4-106 1つの決着

 敵騎馬隊による奇襲により、共和国軍は混乱し始めていた。


 特に騎馬の襲撃を受け続けている右翼は、中腹まで食い破られ、陣形が乱れ始めており、指揮をっていたアミアン中将は、味方の再集結と、混乱の鎮静に苦心させられていた。


 そして、左翼のオーベルヴィリエ中将は、右翼から迫る騎馬隊を警戒し、陣形を再編成。

 騎馬隊に対する備えを整え、騎馬隊殲滅も時間の問題になる、筈であった。


 この敵の意識が奇襲部隊、騎馬隊へと向いた更なる隙に、帝国軍の大軍が砂煙を突破し、共和国軍へと迫ったのである。



「クソっ! またか!」



 二転三転する敵の挙動に踊らされ、またも意識が前方から逸れていた隙を突かれた。


 大挙して攻めて来る帝国軍に、意識が逸れていた共和国軍は対処が遅れる。


 敵の視認が遅れ、銃の引き金が遅れ、戦車の動きが遅れ、帝国軍は大した損害も受けぬまま、共和国軍へと迫る。


 何とか迎撃準備を整えた共和国軍だったが、その時にはもう遅かった。


 帝国軍前衛部隊の魔術兵達が、戦車へと肉薄したのである。


 戦車が封じられた共和国軍は、戦車を奪われぬよう即座に、帝国軍を押し返す為、動き出した。


 戦車一帯は完全に乱戦となり、戦車も身動き出来ず、敵と味方の距離が近過ぎて、重火器も使えない。

 更に、右翼では未だに騎馬隊が暴れ、前衛部隊しかまともに機能していなかった。

 その為、右翼側に展開していた共和国兵達は次々と押し返され、戦車の周辺を帝国軍が取り囲んでいく。


 そして、妨害する敵が居ないのを良い事に、魔術兵が戦車の上へとよじ登りると、ハッチをこじ開け、中に侵入。

 戦車の中で混戦を繰り広げ、戦車を占領、乃至ないし、破壊していった。




 左右1列に展開している戦車が、右翼側から次々と失われ、両中将は顔を真っ青にし、恐怖が襲う。


 勝てるいくさだった。負ける筈のないいくさだった。


 だが、自分達は負けている。明らかな失態を演じている。


 戦車も次々と奪われ、兵士も沢山死んでいく。


 もはや挽回ばんかいなど出来よう筈もない。


 両中将の軍人人生は、この時、完全に終わったのである。



「撤退する……」



 両中将は将軍として、最後の命令を下した。

 絶望の中、消失感の中、大敗北という汚名だけは避ける為、名声が完全に失墜しっついする事だけは避ける為、彼らは撤退を命じたのである。


 共和国軍は後退を始めた。

 残った戦車を抱え、生き残った兵士を抱え、一斉に逃げ始めた。


 その逃げ行く敵の背中を、帝国兵達は唖然と、開いた口が塞がらぬまま、立ち尽くしながら只、見送った。


 そして、ラウの地から共和国軍が居なくなった時、帝国兵達をようやく現実が襲う。


 負けるかもしれなかった。いや、その可能性は高かった。


 2個軍団壊滅させた兵器に襲われた。それをことごとく捕獲し、破壊した。


 勝ったのだ。生き残ったのだ。死ぬかもしれなかった戦いに勝って、生き残ったのだ。


 これを何も感じずにいれようか。



「「「オオオオオオオオオオオオオオオッ‼︎」」」



 帝国兵達は歓喜を挙げた、喜びを挙げた。



「勝った! 勝ったぞぉおおおおおおおおっ!」


「生きてる、生きてる!」


「よかった……本当に良かった…………」



 口々に嬉しがり、安堵し、笑う帝国兵達。


 そんな兵士達の姿に、第10軍団幕僚達は驚きを隠せなかった。



「本当にやりやがった……」


「あんな策で、勝ったのか?」


「信じられん……」



 半ば承諾した作戦ではあったが、やはり、何のひねりも無い策に、幕僚達は半信半疑であった。その為、今ある現実に驚愕きょうがくせざるを得なかったのだ。


 そして、エルヴィンの策を率先して採用したエアフルト中将、エッセン大将すらも、今の光景に驚いていた。



「まさか、ここまで上手くいくとは……いくつかほころびぐらいは出ると思っていたのですが……」


「ガンリュウ大尉の働きが大きいだろうな。彼の様な強者が居たのは大きい。しかし何より……」


「フライブルク少佐のえ、ですか?」



 エッセン大将は黙って首肯しゅこうした。



「奴の策を聞いた時、俺はあの策に敗れる自分の姿が見えた。まるで、自分の考えが完全に読まれている錯覚がしたのだ。いや……まさしく読んでいたのだろう……軍の指揮をる指揮官という者の、この瞬間どうするか、どう考えるか、それを奴は読み切ったのだ!」


