異なる世界の近代戦争記

3-16 アンナの怒り

　エルヴィンはアンナの背中を眺めつつ、ふと、ある事を思い出した。

「そうそう、アンナに１つ頼みたい事があるんだ」

「何ですか？」

　アンナはまだ戻らない表情を隠しつつ返事をした。

「実は、フュルト中尉から脅……じゃなくて！ お願いをされてね……アンナを貸すように頼まれたんだ」

　その時、アンナの様子が変わった。

「貸す……？ フュルト中尉に……？」

「頼まれてくれるかな？」

　エルヴィンがそう言うと、アンナは振り返りエルヴィンの顔を見た。そして、エルヴィンがアンナの顔を見ると、エルヴィンはその表情に恐怖し、口元を引きつらせた。

　アンナは今までに無い、したたかな怒りの血相を見せていたのだ。

「エルヴィン……」

「はい‼︎」

　エルヴィンは恐怖のあまり、ピンと背筋と腕を伸ばした。

「何で、そんな事になったんですか？」

「いや、それは……」

　アンナが軽く殺意に満ちた瞳で凝視する中、エルヴィンは冷や汗をかきながら、アンナから顔を逸らした。

「フュルト中尉に貸す……それがどういう意味か分かりますよね？」

「……」

「分かりますよね⁈」

「はいっ‼︎」

　この時、主導権は完全にアンナが握っていた。

「フュルト中尉は美少女好きで変態です」

「変態って……そんな堂々と」

「そんな相手に貸したら、最悪、犯されるなんて事があるかもしれません」

「いや、流石にそこまでしないんじゃ……」

「ありますよね⁈」

「はいっ‼︎ あります‼︎」

「それを承知で貴方は私を＂売った＂のです。その理由は何ですか？」

　バレてる‼︎

　エルヴィンは、アンナが完全に、自分がフュルト中尉に脅されている事を、分かっている事を察した。

「い、言えません……！」

　アンナは拳を鳴らし、無言で「殴るぞ？」という最終勧告をエルヴィンに発した。そして、その恐怖に耐えきれず、エルヴィンは口を滑らした。

「今日の書類仕事を部下に押し付けている事がフュルト中尉にバレて、それを君に話さない代わりに、君を説得するよう頼まれました！」

　それを聞いたアンナは無言で立ち尽くした。

「アンナさん……？」

　エルヴィンがアンナの様子を伺った瞬間、アンナは瞬時にエルヴィンの懐に入り込み、右手拳でエルヴィンの腹に強烈な一撃を喰らわせた。

「グホッ！」

　エルヴィンは両膝を地面に付けると、激痛が走り続ける腹を両手で抑えた。

　そして、その様子をアンナは上から冷たい目で眺めた。

「下らない理由で人を売るとは……最低ですね」

「すいません……」

　アンナはもう１度エルヴィンを冷たい目で見ると、気持ちを切り替える様に溜め息を零（こぼ）した。

「取り敢えずはこれで許しますが……次は無いですよ？」

「肝に、命じておきます……」

　エルヴィンはじっくり反省した後、腹の痛みがある程度治り、まだジリジリと痛む腹をさすりながら立ち上がった。

　それを確認し、アンナはエルヴィンへ質問をする。

「で、エルヴィン……何でフュルト中尉は、そんな無茶な要求をしたんですか？」

「なんでも、直属部隊の魔導兵小隊に美少女が居なくて……今、男達だけの訓練の指導をしなければならないとかで、鬱憤が溜まっているとか、何とか……」

「その鬱憤を、私とのスキンシップで晴らそうとしたわけですか……これは、本当に犯されてたかもしれませんね」

「さっきも言ったけど、流石にそんな犯罪まがいな行為はしないだろう……彼女も軍人だ、節度は守るよ」

「断言出来ますか？」

「……」

　エルヴィンは、出会ってから今までのフュルト中尉の行動を思い出してみた。

　急にアンナの胸を揉みだし、美少女愛をヨダレを垂らしながら話し、今現在、彼女は鬱憤が溜まっている。

　安心できる要素が１つも見当たらなかった。

「断言、出来ない……」

　エルヴィンは、アンナがフュルト中尉に危機感を感じる理由をこの時、理解した。

「なるほど……君が尋常ならざる危機感を、フュルト中尉に感じるわけだね……」

「中尉と一緒に居るだけでも、何かされそうな危機感を感じるんですよ」

　アンナは、フュルト中尉への不安で溜め息を吐（つ）いた。

「君を魔導兵小隊に入れなくて良かったね。まぁ、入れようにも、入れる訳にはいかないんだけど……」

「私の魔法は特殊ですから、統率を重視する軍隊には不向きです。逆に害になりかねません」

　森人（エルフ）族は古代から魔法に特化した種族だとされている。他の種族同様、全員が使える訳ではないが、魔導師の数は、人間族よりかは比率が高い。

　そして、魔法が使える森人（エルフ）魔法は、一般的な魔法より高位の魔法を使う。

　統一意思、統一行動を重視する軍隊において、一般的な魔法では無い物を使うのは、統一という概念に反する為、逆に軍では害となるのだ。

「エルヴィンは、この後も兵士達の様子を見て回るのですか？」

「まだ、衛生兵小隊を見ていないからね」

「早く済ませて下さいね」

「訓練が終わるまで、まだ時間があるけど……」

「部下に押し付けた仕事をやる時間が必要でしょう？」

「グッ！」

　エルヴィンは仕事という言葉を聞き、苦笑いをした。

「訓練中に終わらなかったら、今晩は徹夜になりますね……」

「君、なんとしてでも仕事をやらす気なのね……」

「当然です！」

　エルヴィンは、心の中で部下達が書類を全て片付けてくれていることを願いながら、やはり、それは無いだろうなと、肩を落とすのだった。