいえ、力で勝る男達をアッサリ倒していくのは、相手の力を利用する、合気道にも似た動きによるものだろう。


 彼女にかかれば、中堅魔術師までなら1対1で勝てる程、というのが仲間達の評価であった。


 次々と華麗に市民達をあしらい、倒していくアンナに、刺青の男は歯軋りをする。



「女1人に何手間取ってやがる‼︎ さっさとぶっ倒せぇえっ‼︎」



 刺青の男の勢いに押され、苛烈な数の応酬を開始するクライン市民。それをアンナは、過剰な怪我を負わせないよう、いなし、撃退していくのだが、やはり数が多過ぎて、疲労の蓄積と集中力低下によりさばききれなくなって行く。



「不味い、このままだとテレジア様に……」



 顔をしかめ、テレジアを確認し、守りながら戦うアンナ。


 しかし、彼女の横を数人の男が素通りする。防ぎきれなかったのだ。



「しまった!」



 苦々しくテレジアの方を振り返るアンナ。その先では男達がテレジアの腕を強引に引っ張り連れて行こうとしていた。



「コッチに来い!」


「嫌だ! 放して‼︎」



 男の手を振り払おうと抵抗するテレジア。しかし、相手は自分より力の強い男。ジジリと引きずられていく。



「テレジア様‼︎」



 テレジアを助けに行きたいアンナ。しかし、下手へたに動けば辛うじて防いでいる分の市民に背後を襲われる危険がある。


 だから、ここから彼女を助けなければならない。


 そう考えた時、手元にある物をアンナは思い出した。


 彼女は今小銃を握っている。遠くの敵に攻撃できる銃を持っていたのだ。


 クライン市民に銃を使うのは御法度だ。しかし、このままではテレジアの身が危ない。


 2つのリスクを天秤に掛けた時、アンナは銃口をテレジアの腕を掴む男へと向けていた。正確には男がテレジアを掴んでいる手の腕をである。


 アンナの人差し指が引き金に掛かり、ふり絞られた瞬間、弾丸が飛び、男を目指し、


 彼の腕を掠めて通り過ぎた。


 射撃の天才たるアンナが外したのである。


 普通ならそんな事はあり得ない。


 しかし、アンナを見るテレジアの表情。その双眸が恐怖の混じりに、驚愕に見開かれていた。


 テレジアの視線の先、アンナの背中には、刺青の男が投げた斧が痛々しく刺さっていたのである。


 それにアンナは、小銃を足下に落とすと、口端から血を流し、脱力と共に地面に倒れた。


 彼女の背中から暖かい血が流れ出し、赤い泉を作り出してく。



「アンナ、さん……?」



 目の前の光景。姉の様に慕った存在。彼女の身体が血で染まっていく。深い傷を負って赤くなっていく。


 正に死。死を表す姿となりゆくアンナに、デレジアは両目を見開いたままへたり込み、全身から溢れる恐怖に支配された。



「いやぁあああああああああああああっ‼︎」



 男に腕を掴まれながら、テレジアは空いた手を血の泉に囲まれゆくアンナへと縋るように伸ばす。



「アンナさん‼︎ アンナさん‼︎ 返事して‼︎ いやぁっ‼︎ いやぁあっ‼︎」



 倒れる森人エルフの少女に目もくれず、クライン市民はその横を通り過ぎ、テレジアを囲むように集まってくる。

 そんな人集りに視界を遮られながら、尚もテレジアの手はアンナへと伸ばされ、流石に男もウザがり始めた。



「いい加減にしろ‼︎ 黙らねぇと怪我ぐらいはさすぞ‼︎」



 鎌をテレジアの喉元へ突き付ける男。それに、彼女の脳裏にあの日の事が思い出される。


 数年前、強盗捕まり、犯されそうになった日の事を。その時の恐怖を。


 その瞬間、テレジアは完全に黙り込み、両目からは溢れんばかりの涙が流れ出す。


 アンナは瀕死の重傷を負い、今自分は悪意ある者達に連れて行かれる。あの日の様に。



「いやだ……何で? ……何で? ……わたし、何も悪い事してないのに、わたし、ちゃんと皆んなの為に働いたのに……何で? ……もしかして、知らない間に、わたし何か悪い事しちゃったの……?」


「そうだな。お前の存在その物が害悪だ」



 突き付けるように刺青の男が告げると、アンナに刺さった斧を抜き、それに付着する血を地面に滴らせながらテレジアの目の前にしゃがみ込む。



「給仕だボランティアだと、お前は人の為に働いたと思い込んでるが、そりゃ間違いだ。お前がやってるのは自己満足。お前等貴族はなぁ……存在自体が人を傷付ける害毒だ! 貴様が存在し続ける限り、不幸になる人間は増え続けるんだよ‼︎」



 刺青の男の言う事は支離滅裂だった。


 しかし、この時のテレジアにはカチャリと噛み合ってしまう。


 テレジアが兄妹の両親を探すとワガママを言わなければ、こんな事態にならなかった。


 兄妹達が恐怖に怯え、リューベックが疲労に苛まれ、アンナが瀕死の重傷を負う事はなかった。


 そして、あの日、あの地獄の日、テレジアが捕まりさえしなければ、兄が"あんな事"をする必要もなかった。


 そうだ、全てわたしが招いた事だ。わたしが招いた傷なんだ。


 わたしさえ居なければ、こんな悲劇はなかったんだ。


 そう思う内、テレジアの瞳から光が消える。



「そうだ……わたしさえ居なければ……」



 もうどうでも良い。死んでも良い。いや、死ぬべきかもしれない。


 そう彼女の頭は支配されていき、その様子に刺青の男がニタリと笑う。



「安心しな。今回はお前が役に立つ。精々、俺達の為に働いてくれや」



 刺青の男を皮切りに周りのクライン市民が笑う中、テレジアは男に無理やり立たされ、歩かされる。


 血に濡れた森人エルフの少女を背に、彼女は只歩いて行く。



「よっし! これであの領主に待遇改善を!」



 クライン市民が希望に花開かせた時、彼等の希望は儚く散らされる。


 眼前に怒りの形相で待ち受けるフライブルク軍魔術師8人と、異常な殺気を放つルートヴィッヒが、クライン市民を待ち構えていたのだ。

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