5-幕間 不幸な少年
子供時代、彼の人生が幸せであったなどとは、口が裂けても言えないだろう。
彼は、まだ言葉も喋れない赤ん坊の時に、両親に捨てられた。
理由は謎であるが、おそらくは金銭的問題か、ロクでもない理由なのだろう。
彼が捨てられたのは、貧民街の孤児院であり、彼が服装も貧困を模ったボロボロの服だったからだ。
そして、親を知らずに育った彼は、その貧民街の孤児院で育つ事になったのだが、そこの環境もまた劣悪であった。
建物はボロボロ、部屋も道具もボロボロ、服もボロボロで、食事も味という概念が皆無の量も少ないスープやパン。
これでは足りない子供は、庭に生えた雑草で飢えを
更に、孤児院の大人達からは、関係無い苛立ちの
正に生き地獄と呼べる生活、そんなものに
彼を含め、この孤児院の子供達の目は、光なく死んでいった。
彼等の人生の先に光は無く、あるのは果てのない暗闇だったのだ。
ある日、彼に不思議な事が起きる。
突然、見えていない、死角となっている場所に存在する物の姿、型、動作が何故か分かるようになった。
更に言えば、自分を中心とした一定範囲内の物の位置や形がクッキリと頭に浮かぶのだ。
これが世に言う"スキル"と呼ばれる物の一種で、彼は"【探知】"のスキルに目覚めたのである。
貴重なスキルに目覚めた彼だったが、それは瞬く間に孤児院全体に知られ、大人達にある欲望を抱かせた。
彼を金持ちに売って儲けようなどと考えたのだ。人身売買である。
スキルを持つ者は貴重であり、魔導師よりも少ないとされる。
つまり、貴重なので高く売れるのだ。
輝かしい欲に遭遇した大人達。しかし、その欲が彼等を滅ぼす結果となった。
売られる事を知った彼によって、欲を持った者全員が惨殺されたのだ。
夜、大人達が寝静まった時、スキルを使って周囲を確認しながら、キッチンから包丁を持ちさった。そして、寝ている大人をズサリッ、もう1人をズサリッ、次々にズサリッ、ズサリッと急所、首を一撃で、悲鳴すら上がる事無く、孤児院は真っ赤に染められた。
言わば、今まで悲惨な仕打ちをしてきた奴等への復讐であったが、彼に喜びや達成感は無かった。
初めての人殺しであったが、彼に悲しみや恐怖は無かった。
何も感じなった、あるのは虚しさだけであった。
彼はこの時、初めて自分が壊れていた事を自覚した。
彼が、まだ8歳という年齢の時である。
孤児院が事実上壊滅した為、彼を含めた子供達は、バラバラに別の孤児院へと移された。
殺人を犯した彼だったが、環境の悪辣さを考え、仕方ない事として、無罪となったのだ。
そんな彼が送られた場所は、貧しい孤児院ではあったが、衣食住は最低限マトモで、前の場所に比べれば天国であった。
しかし、彼の瞳は虚しく死んだままだった。
彼が孤児院での惨殺を引き起こした奴という軽蔑の視線と、そんな事をしてしまうまで追い詰められた子だという哀れみの視線が彼に向けられ、彼を虚しさから救おうとする者は、誰1人として居なかったのだ。
残る虚しさ、退屈さが晴れない彼は、それを埋めようと行動に移した。つまり、楽しい事を探したのだ。
遊んだり、本を読んだり、美味しいものを食べたり、しかし、彼の心が満たされる事はなかった。
一通り、思い付く事をやり尽くした彼は、それでも消えない虚しさを
他に楽しい事はないか、自分を満たしてくれるものはないか、そう考えた彼は、ふと、ある事を思い出す。
前の孤児院で、女の子か
大人達がしていたあの行動、何故、あんな事をするのだろう? もしかして楽しいのだろうか?
子供としての無邪気さと、無知から生まれた好奇心、それによって、彼は最悪な行動に出た。
同じ孤児院の女の子を1人、10歳にして犯したのである。
嫌がる中、悲鳴をあげる中、暴れる中、彼は男としての力の差を利用し、女の子を抑え、犯したのだ。
当然、それは許される行為ではない。
それを知った周りの者達からは、悪魔やら化け物やらケダモノやらと
しかし、ここまでしながらも、彼は虚しいままだった。
子供で無ければ牢に繋がれる行為をしながらも、彼の心が満たされる事は無かった。
孤児院の事件により、少年院へと入れられた彼は、未だ虚しさをどうにかしようと考えていた。
そして、ふと女の子を犯した時の事を思い出していた。
何も楽しくなかったあの行動、しかし、何故、大人達は喜んでやるのか気になったのだ。
他の楽しくないものの楽しい理由はわかる。ただ、自分には合わないだけである。
しかし、あれは何故なのだろうか? 何が楽しいのだろうか?
