第26話  最終戦 VSシーカー

ガサガサと瓦礫を這い上がるのはセルビーンだった。

ウサギに突き落とされても生きているのは流石猫科というべきか。

「落ちたらぁ、登れないじゃなぁい…」

落ちた壁を見上げるが、その高さは這い上がれるものではない。

それに、先程の大きな叫びからすでに決着は付いたと思われる。

勝負に負けたのは明らかだった。

このまま姿を眩ませるのがもっとも安全な選択なのだろうと考えた。

しかし、黙って逃げるのは腑に落ちない。

セルビーンは瓦礫に座り、どうしたものかと頬杖をつく。

「ねぇ、山猫さん」

突然の声に振り向けば、セルビーンの目は真ん丸に見開かれた。

「…あんたってぇ」

セルビーンが言葉を続けようとすると、声の主は人差し指を口に当てて制する。

怒鳴り付けられるわけでも、脅されるわけでもない。

なのに、有無を言わせぬ何かがある。

声の主は口に当てていた指をすっと上にむける。

そこにはセルビーンが突き落とされた穴がある。

「あそこに、レオ君はいるのかな?」

にこりと笑う男の瞳は、確かに、レオバルトと同じ色の翡翠だった。




泣きじゃくるウサギの子をアイリンがなだめている。

いくら殺害対象の獣人であっても相手は自分の半分もない幼い子供だ。

これからの対処によっては保護する価値もうまれるだろう。

真っ赤に腫らした目を下にし、声をあげて泣くウサギの子が先程の獣とは思えない。

遠くで息を調えるシャウロッテがわざとウサギの子を生かしたのかはわからないが、彼は実に堂々としていた。

トランスを解き、スーツを正す姿はいつもと全く変わりがない。

そんなシャウロッテを遠目にレオバルトはゆっくりと立ち上がる。

状況が落ち着き、冷静さが戻ってきた。

それと同時に押し寄せるのは疑い。

エドワールの言葉を否定できなかった自分がいたのは事実だ。

不安に駆られて周りを見れずにいたのも事実だ。

頭の中は思った以上に冷静だった。

だが、アイリンがウサギの子にかける声は聞こえない。

木霊するのはただ一人言

『かのブラッセ公の後取りが試験管の中で生まれたなんて』

否定できなかったエドワールの言葉だった。

目を背ける事が簡単だと何故言えるのか。

認めたくはなくともそこに現実が有る限り背ける事は許されない。

広げた革の中にある手には確かに血が通っているはずなのに、何故こんなにも冷たく感じられるのだろうか。



『――――――――』

「二度も……」

奥歯を噛み締めたレオバルトは静かに剣を収めた。

「シャウ、今怪我治すね!!」

だいぶ落ち着いてきたウサギから離れアイリンが駆け寄ってきた。

いくら上手くかわしてきたとはいえ、無傷で済むはずがない。

所々に傷が付き血が滲んでいた。

「いえ、この程度なら問題ありません。なめておけば治ります」

「だめ!けっこう深い傷だってあるじゃん!」

狼の彼にとって傷は自らの治癒力で治すのが当たり前だ。

無駄に染みる消毒も馴染めるものではない。

アイリンは純粋にシャウロッテを心配しているだけなのだろう。

腕を掴んで放さない彼女に、折れたのはシャウロッテの方だった。

「全て治す必要はありませんよ」

「わかった。レオの怪我だって治さないといけないもんね」

そう言って、彼女はシャウロッテの足の傷に触れる。

生き物にとって、足がどれ程重要かはわかっていた。

輝く光と共に痛みは消えて、赤く口を開いていた傷はきれいに塞がった。

短期間でここまで力を使いこなすアイリンが頼もしくみえる。

「ありがとうございます」

にこにこと上機嫌なアイリンが、さて次はと視線を向けた先で、その笑みは一瞬にして奪われる事になる。

「マスター!!!!」

アイリンより先に飛び出したシャウロッテの目の前で、視線を上げた翡翠に映る飛び散った赤は、気持ちが悪い色をしていた。



『殺セ。殺セ。人間ハ殺セ。オ前ニ危害ヲ加エル全テヲ』

「人間を……殺す?」

『ソウダ。奴ラハオ前ヲ傷付ケル。ダカラ、殺シテシマエ』

「どうやって?」

『目ノ前ニ落チル剣ヲ取レ。我ガ力ヲ貸シテヤロウ』



酷く不快な感情が巡っているのを感じていた。

レオバルトはその不快を払い落とす術がわからない。

苛立ちながらも目の前の従者の元へ歩みを寄せる。

それは決して速いとは言えない。

ぐるぐると回る言葉は未だに視界を遮っている。

自分の存在が安定しない。

浮遊感に似たふわふわとした足元に何も考えたくはなかった。

だが、そう思えば思うほど悪魔のような言葉ばかりが浮かんでくる。

「マスター!!!!」

突然の声に気づけば、シャウロッテの眼は真ん丸に拡げられていた。

何かあったのかと顔を上げる。

視界にはシャウロッテとアイリンが立っている。

何か…足りない。

「あなたも、私を虐めるのね」

血は銀を紅に染め上げた。

視線を下げるとコートを突き抜ける剣は確か、エドワールの物だ。

真っ赤な液体を滴らせ体を貫通したそれに気づくまでずいぶん時間がかかった。

喉を競り上がる大量の血液にも色を感じなかったのは言葉のせいなのか。

「マスター!!マスター!!」

駆けつけたシャウロッテに全てを委ねるようにレオバルトの体は倒れた。

剣を手放したウサギの子は噴き出した血液に怯えてうずくまっていた。

ガタガタと震える体を小さく丸めて泣いていた。

「マスター!!マスター!!」

シャウロッテの呼び掛けに返事はない。

ドクドクと流れ出る赤を止められない。

「シャウ!!どいて、傷を塞ぐから」

狼狽えるシャウロッテをはね除けてアイリンがレオバルトを抱えた。

青白い光を放ち、即座に治癒を開始する。

「絶対に死なせないから!レオ!」

コプッと口から血が溢れる。

傷を塞ぎながら剣を引き抜くと僅かに指が動いた。

必死になるアイリンの隣で、シャウロッテは銀から流れ出る赤を見て震えていた。



(マスター…マスター…誰のせいだ?誰のせいで…私?私のせいでマスターが?私があの子を殺さなかったから?)

