第25話 最終戦レオバルト
『いいか、レオバルト。お前は如何なる時も冷酷でなければならない。
ブラッセを継ぐ者の誇りを守り、国の為にすべてを捧げよ』
「…はい。先生」
部屋には机が二つ
椅子が二つ
黒板が一つ
何語かわからない辞書がたくさん
鞭が一つ
剣が二つ
ペンが一つ
老師が一つ
子供が一つ
『父を越えるだげではならぬ。歴代を越える働きをせよ』
「はい。先生」
答えは何時でも同じだ。
「はい。先生」
他の言葉はいらなかった。
話す相手がいなかった。
なんとなくわかっていた。
世界は自分を求めていない。
『ブラッセの後継ぎ』が必要なだけだ。
名前など飾りに過ぎない。
使い捨ての玩具と同じだった。
難しい事ばかり教える大人の中で、人として認識したのは、滅多に顔を見せない父と下らない話をするリオンだけだった。
誰が真実を知っていたのかはわからない。
『シナリオ』の為だけに生まれた命なら、生きのびる必要があるのか。
いっそ、このまま『シナリオ』を終わらせてグランツの野望とやらを失敗させてやろうか。
先の世界になど興味はないのだから。
『―――から。――に――――さい』
はっと、我に帰ったレオバルトが剣を止めた。
寸前にまで迫ったそれを僅かな差で防いで見せたのだ。
エドワールを見据えるその翡翠は曇ってなどいなかった。
「クククッ…。関係などない。俺は俺であればいい」
「おや、開き直りましたか」
「それが、奴らへの敬意さ」
左手の剣を振り上げて、右手の銃を突き付ける。
「俺の運命が『シナリオ』の為だとしても」
赤茶の髪から覗く緑は真っ直ぐエドワールを睨み、唇はゆっくりと弧を画いた。
まるで悪魔のような笑みを向けて、細い指が引き金を引いた。
「エド!」
荒い息に滴る血、それでもエドワールは笑っていた。
「何だかんだ大事な飼い主様か?」
「違うわよぉ。あたしは誰にも飼われないしぃ、あんたがムカつくだけぇ!!」
レオバルトに牙を剥いたセルビーンのぎらりと光る金の瞳はまさに野生の猛獣だ。
「望むなら共に逝かせてやる」
調子を取り戻したレオバルトは容赦なく剣をふるう。
セルビーンは必死にスピードについていった。
時おりエドワールを気にしながら。
セルビーンの乱入で心臓は避けたものの、銃弾は確実にエドワールの臓器を傷つけた。
「あぁ……あなたが『シナリオ』に逆らいもがき苦しむ様を見たかった…」
床に伏せるとベチャリと嫌な音がした。
霞む視界を向ければ目の前でセルビーンがレオバルトと交戦している。
赤いドレスと獣の腕、目が霞むせいかその目は潤んでいるようにも見えた。
「おかしいですね……セルビーン、あなたは…私が………」
口から吐き出された血の量に致死量を超えると確信する。
死の間際だというのに、気分は落ち込まない。
むしろ昂るばかりなのだ。
「……先に……逝きます……ね…」
誰に向けた言葉なのかはわからない。
だが、最期まで彼はその顔から笑みを失わなかった。
「あたしの相手は狼なんだけどぉ、ムカつくやつはぁ関係ないのぉ」
朱色の光がセルビーンを覆う。
みるみるうちに姿を変える彼女はニコリともしない。
完全な山猫と化したセルビーンは牙を剥き出して威嚇をしている。
本来在るべき姿だというのに違和感が消えない。
レオバルトは一頭の獣に剣を向ける。
「…人に近づきすぎたな。山猫に涙は似合わんだろ」
「うるさいのよぉ!!」
溢れた雫を残して飛びかかる山猫はの攻撃は、先ほどより速いが感情的な攻撃は直線的でしかない。
怒りにまかせた単純な突進を、レオバルトが交わせないはずがない。
何度交わされようと止まらないセルビーンは床に爪が擦れようと、壁にぶつかろうと攻撃を止めない。
