第27話 最終戦 VSシーカー
「さぁ、そろそろ引き上げよう。この様子だと、他も終わったみてぇだしな」
つい先程までざわめいていた廃屋が静まり返っている。
チリンとリオンの耳飾りが揺れた。
目的は果たした。
後は日をおいてシーカーと神の子を見つけ出せばいい。
散らばった他の者には与えられた任が終わり次第廃屋から出るように指示してある。
「ウサギちゃんも一緒に行けばいいんだよね?」
「おぅ。もう、向かっては来ねぇだろ」
ただ泣き続けるウサギに目をやる二人だが、シャウロッテだけは視線をそらした。
まだ、完全には許せないようだ。
「レオはシャウに任せて、ウサギは俺が連れていくぞ」
チリン チリンとわざと音をたてる。
ウサギはその音が気になるのか、伏せていた目を上げ、泣きすぎて赤くなった目はハッキリとリオンをとらえた。
「…ら、ぐな?」
「?」
「かみさま……すき…らぐな」
少女が紡ぐ言葉が何を意味するのか。
だが、出てきたらぐなという単語にリオンは驚くばかりだ。
ラグナの民はシーカーによってほとんどが滅ぼされ、それ以来世間からは忘れ去られていた。
こんな幼い子が、況してや獣人が知るはずがない。
「かみさま、かなしい。らぐな…いない」
「神様……ルチャル神の事か?」
「……かみさま、さがす…らぐな」
小さな声を拾おうとしゃがみこむ。
ラグナの音色に気を許したのか、ウサギは怯えながらも逃げようとはしなかった。
「……らぐな、かみさますき。かみさま、あいたい」
接続詞のない子供ならではの語りに苦戦しながらもリオンは真剣だった。
ラグナはルチャル神によって滅ぼされたと言ってもいい。
たとえシーカーに悪用されたとしても、力の根源はルチャル神にある。
そのルチャル神がラグナの事を想っているのなら、それは僅かでも亡くなったラグナにとっては救いだと思った。
「かみさま、くるしい。らぐな、しんじる。かみさま、たすける」
「それは…どういう…」
突然握られた小さな二つの手が、リオンのごつごつした手をとった。
真っ直ぐ向いた漆黒の瞳をむけて小さな口が言葉を繋ごうと開いた。
「…っ……」
が、ウサギの子は黙り込んだ。
その瞳にはリオンでなく他の人影をうつしていた。
表情の変化にリオンが後ろを振り向いた。
横たわるレオバルトと支えるアイリン、隣のシャウロッテも同じ方向を向いていた。
「あれれ?1人も殺せなかったのかな?」
窓辺に座り、にこにこと笑みを向ける白衣の男が左目に付けたモノクルを光らせて、まとめた長い髪を揺らす。
男の登場に和み始めた空気はガラリと変わる。
男は腹を押さえながら起き上がったレオバルトに目をやると、満足そうに微笑んだ。
「あぁ、全く役に立たなかったわけじゃないみたい。レオバルト君に深傷を負わせたなら上出来かな?
でも、失敗作に変わりはないね」
「…ウィリアム・グラウン」
レオバルトの睨みに怯む事もなく、彼は歩きだした。
この男こそが、ルチャル神を手中に納め、『運命の剣』を創設したシーカー ウィリアム・グラウンだ。
牙を向くシャウロッテはレオバルトに手出しはさせまいと立ちはだかる。
シーカーはシャウロッテの近くまで行くと歩みを止めた。
「確かに、レオバルト君を殺すには絶好の機会だよね。でも、今は興味がないんだよね。グランツの作ったものなんて、さ」
「っ!?」
「シーカー!!」
驚くシャウロッテの後ろから飛び出したのはリオンだった。
その手に銀の鋭い爪を光らせて、橙の目は見たことのない憎悪を滲ませていた。
いつもは明るく、時に優しい表情のリオンがこんな顔をするのか。
シャウロッテとアイリンはもちろん、レオバルトですらも息をのむ。
「僕が、単身で乗り込むと、思ったの?」
リオンの気迫にも動じないシーカーはすっと右手を上げる。
同時に、シーカーが入ってきた窓から姿を表したのは『あの日』と同じ化け物だった。
「失敗作でも、役にたたないとね。それと、僕の邪魔はさせないよ。リオン・レオパード」
