第30話  最期

少年は平穏を求めた。

他愛もない遊びに憧れた。

ガラス越しにみた遊びをいつも夢にみた。

越えられないガラス、逃げ出せない血筋、拘束する制度、全てが自由を奪った。

直ぐそばなのに届かない幸せを背に少年は泣いた。

泣いて泣いて泣いて変えてやると誓った。

子供たちが歌う悪魔の歌を傷だらけの心で聞きながら。


「ブラッセ公は悪魔の使い

近づく者は皆殺し

銀色コートに気を付けろ

夜道に光る翡翠の目

睨んだ獲物は逃さない」

ばさり、乱暴に投げ捨てられた書類の束に歌が止まる。

「酷い歌だな」

「知らない?街の子供ならみんな歌ってるよ」

歌を止めたグランツは困ったように笑い、書類を手にとる。

歌を知らないレオバルトは表現を変えずに前の椅子に腰かけた。

「俺が街に出ないことは知っているだろ」 

「うん。そうだったね」

メイドが運ぶ紅茶を啜りながら、その後は二人とも黙ったままだった。

『運命の剣』の件から2ヶ月が経ち、季節は冬、首都サムワールもレオバルトの住むリバーサントも真っ白な雪に覆われていた。

深傷を負ったレオバルトとはグランツが運び、シャウロッテはなんとか自力で歩いた。

館に着いて意識を失い、目が覚めたのは一週間もたってからだ。

その後『ノクティス』から合流していたオールとマオインは杏と共に泰国へ渡った。

彼らの目に涙はなく、船から笑って手を振っていた。

アイリンとエティアはリオンの訃報を聞き泣いていたが、直ぐにいつもの生活を取り戻した。

クライノートは動けないレオバルトに変わり仕事をこなし、シャウロッテはそれについていった。

「元気、ないね」

「黙れ」

父親の気遣いにも乱暴に返すレオバルトにグランツは反抗期かと冗談を言って笑う。

部屋の中でも銀のコートを脱がないレオバルトの為に暖炉に薪を足すと、火は激しく燃えた。

「レオ君は、もうわかっているんだよね?『シナリオ』の行く先が、ブラッセの…滅亡だってこと」

グランツの目は真っ直ぐ翡翠を見つめる。

ブラッセ最低の実力とは言え、その目に映る野心は力強いものだった。

「その為の『俺』だろ?」

あくまで冷静を装うレオバルトはグランツが何を望むかは知らなかったが、何がなんでも貫く決意を知っている。

その為に自分がいることもだ。

「いつ、気づいた?」

「さあな。あんたが俺の名を呼ばないと気づいてからだ」

グランツはいつでも「レオ君」と呼ぶ。

記憶の中に声がない事を知り、グランツが自分を避けていると知る。

「分かりやすいんだよ。大方、変な感情を持たないように遠ざけたんだろう」

一つ頷いて、敵わないなと溢した。

「生まれた経緯を見れば割りきれると思ったんだ。だから、少し欠陥を残したままにした。その度に、君は人じゃないって思い直せると…でも違った。試験管の中で生まれても、君は僕の血を分けた生命だ