何かのヒントになりそうだった。
楽しくはなかった、だが、何か掴めそうだった。
そう考える内に彼は、1つの結論を出した。
相手の女性と同意の上なら楽しいのではないか?
そう思った彼は、女性と同意の上でやる為、他者に好かれる努力を始めた。
身嗜みを整え、運動し、愛想笑いを覚え、女性が好む行動を研究した。
そして、14歳の時、初めて互いに同意の上でやった。
その時、彼はやっと、これをやる大人の気持ちが分かった。
その時、彼は楽しかったのだ。心が満たされたのだ。
それは、初めて、彼の虚しさが僅かばかり薄れた瞬間だった。
その後、彼は毎晩、違う女と寝て、やり、楽しんだ。
そして、漫然とそう過ごす内に、ある問題が生じる。金の問題だ。
このまま自立して食っていけなければ、こんな楽しい事が出来なくなる。
そう思った彼は、士官学校に入る事を決意する。
軍で出世し将軍ともなれば、遊んで暮らせる金が手に入り、軍に入るとなれば過去の罪は無視され、"【探知】"スキルも活かせ、更に軍人という肩書きだけでモテる様になる。
そして、彼は図書館で必死に勉強し、15歳、士官学校へと入学した。
晴れて送れる学生生活だったが、彼を虚しさから救うのは、変わらずの女性との同衾であった。
学生生活を送り中で、
"成績だけ見れば"
彼は毎晩、寮を抜け出し、学外に出ては女遊びに
教官にはその才を勿体ないとさえ言われる始末だったが、彼にとってはどうでも良かった。
講義は簡単でつまらず、周りは貴族に媚び
彼の人生は、何も変わらなかった。
只、時間だけが過ぎて行く彼の生活の中で、ふと、ある話が耳に入る。
とある変わり者の貴族が、強姦に襲われた獣人を助けたというのだ。
亜人差別の根幹たる貴族が、獣人を助けるなど異例だったので、彼の耳にも自然と入ったが、時に興味がなかったので気に留めはしなかった。
しかし、そんな変わり者の貴族の噂は続いた。
ある時は平民とポーカーをしただとか
ある時は獣人の子供と遊んだだとか、
ある時は馬小屋で寝てたとか、
貴族らしさの欠片も無い行動、そんな話が彼の耳に入る度、そんな変わった貴族への興味が湧いていった。
そして、晴れの日に、学校内の敷地を散歩していた時、木のもたれながら本を読む噂の変わり者貴族、変人貴族の姿を見た。
変人貴族、貴族らしからぬ行動を取る上、獣人を助けたりもするなど変わった人物。
その姿を、彼は少し観察した。
彼はその貴族に興味はあったが、好感は抱いていなかった。
貴族の行動が、気まぐれ、1時的なものだと思っていたからだ。
そして、周りから変人だ、馬鹿だと
しかし、次の瞬間、彼の考えは覆された。
貴族は本を読み笑ったのだ。
楽しそうに、満足そうに、笑っていたのだ。
変人だと言われながら、馬鹿だと
全て気まぐれの行動ではない、貴族の本質そのものによる行動だったのだ。
しかも、それは楽しそうに、虚しさなど感じないと言う様に、貴族は人生を歩んでいたのだ。
彼にとってその貴族の姿は、自分の理想とする生き方その物だった。楽しさに包まれた虚しさの無い生き方だった。
彼はその貴族に更なる興味を持った。
ある日の夜、彼は、夜遅くまで女の子遊びに
何とか侵入に成功した彼は、巡回に見付かった様子は無く、安堵した。
しかし、直ぐに、遠くでこちらを見詰める学生が見えた。目撃者が出来てしまったのだ。
暗く顔までは分からなかったが、目撃者である事に変わりは無い。
彼は慌てて目撃者まで疾走し、その両肩をガッチリ掴んだ。
「おい、お前!」
「はい⁈」
突然やってきた彼に驚き、目撃者は少しのけ反った。
「お前……今見たこと、教官達には黙っててくれよ!」
「あ、いや……」
「夜間外出が規則違反、しかも、かなり重大な違反な事は知ってるだろ⁈」
「あぁ……」
