1-15 奇策と援軍

 たった1発の銃声、しかし、それは帝国兵達の敗北感、共和国軍の勝利への高揚感、それらを完全に払拭した。


 銃声は帝国軍の背後、そして、共和国、第2、第3大隊の背後から聞こえたものだったからだ。


 銃声がして間もなく、ヴァランス大佐の下に、衝撃の報を知らせる伝令がやってきて、告げた。



「申し上げますっ! 第2、第3大隊の後方より敵襲っ! 数、不明っ!」


「なにっ⁉︎」



 大佐は、突然の敵の襲来に憤りを表したが、驚きはしなかった。



「敵の援軍だと⁈ クソッ! 敵の本隊かっ!」



 共和国軍は帝国軍の情報を満足に入手できていない。

 エルヴィンの命令のもと、偵察部隊のことごとくがやられ、帝国陣地に近づくことすらできず、共和国軍は、帝国軍の数が味方の3分の1であることを知らなかった。


 結果、共和国軍は、敵の援軍を本隊と勘違いしてしまったのだ。


 もし知っていれば、援軍がこけ脅しであることに気付いただろう。


 援軍がわずか程度であることにも。




 共和国軍は混乱した。敵の援軍が到着し、包囲している敵軍と合わさると、第2、第3大隊が挟まれる形となるからであったからだ。


 そして、その混乱を帝国軍は見逃さなかった。


 包囲されていた帝国軍は、援軍と合流すべく後方に戦力を集中し、中央突破を仕掛けたのだ。


 陣形が乱れ、士気もわずかに落ちた第2、第3大隊は少しずつ押され始め、結果、帝国軍の中央突破を許してしまう。


 包囲網を脱出して行く帝国兵達、走りながら、目の前の敵を撃ちながら、負傷した味方を抱えながら、そして、窮地を救ってくれた人物を思い浮かべながら、彼等は自軍の本陣を目指して、只、足を走らせ続けるのだった。




 双眼鏡越しにそんな帝国兵達の様子を見ていたエルヴィンは、包囲下の味方を助けられた事に安堵の吐息をこぼした。



「味方は、なんとか脱出したね……」



 エルヴィンは双眼鏡を下ろすと、連れてきた兵士達に視線を向けた。



「敵に当てる必要はない! 敵に狙いを定め、撃つだけでいい! 銃声だけでも敵は尻込みするはずだ!」



 エルヴィンが連れて来た兵士達は敵に見付からないよう、茂みや木の後ろに隠れながら、弾が敵に当たる銃の射程ギリギリの所で撃っていた。


 その中には、銃を撃つことぐらいしか出来ない負傷兵、銃の実戦経験の薄い衛生兵、銃をほとんど使わない魔導兵が居た。


 エルヴィンは、そんなまともに戦えない者達まで連れ出し、敵を翻弄していたのだ。


 そして、戦うべきではない者達、彼等まで連れ出し来てしまったことに、彼は罪の意思を感じていた。



「負傷兵まで駆り出して戦わせている。とても、許される行為ではないな……」



 エルヴィンはそう思い自嘲しながらも、味方を救うべく、指揮に励むのだった。




 救援に来た兵士達、その中には勿論アンナもり、彼女は兵士達に紛れて、小銃を握りしめていた。

 そして、他の兵士達が弾を外す中、アンナの放った弾全て、敵の身体に命中し、しかもピンポイントに敵の足だけに当てていたのだ。


 足を撃たれ、まともに歩けなくなった敵は、仲間に引きずられ後方へと下がるが、仲間も一時的に戦線を離脱せねばならなくなる為、ヘッドショットよりも遥かに厄介である。


 そんな神芸にも近いアンナの狙撃の技量に、兵士達は、意外な光景を見た様に驚いていた。


 帝国兵達はアンナの事を、"副隊長の事務係"という認識であり、銃の腕が一流である事など、想像すらしていなかったのだ。



「フェルデン准尉、銃の腕、凄かったのか……」


「副隊長の副官として軍にいるから、ほとんど前線で戦うところを見たことがなかったからなぁ……」


「副隊長まともに戦えないから、前線に出てこないもんな……」


「あの人、射撃ド下手らしいぜ?」


「まじかっ⁉︎ それで良く死んでないな!」



 帝国兵達の話しは、アンナへの賛美から、エルヴィンへの悪口に変わっていった。


 それは、異様な光景だったろう。


 僅か40人の兵士、しかも、ほとんどがまともに戦闘できない兵士達の集まり。もし、敵にこのことがバレた場合、確実に全滅させられる軍。いわば、綱渡り状態であるにも関わらず、兵士達の恐怖心は薄かったのだ。


 それは、兵士達の脳裏の死という文字を、ある存在が消していた為であった。


 そう、"エルヴィン・フライブルクという存在が"


 そして、そんな兵士達の様子に、アンナは軽い恐怖を感じていた。


 その恐怖は兵士達の気が緩んでいる事でも、味方の数がバレる事でもない。


 "エルヴィン・フライブルクという人物の知略"、それに恐怖したのだ。

 

 第1、40人の、ほとんどはまともに戦えない兵士達、それを援軍として連れて行く自体、馬鹿げた自殺行為である。


 しかし、エルヴィンは彼らを率いて援軍とした。何故か。答えは単純である。


 "エルヴィンは、敵が此方の援軍を過大に見積る事を知っていたのだ"


 エルヴィンは、第1中隊に敵偵察兵を殲滅させ、味方戦力を敵に悟らせないようにした。

 そもそも、敵偵察兵殲滅ごときに、1個中隊、戦力の4分の1も差し向けるなど、普通はあり得ない。

 それだけ、エルヴィンは重要したのである。


 "情報という武器を"


 そして、敵と味方の情報差、それを利用して40人の味方を援軍とし、敵に戦力を過大評価させた。


 敵の情報を満足に得られなかった共和国軍は、敵の援軍が最低でも、味方と互角に戦える数だと誤認する。エルヴィンはそう予想し、的中させたのである。


 ここまでに至るエルヴィンの周到さ、感の鋭さに、アンナは改めて、エルヴィンの策士としての恐ろしさを感じざるを得なかったのだった。




 暫くして、生き残った帝国兵達の、包囲網からの脱出が確認され、兵士の1人がそれをエルヴィンに告げた。



「生き残っていた味方が全員、脱出を終えました!」


「よしっ! 総員、本陣まで撤退!」



 エルヴィンの指示を受け、兵士達は負傷兵を抱えながら本陣に撤退を開始した。



 その頃、敵を逃したことを知ったヴァランス大佐は、血相を変えて、怒りのあまり、歯が欠損しかねない程奥歯を噛み締めた。勝利を確信したところに敵の援軍が駆けつけ、勝利を潰され、屈辱感を味わっていたのだ。



「帝国軍め……全軍っ! 態勢を整え次第、敵を追撃するっ!」



 ヴァランス大佐が怒りを込めて命令すると、副隊長のイストル中佐が大佐に意見した。



「いけませんっ! もう日が沈みます。夜、暗い中で森を進むのは自殺行為ですっ!」



 この時、空は黄金色に包まれ、薄らと星まで見え始めていのだ。


 敗北を決定付ける意見に、ヴァランス大佐は一瞬、忠言を述べた副隊長を睨み付けたが、直ぐに冷静になると、苦々しそうに全軍に撤退を命じるのだった。

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