「分かります……長年戦いを経験した我々にとって、彼の言う事は的を射ていた。小官が今回の敵だった場合、おそらく同じ負け方をしていたでしょう……」


「まったく……敵の心理を読み、操るとは……貴族本来の嫌らしさから来ているのか、奴本来の性分なのか……まったく、敵にだけはしたく無いな」


「まったくです」



 エルヴィンは優秀な士官である。それはこの時、エッセン大将達は認めざるを得なかった。


 しかし、それだけではない。


 会議の際、エッセン大将は、ガンリュウ大尉を推挙したエルヴィンにある疑問を持ち、尋ねた。



「ガンリュウ大尉は確か鬼人族の筈だ。平民ならいざ知らず、貴族は亜人を嫌っている筈……何故、ワザワザ大尉をした? 人間族でも優秀な者は探せばいる筈だ。そっちを優先すべきではないか?」



 エッセン大将自身、亜人差別にそれ程興味は無かった。

 しかし、目の前の男は貴族。亜人差別主義者が多い貴族だ。

 そんな奴が喜んで亜人をす真意が見えなかった。

 功の横取りをする気ではないか? などとも疑っていた。

 ならば、この男は糾弾せねばならぬと、そう考えたのだ。


 警戒心をにじませながら答えを待つエッセン大将。

 それに、エルヴィンは困った様子で頭を掻くと、苦笑を浮かべながら言った。



「えっと……もしかして、鬼人族は気に食わないとか、そんな感じですか?」


「いや、そんな事はないが……」


「なら問題ありませんね。大尉は優秀な人材です。彼にはもっと活躍できる場が必要でしょう」


「いや……優秀だから、とかではなく、貴官はどうなのかと聞いている。貴族である貴官にとって、亜人は差別対象だろう。そんな奴を推挙して……嫌悪感は抱かんのか?」


「嫌悪感、ですか……」



 エルヴィンは首を傾げた。



「亜人だからといって、差別する理由がありますか? 彼らは人間族から見て、突出した個性を持っているだけでしょう?」



 その一言で、エッセン大将が今までエルヴィンに抱いていた印象は一変した。


 貴族にとって亜人とは、平民よりも下の扱いだ。


 確かに、亜人を差別しないという貴族も居ない事は無いが、それでも大抵は人間族よりは下だと考えている。


 しかも、そう考えているのは平民にも多い。


 人間族自体にとって亜人、特に獣人族は差別対象か、身分が下の者と考えられているのが一般的なのだ。


 エッセン大将ですら当初はそう思っていたし、長年獣人の兵士と接する内に、やっと払拭された価値観だ。


 しかし、目の前の男は違った。


 亜人差別の中心たる貴族であり、まだ経験の浅い若い士官、亜人兵と接する機会も少なかった筈だ。


 なのにこの男は、亜人差別の存在事態を否定してのけた。

 まるで当たり前の様に、亜人差別が無価値だと言ってのけたのだ。


 被差別対象である亜人、彼等ですら平等に扱う。そんな奴が平民を見下す訳はない。


 そして、エッセン大将は思い出した。


 エルヴィン・フライブルクという人物は今まで、貴族という言葉を、立場を、権力を振るわなかった。意見する時も、1士官として話をした。


 つまり、貴族という便利な立場を、彼は自ら口にする事すら無かったのだ。


 しかし、自分はどうであったろうか。


 貴族と聞き、奴自身を見て接していただろうか。

 貴族という部分だけしか見ずに突き離していたのではないか。

 人を盲目に判断したのではないか。


 自分の落ち度とミスが、エッセン大将に重くのし掛かる。


 貴族への矜持きょうじを胸に振る舞う俺が、貴族と平民を分けるという奴らと同じ愚を犯した。

 それはエッセン大将にとって、最大の屈辱であったのだ。


 しかし、怒りは湧かなかった。


 大将はふと、寂しそうな、残念がるような苦笑をこぼす。



「俺も老いたものだ……」



 ゾーリンゲン大将への怒り、それが冷静な判断を鈍らせた。

 数年前の自分であればこんな程度で平静が壊れる事は無かった。

 それだけで冷静さを欠くようになってしまった。


 司令官たる者が簡単に冷静さを失うなど、あってはならぬ事だ。


 エッセン大将は、自分の引き際が迫っている事を感じざるを得なかった。


 しかし、収穫もあった。


 エルヴィン・フライブルクという人物。彼という、策略家としても、指揮官としても有能な若者が居る。未来を担う優秀な士官が居る。


 それに、エッセン大将は、安堵し、肩の荷が降りる様な、清々しそうな、そんな気分で満たされるのだった。




 世暦せいれき1914年6月12日11時10分


 数多の血と命が流れ、失われていったラウ会戦は、この日の共和国軍による撤退で終結した。


 帝国軍死者、総数約6万2千、共和国軍死者、総数約4万2千、合計約10万4千。小都市が消える程もの兵士が、ラウの地で失われた。

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