辛くなって、僕から遠ざけたんだ」

懺悔のような言葉を黙って聞く。

その目は決して穏やかではないが、憎悪に支配されている訳でもない。

「リオンには反対されたんだ。命を弄んで、ウィルとやっている事は変わらないって。リオンはいつもレオ君を気にかけていたよ。僕よりずっと、父親らしかった」

持ち帰った獅子の骨を埋めて墓をたてた。

彼の墓はラグナの墓地にたてられ、今も愛する者と眠っている。

葬儀は行わず、喪服で何度も墓参りをするグランツが惨めに見えた。

「レオ君、僕は、やっぱり間違っているのかな?」

「ここまできて引き返せると思っているのか?」

余りに弱い言葉を吐くグランツにようやくレオバルトが口を開いた。

翡翠は変わらず冷たい色をしている。

「あんたは変わらず自分を貫けばいい。だが、忘れるな。あんたの野心に巻き込まれた奴は少なくない

あんたは正義じゃない、悪だ」

同じ色のはずの翡翠が自分よりも輝いているように見える。

グランツは目を伏せて頷いた。

「ねぇ、レオ君。最後に、親として君にしてあげれる事ってないかな?」

「自己満足にか?」

「…うん。そんなところ」 

笑うレオバルトを優しく見つめグランツは最後の懺悔を済ます。

「そうだな。なら、一つ、頼み事をしたい」

自分に似た翡翠はついに最後までその表情を崩さなかった。




外は分厚い雲に覆われ、綿のような雪が降る。

静まり返る夜道に一台の馬車が停まっている。

その隣にこんな日にも手袋すらしない従者が黙ったまま突っ立っていた。

「帰る。お前は見ているだけで寒いな」

鼻を赤くしているシャウロッテがペコリと頭を下げると急いで馬車の戸を開ける。

途中視線がぶつかると金色の眼を曇らせて顔を反らすのだ。

こんな状態がもう3週間、忠実であることに変わりはないものの、過ごす時間が多いだけに居心地が悪い。

この帰り道も馬車の中では二人きりだ。

寝るには中途半端な道のりをどうすごして行くべきか。

馬車はゆっくりと走り始め、蹄の音が響いている。

しばらく外を眺めていたレオバルトだが、冬の夜道は雪ばかりでなんの面白味もない。

チラリと従者を見ればうつむいたまま、時折こちらを気にかけている。

言いたい事はあるが、きっかけを作れないようだ。

「あの日も、雪が降っていたな」

視線を窓に戻したレオバルトが呟く。

音のない雪の中、一台の馬車がトコトコ走る。

「マスター…あの…」

口ごもるシャウロッテの目は床とレオバルトを細かく往き来していた。

言葉が続かない。

結局、言い出せずに黙ってしまう。

呆れたレオバルトがため息をつき、やはり視線を窓にける。

「十年か…長かったな」

「え?……そう、ですか?」

十年とは、レオバルトがシャウロッテを従者にしてきた歳月のことだ。

以来、アイリンとクライノートが来るまで他者を寄せ付けなかった。

今でも二人を認めているかはわからないが、少なくも嫌っているようには見えない。

「この十年で殺した命は数えきれない。お前はよくやってくれた」

珍しい発言に目を丸く見開くシャウロッテに同時に込み上げてきたものは何とも言えない寂しさだった。


出逢いは十年と少し前

北の大地だ。

―――――

―――

ピョコンと髪から飛び出る狼の耳が細かく動きながら辺りを警戒している。

ぐすぐすと泣きじゃくる狼の少年は赤に染まった老夫婦を揺する。

盗賊が殺した老夫婦が声を発することはない。

それでも少年は老夫婦を揺すり続けた。

少年もまた、赤に染まっており、無数の傷から血が溢れていた。



「何でこんな寒い日に北に来ないとならねぇんだ?」

ガチガチと歯を鳴らし森を抜けたのは眼鏡のない若き日のリオンだ。

文句を言いながら歩くその後ろを彼の半分ほどの背丈の子が仏頂面でついている。

氷と同等に冷たい翡翠をもつレオバルトだ。

「寒くねぇか?お前は寒さに弱いんだから、辛かったら言えよ」

立ち止まって振り返るがレオバルトは歩みを止めない。

返事すら返さずに真っ直ぐ進んでいる。

現場にはもう何回も同行した。

その度にリオンは不安になる。

彼はレオバルトの産まれた経緯を知っていたのだが、普通の子と同じように接したつもりだった。

だが、やはりブラッセの暗殺業はよろしくない。

こんな子供が表情一つ変えずに人を殺すのだ。

いつかこの少年が自分の仇であるウィリアムを殺す。

それがシナリオだとしても、リオンは納得がいかなかった。

ふと、レオバルトが足を止める。

「レオ?」

少年は前方を指差して静かに言う。

「火じゃない。もっと濃い、血の赤だ」

先に見えた山小屋は辺りの雪を赤に染めていた。

「っ!!……なんだよ、これ。資料と数が合わねぇぞ」

山小屋にあったのは人、人人、ただし、どれも息をしていない。

多くは喉や腹を千切られ、あるものは四肢が見当たらない。

「リオン、父上に報告しろ。俺は先にいく」

「は?待てって。一人じゃ危ねぇっ…」

翡翠がリオンを睨んだ。

子供とは思えない尖った視線に息をのむ。

「……無茶はするなよ。直ぐ戻るからな」

走るリオンを見送りレオバルトは息を吐いた。

もう、赤にはなれてしまった。

なんの感情も湧いてこないことに違和感を覚えながら、足は一歩一歩廊下を進む。

