2-12 士官学校での日々
エルヴィンは士官学校の教官に呼び出され、そして、自分が危機的状況にある事を知らされようとしていた。
「君、軍人になるの諦めた方が良いんじゃないか? このままじゃ退学だぞ」
教官が呆れながらそう告げると、エルヴィンは苦笑いを返した。
エルヴィンの成績は、悲惨なものだった。
射撃9、補給事務35、魔術8、実践戦闘5、魔法適性なし。その他項目においても、50以下の数字がズラリと並んでいた。これは100点満点中の結果である。
教官はもう1度、心配そうに、呆れ混じりでエルヴィンに視線を向けた。
「君、なんだこの成績は! ちゃんと頑張っているのか?」
「頑張っているつもりですが……人には向き、不向きがあります。成績が悪い分野は、私に不向きな分野なんですよ」
「屁理屈を言うな! というか、ほぼ全部だろ‼︎」
強烈な怒号を浴びせられながら、全くやる気が感じられない士官候補生エルヴィン・フライブルクに、教官は頭を抱えるしかなかった。
「軍は基本、実力主義だ。軍の学校であるここも、それに沿って実力主義にしている。向き、不向き、関係なく、実力が無ければ去ってもらうしかない」
教官から長ったらしく説教と注意を受け、最後にエルヴィンは「なんとか頑張ってみます」と口にしたが、自信なさげに頭を掻いていた。
そんなエルヴィンの様子に教官は呆れながら、不安も拭いきれないまま、長時間留めても意味は無いと、エルヴィンに退出を命じ、彼が去った後、教官の口からは大きな溜め息が漏れていた。
「まったく、アイツは……」
教官はもう一度溜め息を漏らすと、エルヴィンの成績表を眺めた。
「軍人には向かない、向かないのだが……」
エルヴィンの成績表には、こうも書かれていた。戦略95、実践指揮96。
エルヴィンはなんとか進級できた。
本当に首の皮一枚繋がった程度の成績だったが、本人としては別に首席の座を狙っているわけでもなく、退学にならなければそれで良いと思っていたので、この結果に満足だった。
そして、この日、エルヴィンは勉強疲れの気分転換に街の散策をする事にした。
帝都ハイリッヒは、ゲルト王国時代から変わらずの首都であった。しかし、帝都名は第3代皇帝ハインリッヒ1世が自分の名を冠して改名させたものである。
地理的には国の南西に位置し、海にも接し、人口は約200万人、港には軍港も存在し、帝国軍第1艦隊が駐留している。
流石、大国の首都というだけあり、街は人で溢れかえり、コンクリート製の高層建築が並び立ち、道幅は広く、無数の車が行き交い、そして、中央にはゲルマン帝国の象徴、皇帝陛下がおわす、"ジークフリート宮殿"が一際異彩を放っていた。
国の栄華を具現化した都市、それが帝都ハイリッヒなのだ。
しかし、その強烈な光から生まれた影の部分、それが貧民街という形で現れていた。そして、街中には獣人族が1人も歩いておらず、その全てが貧民街での生活を強いられている。
エルヴィンは帝都の街を散策するのは初めてであり、流石帝都と言わんばかりの活気に満ち溢れた街、前世に於ける20世紀初頭に当たる街の様子に、心踊らされていた。
しかし、一方で街の暗い影にも目を配らざるを得ない。
「やはり居るな……」
街中を秘密警察の制服を着た者達が、我ここに居るぞと言わんばかりに歩き回っていたのだ。
堂々と居るのに秘密警察と呼んで良いのかとエルヴィンは思ったが、口には出さず、横目で確認しながら、横を素通りした。
帝国秘密警察は、帝国への侮辱を行った者を見付けては、片っ端から連れ去り、拷問し、最悪、殺害している。
最も悪辣なのは、奴隷制が撤廃されているにも関わらず、獣人族が貧民街から街に一歩でも出ようものなら、男、老人ならその場で見せしめに殺され、女、子供なら貴族に売り飛ばされた。
秘密警察は帝国の暗部そのものであり、それが光の届く表に出ている時点で、この国の異常さが浮き彫りになっていたのだ。
そんな光景を度々目にしながらも、手を出せば自分も粛正されかねない為、エルヴィンはやりきれない思いで無視し続けていた。
「父さんが士官学校に入れさせたのは、帝国の現状を見せるためか……これは、ナチスドイツぐらい酷い。いや、それ以上かもな」