苦し気に声をあげて部屋に進入した化け物の、その姿が『あの日』見たシンシアの母と重なりリオンは手を出すことができない。
化け物はリオンの前に立ちふさがり、シーカーは難なく歩きだす。
「リオン殿!!」
先に動いたのはシャウロッテだ。
蒼白い光を放ちながら化け物に食らいつく。
暴れ狂う化け物は壁や天井を壊し、声をあげる。
「シャウロッテ!っ?シーカーは?」
化け物に気をとられていたリオンが振り向くとシーカーはウサギの元にたどり着いていた。
彼が何をしようとしているかなど容易に想像できる。
まずいと駆け出すリオンだが、シーカーはウサギの後方に回り見せつけるようにナイフを取り出す。
「殺処分は当たり前でしょ?」
怯えて動けないウサギの喉元に添えられたナイフは、リオンが近づいたのを見計らい斜め下に引き抜かれた。
吹き上がった赤い液体を頭から被った。
ウサギの子が最期に見せたのは救いを求める目だ。
また、守れなかった。
滴る血液が気持ち悪い。
呆然とするリオンを置いてシーカーは立ち去った。
レオバルトは後を追えない。
シャウロッテは交戦中だ。
難なく逃げるシーカーに圧倒的な敗北を感じる。
同時に沸き上がるのは深い深い憎しみだ。
噛み締めた唇から血が落ちる。
シンシアもブラスティーナもラグナの仲間もこのウサギもたった一人の好奇心のために犠牲となった。
国の為でも人の為でもなく、一人の欲求を満たす為だけにだ。
「ウィリアム・グラウン!!」
吼えたリオンの橙色の瞳は鋭く光り、額には怒りによって青筋が立つ。
「リオン!待て、追うな!!」
腹を押さえて怒鳴ったレオバルトの声は届かない。
駆け出した獅子はあっという間に姿を消した。
対称的な音色を残して
「っ……あの馬鹿が」
「レオ、ダメだよ。傷が開いちゃう」
血は止まったものの完全に治ったわけではない体を起こしリオンを追おうとするが、アイリンの言う通りほんの僅かな振動さえも裂くような痛みに変わる。
レオバルトは震えるほど手を握りしめ頼みのつなであるシャウロッテに視線を移した。
黒い狼はずいぶん離れたところで戦っている。
化け物の動きは単純だった。
一撃の威力はあるものの避けられないものではない。
先ずは動けない二人から距離をおき安全を確保するのが優先だ。
ちょこまかと化け物の隙を縫いながら誘導し、時おり噛みついて標的を自身に向ける。
そうして、十分な距離が取れたら後は化け物を倒せばいい。
振り上げられた前足に飛び付き、自慢の牙を突き立てる。
二度、三度と食らいつけば肉は裂けていく。
耳を破るのではと思うほど痛々しい声が響く。
シャウロッテも馬鹿ではない。
この化け物が元々は別の生き物で、シーカーにより歪められた生き物であることはわかっている。
望まない争いをしているのかもしれない。
しかし、だからこそ生かしておくわけにはいかないと思った。
ブツリと斬り落ちた前足から真っ黒な血が流れる。
シャウロッテの黒い体毛は更に黒さを増し、その戦いは墨で描かれているような錯覚さえする。
真横から迫った尾に吹き飛ばされようと直ぐ様立ち上がり牙を剥く。
何かを振り払うように戦闘に集中していた。
「レオ…私…怖いよ」
アイリンの手は震えていた。
不安気に青の瞳がシャウロッテを見つめる。
レオバルトは言葉を発することなく死闘を続ける狼を見ていた。
切り落とした腕をくわえた狼は返り血を滴らせながら獲物に向かっている。
化け物の体が崩壊を始めたというのに攻撃を止めようとはしなかった。
普段は忠実で、どちらかと言えば大人しい性格のシャウロッテだがその面影は今は見当たらない。
牙を剥き出しにした彼は狼そのものだった。
「アイリン、体を支えろ」
「え?何をするの?」
「あの馬鹿犬を止める。ルチャルの余波に当てられたのかは知らんが、本能にのまれてるだけだ」
遠吠えする狼は朽ち逝く化け物の肉を食らっていた。
黒い毛から覗く頬の傷がなければこの狼を撃ち殺そうとしただろう。
「本能って…でも、シャウはシャウでしょ?直ぐにいつものシャウに戻るでしょ?」
アイリンの問いにレオバルトは答えない。