人を傷つける為に産まれたと言い聞かせる彼は人を人として見なくなっていた。

屍を踏みつけゆっくりと奥へ、部屋に飾られていた平穏な写真は全て割れている。

誰も自分を人としてみないなら、こちらも同様にすればいい。

いつしか澄んだ翠の瞳は冷たく凍った翡翠にかわる。

そうしてようやく評価を得た。

人格も与えられてはいなかった。

初めから必要なのは跡継ぎで、何でもよかったのだから。



小屋の奥の部屋から音が聴こえる。

そっと忍び寄れば、音はすすり泣く声だった。

「起きてください……おじさん…おばさん…起きてください」

壊れたように繰り返す声は止まらない。

ずっとずっと続く。

開いたままの扉から覗くと、ボロボロになった少年が朽ちかけた老夫婦の側に座り込んで泣いている。

金色の目からは絶えず大粒の涙が溢れ、頬から滴る血と混ざって床に落ちた。

「…狼?」

ピクリと声に反応した少年の耳は獣のもので、開いた口からみえる犬歯は鋭くとがっていた。

レオバルトに気づいた少年は泣き腫らした目を向けて老夫婦を揺するのを止めた。

小さな口が紡ぎ始めた言葉は掠れている。

「あなたも、私を殺しに来たのですか?」

押し寄せる盗賊は少年を狙い、噂が立ち込めると、狼は危険だと何人もの人が少年を殺そうとやってきた。

「もう……いいです。殺してください。私がいたから、いけないんです。私は生きてはならないんですよね」

獣人は生きる執着心が強いときく。

なのにこの少年は殺してくれと言うのだ。

驚き固まるレオバルトの前、少年はガタガタと体を震わせる。

「『本能』は生きろと言うんです。でも、生きたくない。あなたは、私を殺してくれますか?」

冷たい青の光が弾け、唸りをあげた。

牙を剥き出して襲いかかる狼を前に、レオバルトは剣に手をかけた。

その時、パッと重なったのは紛れもなく、自分自身だ。

腕は剣を抜けなかった。

生きたくないのに、居場所がないのに、生きなくてはならない。

その辛さを知っていると気づいた。

もし、誰かが自分を認めてくれたら。

もし、誰かが自分を必要としてくれたら。

もし、自分が誰かを必要とできたら。



刺さる牙を押し返し、狼をとめる。

翡翠は真っ直ぐ金色を映した。

「あぁ、殺してやる。必ず俺がお前を殺してやる。だが、今じゃない。今は俺についてこい。

その本能に誇りをもって、生きてみせろ。

シャウロッテ・ライトライン!!」

その名は確かに少年の名で、壊れた写真立てに刻まれた唯一の名だった。

光の道となれ。

やさしい老夫婦が少年を抱き締めてささやく。

狼は骨を断ち切る前に、牙を抜いた。

歯形がくっきりと残った腕は熱く、酷い痛みをうむ。

ドクドクと脈を打つ身体に穏やかになる自分がいる。

やはり、生きているのだ。

少年の姿に戻ったシャウロッテは大声をあげて泣いた。

「…何故泣く」

当然、子供のあやし方をしらないレオバルトは呆れたように呟いた。

シャウロッテは嗚咽を漏らしながらレオバルトの手を握る。

「あなたが、生きろと言ってくれたから。あなたの為に生きるから。私を、一人にしないでください」

少年はどれほどの時間を罵られ殺しながら孤独に生きたのか。

「私は、一人では生きられないんです」

死を願っても『本能』がそれを許さず、誰かを求めても罵声ばかりが投げられた。

死も生も与えてくれたあの言葉が、少年にとってどれほど嬉しいことかレオバルトは知らない。

「約束しよう。必ずお前は俺が殺す。

その代わり、その命が尽きるまで俺に仕えろ」

横暴で一方的な約束だった。

それでも、少年は嬉しそうに手をとってすがる。

「私、シャウロッテ・ライトラインは、この命の全てをあなたに捧げます」


―――

―――――


「あのあとのリオンの狼狽えっぷりは見物だったな」

噛まれた腕をみてムンクの如く叫びをあげたリオンは慌てて手当てにかかった。

レオバルトがそれまでの事情を説明すると、彼は優しくシャウロッテの頭を撫でた。

大きな手は今でも忘れられない。

「お前は、まだあの約束に拘るか?」

馬車は歩みを止めない。

向かい合う馬車の中、声は静かに響いた。

死を望んで掴んだ手だが、いつしか繋がりは広がっていった。

同僚のリオン、エティア

『ノクティス』のロッシュ、オール

クライノート、そして、アイリン

「俺の考えは見抜いているんだろ?だから、お前は迷っているんだ」

十年は確かに長かったが、ここ半年は特に長かった。

そして、アイリンとの出会いが感情に大きな影響を与えたこともわかっている。

「約束など、もうどうでもいい。最後はお前の好きにしろ」

「しかし、私は…」

うつむく彼の目は潤んでいた。

その表情に思わず笑みが溢れる。

「全く、泣き虫は治らんな」

「っ!!……まだ、泣いていません」

「ククク…何かにつけて泣いていたのは事実だろ」

「そ、それは…」

顔を赤くして目を背ける従者をまた笑う。

シャウロッテはよく泣いた。

レオバルトが原因であることが多かったが、本当によく泣いた。

泣けば怒鳴られるとわかっても、その金の目から涙が溢れるのだ。

「お前は俺より人間らしい」

笑うレオバルトは穏やかな表情をしている。

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