エルヴィンがそう独り言を呟きながら街中を歩いていると、路地裏で何か揉めている声が聞こえてきた。
気になったエルヴィンは、声が聞こえた方へ向うと、そこには、同じ士官学校の生徒らしき3人の男が、獣人族の女の子に絡んでいた。
女の子は10歳ぐらいで、少しボロボロの服に、全身が少し汚れていた。明らかに貧民街の子供だろう。
「何でこんな所に、バッチぃ獣人がいるんだ?」
「人間様の住む所に来てんじゃねーよ!」
「秘密警察に知らせるか?」
「いや、見た目はなかなか可愛いぞ?」
「俺達で少し遊んでから引き渡そうぜ」
なんと下劣な相談だ、同じ士官候補生とは思われたくないな。
エルヴィンはそう男達を非難しながら見ていた後、獣人族の女の子に視線を向けると、女の子は、恐怖で涙目になりながら、怯えて震えていた。
その様子に、流石に見兼ねたエルヴィンは、辺りを見渡し、秘密警察が居ない事を確認すると、獣人族の女の子を助ける事にした。
「そこの君たち! 士官候補生ともあろう者が、寄ってたかって女の子をいじめるとは感心しないな〜!」
男達はエルヴィンを睨み付けた。
「何だ? テメー」
「偽善者、気取りか?」
「下等な獣人に何しようと問題ねぇだろ!」
エルヴィンは3人の男達に罵られ、罵倒される。
そんな中、獣人族の女の子は、突然やってきた不思議な青年をじっと見詰めていた。
すると、それに気付いたエルヴィンも、女の子に視線を向けると、軽く手を振りながら微笑を浮かべる。
「なに無視してんだぁあっ!」
男達の1人がそう叫び、エルヴィンの胸ぐらを掴み、顔面に右ストレートを食らわせようとした。
その時だった、
1人の男がエルヴィンの顔を見て気付く。
「おい! コイツ貴族だぜ! 他の貴族達が噂してた……」
「なに⁉︎」
「おい、まずいんじゃないか⁈」
男達は貴族という名に怯え、慌てふためき始めた。
そして、エルヴィンの胸ぐらから手を離すと、軽く舌打ちをし、煮え切らない様子で、その場を去っていった。
「数発殴られる覚悟はしていたんだけどなぁ……貴族の名も、案外便利な物だな」
エルヴィンはこの時、初めて特権階級を面白いと感じたが、他者を陥れてまで保持するものでもないと改めて思っていた。
そして、乱れた服を整えた後、もう一度、獣人族の女の子を見ると、女の子はまだ怯えていた。
最初は、まだ女の子に恐怖の
「あっ、そうか……」
自分の服装を見返し、自分がさっきの男達と同じ士官学校の制服を着ている為、同類だと思われたのだと察っした。
そして、エルヴィンは困った様子で頭を掻くと、獣人族の女の子の前に立ち、目線を合わせる様に座ると、女の子は更に怯えた様子になり、恐怖のあまり目を瞑り、謎の青年が自分に行うであろう仕打ちを覚悟した。
しかし、ふと女の子が感じたのは、頭に伝わる心地いい暖かさだった。
何が起きたか分からない女の子、彼女は、目を開け、謎の青年に視線を向けると、エルヴィンが、優しく女の子の頭を撫でていたのだ。
青年に撫でられる度、女の子からは不思議と、少しずつ恐怖が消え、震えが止まり、妙な安心感に包まれていった。
「あまり、こんな所に来ない方が良いよ。ここら辺は、君みたいな子に、優しいとは言えないからね」
エルヴィンは優しく、微笑みながらそう告げると、改めて獣人族の女の子よく見てみた。
女の子は、貧民街育ちらしい小汚さはあったのだが、雪の様に綺麗な白銀色の髪に、海の様に済んだ青い綺麗な瞳をした可愛いらしい姿をしている。
そして、女の子は、エルヴィンが撫でた効果もあってか、落ち着きを取り戻し始める。
すると、女の子が小さな声で、何か言っている事に、エルヴィンは気付いた。
「ん? なんだい?」
獣人族の女の子はエルヴィンの顔を見て、改めて告げた。
「"ありがとう"」
それを聞いたエルヴィンは、再び優しく微笑んだ。
「どういたしまして」
女の子は少し頬を赤く染めると、エルヴィンに改めて感謝し、貧民や獣人族の暮らす地区へ帰って行った。
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