ただ真っ直ぐ狼を見据えている。
その翡翠は怒りのみの色ではない。
どこか柔らかい、アイリンは見たことのない碧だ。
「支えてくれ」
「!?……うん。」
明らかに普段と違うレオバルトに戸惑いながら、アイリンは立ち上がり手を差し出した。
腹の傷はアイリンの治癒能力でも完全に塞がったわけではない。
無理矢理体を起こした為に滲む血は先に広がった血溜まりで見えないが、よろよろと力なく立つ姿を見れば痛みを必死に耐えているのがわかる。
手を離してしまえば立ってはいられない。
何よりも冷たい目をし、体は生きようとはしなかった。
そのレオバルトが今や誰よりも生きようとしているようにも見える。
立ち上がったレオバルトに気づいた狼は砕けた獲物を守ろうと唸りをあげた。
剣を向ける銀の姿を前にそれを敵と認識している。
牙を剥き出し睨む狼が飛びかかると同時にレオバルトはアイリンを突き飛ばす。。
倒れる彼女の瞳に映ったのは銀と黒がぶつかる瞬間だった。
―――――
―――
―
雪山で産まれた一匹の狼は親に見放され、頬に深い傷を負い、群れから追われ、山を下った。
「生きろ」
その本能だけが狼の命をつなぎ止め、覚束ない足取りで山のふもとにたどり着く。
出会った老夫婦はやさしく出迎え、暖かい毛布と甘いスープ、大きな手で狼を抱き締めた。
初めての事に怯える狼を老夫婦は自分達の子供のように育て、名前を授けた。
狩を覚え、言葉を覚え、生活を覚えた。
老夫婦の力になろうと狼は従順に働いた。
森でウサギをやキジを捕えて来ると老夫婦は褒めてくれる。
畑仕事も手伝いたくさんの野菜を収穫し、食べる事ができるものを知る。
群から追われた狼にとって老夫婦との時間は幸せなものだった。
だが、狼はただの狼ではなかった。
噂は村を街を流れ、悲劇の始まりを生み出した。
噂を聞き付けた人々が、老夫婦の小屋を襲ったのだ。
狼は人を殺す意味を知らない。
食う以外の殺戮を知らない狼の目の前で、老夫婦は盗賊に殺された。
親が見棄てた自分を大事にしてくれた老夫婦だった。
狼は伸ばされた人間の腕を知らぬ間に噛みきっていた。
何故、老夫婦が殺されなければならないのか。
自分は老夫婦の元でしか生きてはいけない。
捕まるくらいなら、老夫婦と共に死を迎えたかった。
だが、本能はそれを許さなかった。
手が伸ばされる度に狼は牙をたてる。
小屋を襲う人はあとを絶たず。
次第にその目的は狼を捕らえるのではなく、殺すことになっていく。
うずくまる狼は血と共に罵詈雑言を浴びた。
生きてはならない。
自分がいたから人が死ぬ。
この命に価値はない。
許されることなど何一つない。
狼は死を望んだ。
転がる亡骸を前に泣き続け、それでも本能は許さない。
ただ一つの望みさえ狼には許されない。
―
――――
翡翠の目の前に牙が迫る。
だが、牙はそれ以上進まない。
黒の毛を撫でると狼はぽろぽろと泣いた。
泣き虫は変わらないと苦笑するレオバルトに狼は頬を寄せる。
「泣いている暇などないだろ。シャウロッテ」
すくっと立ち上がったシャウロッテはすべき事を理解しているようだ。
尾を振り、主に頭を下げると駆け出す。
向かうのはリオンの元だ。
「お前は……」
シャウロッテの去った部屋で呟いた声をアイリンは確かに聞いた。
「レオ、シャウは幸せだよね?」
「さぁな」
ぐったりと天井を仰ぐレオバルトはぶっきらぼうに答えた。
幸せなどを考えた事はない。
望みが叶う事が幸せなら、シャウロッテは幸せではないのだろう。
望みを叶えられない事が不幸なら、誰一人幸福ではない。
望みを叶える事が苦しい者だっている。
「アイリン、俺の仕事は救いじゃない」
ブラッセを背負うとは憎しみと恨みを背負うことであり、救いとは縁遠い。
「それでも、シャウも私も救われたよ」
治癒を再開したアイリンはレオバルトが目を閉じていることに気づいた。
瞼の下で翡翠は何を思うのだろうか。
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