「だったら分かるよな⁈ この事がバレたらマズイんだよ! だから……な! 頼む‼︎」
「そうなると、私も共犯になってしまうんだけど……」
「黙・っ・て・て・く・れ・よ!」
肩を掴む彼の手の力は強まり、言葉に強制力が加わると、勢いに押された目撃者は、断る事も出来ず、軽く頷き、その様子見た彼は安堵した様子で吐息を吐いた。
「これで、一応は証拠隠滅できたな」
彼は手の力を弱め、目撃者の肩から手を離し、立ち去ろうとした。
しかし、
「そこで何してる!」
巡回の警備員に2人は見付かった。
「ヤッベッ!」
彼は本当にマズイと思いながら叫び、走り出し、目撃者も、寮の夜間外出という規則違反を行なっていた為、警備員から逃げ出したが、2人の逃亡先は自然と同じ方向になってしまった。
バラバラに逃げて警備員を撹乱すれば良いものを、ウッカリ同じ方に逃げ出してしまった為、警備員は逃げた2人を迷わず追い掛けた。
「まて! 不良ども‼︎」
蔑称を叫ぶ警備員、それに彼は内心「誰が不良だ!」と思いながら、逃げ足を速めていった。
2人は必死で走り回り、なんとか警備員から逃げ切る事に成功した。
しかし、流石に長々と全力疾走していたので、2人の疲労はピークに達し、息を荒くしながら地面に座り込んだ。
「あの警備員、最後に俺達を不良とか呼んでいやがったな……まったく、夜、出歩いていたぐらいで不良扱いとは……失礼な野郎だ!」
「妥当じゃないかな? 君はこんな遅くまで校外に出ていたわけだし……私は不良じゃないけどね!」
「なら、お前も同族だ。こんな遅くに寮から出ていたんだからな」
「私はこの一回だけだよ、君みたいな不良とは言えないね」
2人はそう言うと、何故か可笑しくなり、高らかに、子供の様に笑い始めた。その様子はさながら、昔馴染みの悪友同士の様だったろう。
すると、彼は、月明かりに照らされた目撃者、いや、共犯者の横顔を見て、驚いた。
その人物は、例の変人貴族だったのだ。
頭もボサボサで口調や行動も貴族らしく無い、さっき一緒に逃亡した事で更に明らかだ。
彼は、そんな不思議な貴族と、もう少し話してみたいと思った。
「お前って……確か2年だよな? 貴族のボンボン共が噂していた"変人貴族"」
「変人貴族? そんな呼ばれ方していたのか……何故、そう呼ばれているんだろう? 私は普通に生活していただけ、なんだけど……」
変人貴族は腕を組み、月だけが見える空を眺めながら、異名の意味を真剣に考えていた。
自分の今迄の行動に、何ら疑問を持っていなかったのだ。
他者に可笑しいと言われる行動でさえ、変人貴族にとっては当たり前だったのだ。
そんな普通の奴とは違う変人貴族の様子に、彼は思わず笑いを
「面白いな、お前……」
「面白い?」
「あぁ……面白い」
面白かった、楽しかった、初めて心の底から笑えた。
こんな不思議な奴を初めて会った。
話すだけで虚しさが吹き飛んだ、不思議だった。心が満たされた。
彼は、会って間もない変人貴族の事を、この瞬間、気に入ったのである。
彼と変人貴族は長々と話をし、変人貴族の人柄に触れ、彼はますますその変人貴族を気に入った。
「そういえば、まだ自己紹介していなかったね……私は、エルヴィン・フライブルク。知っての通りの貴族だ」
「俺は、ルートヴィッヒ・コブレンツだ! 1年で、お前の後輩さ」
「え? 後輩なのに、私をお前呼びしてたのかい?」
「たった1年違うだけだろう? 呼び方なんかどうでもいいだろう」
「良くは、ないと思うけど……」
「あはははははは!」
苦笑を浮かべるエルヴィンの隣で、軽口を言いながら楽しく笑うルートヴィッヒ。不幸な彼の人生に、一筋の光が差し込んだ瞬間だった。
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