第31話  最期(最終話)


「え?クォーツテールに?」

リバーサントに戻ったレオバルトが告げたのはルノワール卿からの招待状についてだった。

「俺は行く気はない。お前達だけで行ってこい」

渡した手紙にはアイリンはもちろん友達と一緒に遊びにおいでと書かれている。

汽車での移動は面倒だと言ってレオバルトは行かないと言う。

「兄さんが行かないなら…どうしようかな?」

「迷うなら行け。うるさいのがいなくて清々する」

追い払う仕草を見せるレオバルトにクライノートが飛び付いて喚く。

ずっと代わりに仕事をした褒美だと言い換えるとコロリと騙されるのだった。

「エティアさんは?一緒に行く?」

大喜びのアイリンはエティアに声をかけた。

しばらくぼぅっとしていたエティアはハッとしてから笑う。

「えぇ。では、お言葉に甘えて」

その眼でチラリとレオバルトの翡翠を見たのだが、彼は視線を合わせなかった。

ただつまらなそうに会話を聞いている。

「シャウは?レオが行かなかったら、行けない?」

「…そう、ですね」

苦笑いのシャウロッテにアイリンはぐっと迫る。

口を尖らせて一緒に行きたいと言うのだ。

レオバルトは行けばいいという。

幸い依頼はないし、警護も強化したばかりだ。

「シャウ!!」

アイリンの強い希望にシャウロッテは縦に首を振る。

楽しい旅行だと喜ぶアイリンとクライノート、エティアとシャウロッテはどこか浮かない顔で二人を見ていた。



出発の朝、コートとマフラーではしゃぐアイリンが大きな鞄を一生懸命運んでいる。

駅に見送りに来ないレオバルトを咎めながらも楽しそうだ。

久しぶりに会えるルノワール卿と何を話そうかとわくわくしている。

「荷物は、これで全てですか?」

「……はい」

シャウロッテが尋ねるとうつ向いたままのエティアが頷いた。

「アイリン、ちゃんと座ってくださいね」

にこにこと座席に荷物を置くアイリンはクライノートと時おり言い合いながら旅の仕度は進む。

「レオバルト様、来ませんでしたね」

エティアはずっと駅の改札を見ていた。

もしかしたら、レオバルトが来るのではないかと期待していた。

しかし、改札を銀のコートが通ることはなかった。

汽笛が鳴る。

ゆっくりと動き出した汽車にアイリンの声が響く。

「シャウ!!早く!」

声に振り向くシャウロッテが手招きするアイリンの腕を引き寄せると


唇を重ねた


たった一瞬


時が止まった



「幸せに生きてください、アイリン」




汽車は走る。

ホームに彼を残して


「待って!どうして?シャウ!!」

ドアから飛び出そうとするアイリンをエティアとクライノートが必死に抑え、ドアに鍵をかけた。

「嫌だ!!一緒に行こうって…」

振り返ったアイリンの目に映ったのは、懸命に涙を堪えるエティアだ。

肩を掴む手は震え、ぎゅっとアイリンを抱き締めた。

「エティアさん?ねぇ。わかんないよ。何が起きたの?」

痛いほど抱き締めるエティアの腕に手を沿えて、蒼の瞳から一筋の雫が落ちた。

遠くで狼の遠吠えが聴こえる。



暖炉の火が激しく燃える。

書類も手付かずのまま、彼は一人目を伏せていた。

「何故戻った?」

静かに放たれた言葉は扉の向こうで立ち尽くしていた従者に届く。

「俺は行けと言ったはずだ。何故お前はここにいる?」

その声に以前のような力はないように思われる。

威圧のない人の声だからだろうか。

「約束を、果たさなくてはなりません」

「どうでもいいと言っただろ

アイリンはどうする?あいつはお前を慕っている。知らぬとは言わせない」

扉を開けて、シャウロッテは主に向かう。

アイリンの想いに気づいていない訳ではない。

シャウロッテ自身、彼女は特別だ。

おそらくそれは、愛とか恋といった感情なのだろう。

彼女のような人はそばにいなかったし、自身を頼りきってくれる人もいなかった。

何より、明るい性格に惹かれていった。

だからこそ、別れを告げたのだ。

「彼女は、強いひとですから」

明るく、誰とでも近づける。

人を信じ、懸命に生きる強いひとだと。

「死を望む私とは住む場所が違います」

「まだ、死に焦がれるのか?」

あの日と変わらない金色はそっと笑った。

はい と一言続ければ、レオバルトは笑うしかない。

「ククク…まったく、面倒な従者だ」

「マスター。面倒ついでに、一つ約束を足して頂けませんか?」

レオバルトは体を起こし、シャウロッテと向かい合う。

「いいだろう。ここまで仕えた褒美だ」



町中に号外が配られる。

空に散り、風に吹かれる散らしには、『悪魔の子レオバルト・ブラッセ暗殺』の文字が並ぶ。

賑わう商店街ではチラシはただの紙くずだ。

目を向けても、直ぐに捨てられる。

一人の死によって変えられた制度も、一般人には伝わりはしなかった。


最期の日の勇姿も語られず。


トランシーバーを片手に軍が迫る。

『運命の剣』の任は政府からではなくグランツが出したものだった。

かつて軍をもっても鎮圧は難しいと言われた右翼勢力をたった1日で潰したとなれば国にとっては見逃せなくなった。

もちろん、その情報がどこまでグランツに書き換えられていたかはわからない。

