4-120 アンナの魔法

 フュルト中尉から、武神の強さの理由を聞いたエルヴィンは、深刻な表情を浮かべていた。


 武神を倒せればおんの字、無理でも無事逃げ切れば良いと考えていたのが、後者すら困難であるという事実に直面していたのだ。



「どうすれば良い…………」



 エルヴィンは頭を抱え、考え込んだ。


 大隊1個を簡単に潰せる武神、更に本気を出した彼に対して、どうすれば逃げれるか。


 おそらく、普通に逃げても追撃で全滅させられるだろう。


 しかし、このまま戦っても全滅は間違いない。


 八方塞がり、詰み始めている現状に、エルヴィンは頭を掻きむしる。



「クソッ! 武神に当たるといつもこれだ……」



 武神、彼と戦う度に窮地に追い込まれ、その度に多くの仲間を失い、悩み、苦しめられる。

 武神という反則チート級の存在を、エルヴィンは呪いたかった事だろう。

 しかし、実際に呪える訳ではない。そう思っても仕方ない。それより、武神への対抗策を考えねばならない。


 エルヴィンを焦りが襲う。


 このまま戦い続ければ、少しずつ仲間が死んでいく。


 エルヴィンは仲間の命が重くのしかかりながら、取り乱さないよう冷静に、押し潰されないよう頼れる仲間達を見渡し、考えた。


 そして、エルヴィンがまた頭を掻きむしろうと頭に手を伸ばした時、アンナが此方に近付き、真剣な眼差し向けている事に気付く。


 エルヴィンはしかめた表情を緩めると、アンナに向ける、いつもの優しい顔を見せた。



「ん……? アンナ、どうしたんだい?」


「エルヴィン……を使ってください!」



 森人エルフ族のアンナ、彼女は魔法が使えた。そして、魔法の才があるエルフの魔法は、人間族より高位の魔法である。


 人間族の魔法は、自然現象を簡易的に発生、操作する事が主であるのに対し、エルフ族の魔法は、"空間そのものに影響を及ぼす"。


 つまり、"相手の方向感覚を鈍らせる"、などという芸当も可能である。


 エルヴィンは、この危機的状況に於いて、既に強力な手札を持っていだ。


 しかし、エルヴィンは良い顔をしなかった。



「いや、使えない……」


「統一を乱すから、ですか……?」


「……そう、だね…………」



 エルフの魔法は特殊である。つまり、人間族を主とする軍隊、そこで使われる汎用的な魔法とは一線を画す魔法だ。

 統一、連携を主とする軍隊に於いて、特殊な物というのは異物であり、邪魔である。

 どれだけ個で強力でも、統一を乱す危険があるの為、軍隊という組織では使えないのだ。


 しかし、今は状況が違う。


 危機的状況、圧倒的劣勢、奇策を必要とする現状で、統一を守るという堅実さは邪魔な筈である。

 つまり、アンナに魔法を使わせられる筈なのだ。


 なのに、エルヴィンは首を縦に振らない。


 しかも、統一を重視しているかとも思えば、さっきのアンナの質問に対し、目を逸らしながら答えた。明らかに、言えない別の理由を抱えていた。


 エルヴィンの事だから、おそらく自分の為にではないだろう。自分事を仲間の危機と引き換えにする人ではない。


 だからこそアンナは、この人に仲間を見捨てる行為をして欲しくはなかった。



「エルヴィン、何を隠しているかは知りませんが……ここで私の魔法を使わないと、全滅する危険があります。だから、魔法を使わせて下さい!」


「駄目だ……」


「エルヴィン! お願いします!」



 アンナに魔法を使わせたくないエルヴィン。しかし、アンナの方を振り向き、彼女の決意に満ちた表情を見た彼は、嘆息たんそくし、そして、折れた。



「……分かった…………お願いするよ……」



 承諾を受けたアンナは笑みを浮かべると、直ぐに魔法の準備を始めた。

 そして、そんな背中を、エルヴィンは、少し心配そうに見守るのだった。




 魔法の詠唱を始めるアンナ。すると、彼女の周りが淡く緑色にかがやき始める。


 その光景は魔法の詠唱というには幻想的で、美しく、浮世離れした世界だった。

 近くに居た兵士達が、武神の脅威を忘れ、見惚れてしまった程である。


 そして、詠唱を続けるアンナの下に、同じく緑色に光る小さな玉の様な物が集まってきた。

 数は10程だろうか、小さは玉は、個々がまるで生きているかの様に、アンナの周りを飛ぶ様にグルグルと回ると、四方へと散らばり、武神を円で大きく取り囲む。


 武神に警戒されるのではとも思ったが、どうやら光の玉は、武神には見えていないようであった。



「エルヴィン、準備完了です」


「……わかった」



 アンナに何か負い目を感じている様子のエルヴィン。しかし、それよりも仲間達を救う事を優先し、気持ちを切り替え、声を張り上げる。



「総員、各自散らばり、南へ全力で逃げろ! 上官の事など考えるな! 軍の規則など考えるな! 個々の命、自分の命を守る事だけを考えろ!」



 なんといい加減な命令だろうか。各々自分の身は自分で守れという他人任せな命令だった。


 最早、命令と呼んで良いのか分からぬ物を口走ったエルヴィンは、自分の粗雑な指示に、苦笑をこぼしてしまった。


 しかし、エルヴィンの下した粗雑な命令は、現状考えうる中で、最優の物と言える。


 アンナが使っている方向感覚を狂わせる魔法、これには対処方がある。

 明確な目標、目印を定め、そこに意識を集中さえすれば、1方向だけしか認識せずに済み、まどわされる理由がなくなるのだ。


 武神を中心に散らばり逃げ出した帝国兵達、シャルルにとってそれらは雑兵に過ぎない。


 つまり、明確な目標、目印となり得ぬ者達が四散してしまった為、更に目標、目印を定めずらくなってしまうのだ。


 エルヴィンの「散らばって逃げろ!」という命令は、アンナの方向感覚を狂わせる魔法に於いて、最適解と言って良かったのである。

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