時々呻く主人をみて、シャウロッテは混乱していた。

幼い獣人は保護を優先とする。

それはブラッセにおける規則のようなものだ。

もちろん、今回も例外ではないと判断した。

それがどうだ。

その息の根を止めなかったばかりに大切な主人が血を流した。

たった一人の主人がだ。

(私のせい……?違う。違う違う!)

抱えた頭の中で何かが壊れていく。

涙目になった金色が睨んだのは、泣きじゃくるウサギだ。

(全ての元凶はあの子じゃないか!!)

「シャウ!!待って!その子はっ」

アイリンの声は届かない。

走り出した黒の牙が、爪が伸び、獣の耳が顔を出す。

主人を刺した幼いウサギをギラリと光る金が睨み付ける。

ブラッセの規則も人間の情も関係ない。

彼を支配していたのはただ一つの憎しみだった。

爪が涙を流す目に突きつけられる寸前、アイリンはぐっと目を閉じた。


「シャウロッテ!!」

目の前に突きつけられた爪が瞳の数ミリ手前で止まっている。

死ぬことを覚悟したのかウサギの子は呆然とみているだけだった。

丸く大きな目からぼろぼろと涙を流していた。

「………リオン…殿?」

自らを止めた声の主を確認するシャウロッテは顔だけを向ける。

リオンが息を荒げてカツカツと歩み寄る。

サウトとの死闘を終え、ブラスティーナの弔いをした後、異変に気づいたリオンはレオバルトを心配して走ってきた。

するとどうだ。

案の定レオバルトは血を流し、その従者のシャウロッテは我を忘れてウサギを殺そうとしている。

「シャウロッテ、今お前は何をしているかわかっているのか?」

幼い獣人は保護が優先だ。

それに反すればそれなりの処罰が下るはずだった。

「しかし、彼女はっ…マスターを…」

彼にとって規則は二の次で、主人を守りきれなかった責が激しく責め立てる。

そんなシャウロッテをリオンは力任せに殴った。

「この馬鹿犬が!狼狽えるな!!お前の主人は誰だ?不意討ちをくらって死ぬような奴か?

違うだろ!?お前の行動はレオへの侮辱でしかないんだぞ!!」

殴り飛ばしたシャウロッテに向かってリオンが怒鳴る。

長くレオバルトと共にしてきた彼だからこそ、今何をすべきかわかっていた。

決して、刺された事の仕返しなどではない。

赤く腫れた頬に手を触れたシャウロッテはチラリと主人に目を向ける。

翡翠の目は閉じたままだが、呼吸は幾分か穏やかだ。

同時に金の目からはぼろぼろと涙が落ちる。

仇討ちを良しとするはずがない。

文句を言いつつも規律には忠実な人なのだから。

「ぁっ…私は……」

「しっかりしろよ。シャウロッテ。レオの隣にいるのはお前の役目だろ?」

一転して優しい笑みに安心からなのか、シャウロッテの頬を流れる涙の量は増えるばかりだった。



暖かさを感じて目を開けるとなんの変わりのない天井が見えた。

「よ、レオ。お前がヘマなんて珍しい事もあるんだな」

大きな口を目一杯広げて笑うリオンがいた。

動かない体に鞭を打ちながら起き上がると、アイリンが慌てて支えた。

レオバルトは話さない。

一言たりともだ。

愚痴や暴言が飛び出すと思っていたリオンは空回りした空気に戸惑った。

「レオ?」

しゃがみこんで目の高さを合わせるリオンに虚ろな目を向ける。

「リオン…お前は……全てを知っているのか?」

「……あぁ。グランツの企みも、シーカーの目的も、お前が産まれた経緯も…全部見てきた」

光を無くした翡翠を見て確信した。

誰から聞いてしまったのかはわからないが、知ってしまったのだと。

「でもな。俺はお前に生きてほしい。俺だけじゃねぇ。アイリンもシャウもお前に付いてきた奴はみんな」

橙の眼は切なく笑う。

大きな手が髪をぐしゃくしゃと乱すのにレオバルトはじっとしていた。

「レオ、レオが死んじゃったら、私悲しいよ。だって…大切な仲間なんだよ?」

真剣な表情のアイリンは治療を続けながらレオバルトの顔を見ていた。

初めて見せる弱気な顔に彼女も戸惑っていたようだ。

アイリンの手を取り、「大丈夫だ」と呟いたレオバルトはそっと微笑む。

漸く安堵の色が見えた。

ふと思い出したように振り替えれば、肩を震わせて静かに泣いている従者がいた。

近づく事を恐れて立ち尽くす彼に

「心配かけたな。シャウロッテ」

と、声をかければ。

「……マスター…すみませんでした」

謝らなければならないのは自分なのにと手を伸ばす

恐る恐る手を取ったシャウロッテがよかった、よかったと繰り返す。

従者はその場に座り込んで顔をおおった。

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