だが、結果、グランツの思惑通り、国は暗殺制度の撤廃とブラッセへの襲撃を決めたのだ。

多くの命を巻き込んで繰り広げられたシナリオが遂に終演をむかえる。

レオバルトはそれを知り、近くのものを遠ざけた。

グランツに頼んだのは従者の安全の補償だ。

すでにガタが来はじめていた自分は大人しくシナリオに従う代わりに、生きるはずだった彼らの命を補償したのだ。

避難地としてルノワール卿は快く承諾し、全て上手くいくはずだった。

長年の従者も、今は一人ではなかったから、ここには、レオバルトただ一人のはずだった。

誰もいない部屋に一人、暖炉の火を眺めていたレオバルトはゆっくりと剣をとる。

音と声がこだまする館はそれ自体が息をしているようだ。

「勝手な死は許さんぞ

シャウロッテ」

悲鳴、銃声、足踏み、奇声、その中央に荒れ狂う狼が一匹。

立派な牙を防弾チョッキごと喰い破り、鋭い爪で兵をなぎ倒す。

大きな体にも関わらず素早く動き回り銃の乱射が自滅を誘った。

おかしい、ここにはレオバルト・ブラッセしかいないはずなのに、誰もがそう叫び倒れていく。

怯むことなく押し寄せる軍隊のその真横の壁を突き破り、レオバルト・ブラッセが剣を突き立てた。

「ただでくれてやる命はないぞ」

実に生き生きとした表情は相手を凍らせる。

「くそっ。悪魔の一族め」

先日まで信頼を寄せていた政府側からこんな言葉を聞くとは、もはや情などいらないのだが、呆れて笑えてしまう。

増兵が到着し敵の数は増えるばかりだというのに、二人は逃げも諦めもしない。

「くっ!!貴様らはどこまで命を貪るか!?」

叫ぶ司令塔の耳元で

「死ぬまで悪を通すだけだ」

と囁き、その喉を剣が貫く。

だが、いずれは終わりを迎える。

ふらつく足元は限界を訴える。

それでも戦いをやめないレオバルトはいささか滑稽にみえただろう。

これは一つの約束だ。

重い体を引きずりながら剣を振るう姿は悪魔と言うには白すぎる。

後ろから襲っても真っ黒の狼が行く手を阻む。

黒白のコントラストは戦場でよく映えた。

次第に増える傷すらもそこでは色を感じさせない。

ズルリと狼が床に落ちた。

兵は今だと言わんばかりに押し寄せ、己の武器をレオバルトに向けた。

壁を背にしたレオバルトは翡翠を歪めながら剣を振る。

「さよならだ。シャウロッテ」

最期の力を振り絞り、跳ねた狼を切り裂いて銀の刃が血を吸う。

狼狽える兵に構わずレオバルトは力の限り剣を振るった。

横たわる狼が砂となる間際に見せた表情は…



最期の願いを果たすまでレオバルトは倒れるわけにはいかなかった。

「約束してください。決して潔くなどと、惨めな終わりにしないことを

マスターは、最期の瞬間までマスターでいてください。たとえ、それが世間でいう悪だとしても」

横たわる死体は数えきれず、銀に突き刺さる剣も無数、銃弾もいくつ浴びたかわからない。

それでもレオバルトは戦いをやめない。

「助けられたのは、俺の方か。シャウロッテ、

―――――」

血が抜けて白くなった体がついに崩れた場所は、従者の狼が消えた場所だったという。





チリン、チリン

「あら、きれいな音ですね」

国境の村でレクイエムが響く。

「えぇ。友人の形見なんです」

優しく微笑む男はフードを深く被っている。

「どちらまで?」

「そうですね。ずっと東へ行こうかと」

フードの下には赤茶の髪と、柔らかい翠の瞳が揺れた。

「ブラッセ公は悪魔の使い

近づくものは皆殺し

銀色コートに気を付けろ

夜道に光る翡翠の目

睨んだ獲物は逃がさない」

晴天の冬の街道を寂しく一人東へ渡る旅人が歌うその声は泣いているように聴こえた。




最期の日から二年が経つ。

クォーツテールの海岸で金糸の女性が一人覚えたての歌を歌う。

「アイリン、泰のオールから手紙だよ」

バッサリと髪を切ったクライノートが手紙を差し出すとアイリンはニコリと笑う。

泣いて泣いて泣いて、涙が枯れるくらいに泣いて、出した答えは生きるということだ。

彼が捨てた命の分まで幸せに生きるときめた。

「オール、来年の春に戻って来るって」

「そっか。あの狐さん強くなったのかな?」

「もしかしたら、クライより強いかも」

「まさか。そんなことあり得ないね」

アイリンはルノワール卿の娘として、クライノートは警備に、エティアはメイドとして仕えている。

近くの教会にはたくさんの子供たちがいる。

足を運んでは一緒に遊んで歌って、彼女は少しずつだが傷を癒していった。

もし、あの時前もって話を聞いていたら、彼女は二人の元を離れずに息絶えた事だろう。

もし、あの時シャウロッテを引き込んでいたら、彼は生涯罪の意識を背負う事になっただろう。

立てられない墓の代わりに彼女は熱心に教会に祈りを捧げた。




死に焦がれた狼は銀色の悪魔に寄り添った


金色に輝くイルカに恋をして


彼女を守らんと残酷な別れをした


狼は死を捨てきれず


イルカに生を託した


鎖は繋がり


彼女もまた、いつかは誰かに生を託す


巡るその鎖の中でいつかまた


巡り会えることを





ChainOfFate end


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