らちがあかないと思ったレオバルトは飛びかかったセルビーンを床に叩きつけた。
山猫の息は荒く、疲れはてている。
しかし、睨み付ける眼光は衰えを知らなかった。
「ここで死ぬか、逃げ生き延びるか、選べ」
眼に銃を突き付ける。
獣にとっては生きる事が重要だ。
だが、彼女のプライドが逃げることを許さない。
かといって、この状況を覆す手段はなかった。
銃口の向こうにみえる冷たい翡翠を、彼女はどんな思いで睨んでいたのだろうか。
答えを待つしんとした部屋に地鳴りが轟いた。
ガシャンと大きな音を立てて窓が割れた。
ガラスが飛び散り、床は揺れる。
レオバルトが驚いた隙に、セルビーンは銃を横から噛み砕いた。
「っ!!!?」
反射的にふるった剣がセルビーンの右腕を斬る。
彼女はそれ以上の攻撃はせずに、トランスを解き横たわるエドワールの側に駆け寄った。
「エド……」
既に息は絶えている。
赤く染まった顔を覗くと、戦いで死んだとは思えない表情をしていた。
「…あたしはぁ…生きるからぁ」
奥歯を噛み締めたセルビーンは再びレオバルトに視線を向ける。
弔いとも、復讐とも違う勝ち生き延びる決意をした眼だ。
「逃げれば楽に生きられるんじゃないか?」
「生きるだけなんてぇ、意味ないのぉ!!あたしはぁ負けたくないのぉ!!」
その時だ。壁が一瞬にして砕かれ破片が飛び散った。
空いた壁から姿を見せたのは、真っ黒な獣、その体長は軽く背丈を超える。
影のように揺らめく体毛に鋭い牙と爪、真っ赤な眼をギラつかせ、唸りを響かせる。
果たして、この生き物はなんなのか。
「………ウサギ?」
セルビーンですらこの獣を恐れたといいのに、レオバルトは真っ直ぐそれに対峙し呟いた。
ここにいる獣人の脅威のなかで、長い耳を持つのはウサギだけだ。
巨大な黒いウサギらしき獣を見上げ、唖然とするしかなかった。
そもそも、ウサギは幼い少女だと聞いていた。
現在行われている実験のサンプリであり、今後の危険性が高いことから捕獲を命じられていたのだ。
「シーカーの実験が成功したとでもいうのか…」
いくらルチャル神の力とは言え、本来の姿を留めない獣の姿は草食、小動物のウサギだというのに、これはまるで
「大型の肉食獣じゃないか…」
牙と爪を兼ね備え、レオバルトを見下すその眼は鋭い。
わずかにウサギの長い耳が残るのみでこれが小動物だとは思えない。
「ちょっとぉ…こんなのぉ、聞いてないんだけどぉ」
「チッ…ろくでもない研究しやがって…」
銃は壊れて使えない。
この巨体を相手に接近戦は厳しいかもしれないが、レオバルトもまた、退くことを良しとしない。
銀の刀を獣に向けた。
獣が声をあげると空気が痺れる。
その圧力にセルビーンは動けずにいる。
本能が身体中に警告を発していたからだ。
『こいつは危ない。早く逃げろ』と。
「ッ…くそっ」
壁にレオバルトを縫い付ける黒い腕に、剣を振るうも硬い毛に阻まれて意味をなさない。
大きなわりに素早く、力の差は圧倒的だった。
「うっ…あ゛…」
ミシミシと骨が音をたてている。
息をするのも困難な状況で腕から力が抜け、カランと床に剣が落ちる。
『人間ハ敵。殺ス。人間ハ敵』
脳内に響く声はこの獣のものなのだろうか。
押し付ける力が僅かに強まる。
息ができない程に
「……はっ!!…ハッ、ハッ…」
突然軽くなった体を支えきれず座り込むレオバルトの目の前で、獣はけたたましい声を挙げてもがいている。
何が起きたのか。酸欠になった体を起こし、飛び込んできたのは
「シャウロッテ」
獣の背に牙を突き立てる一匹の狼だった。
左目の下にある二本の傷痕が、従者であるシャウロッテという証明だ。
「レオ!大丈夫?怪我はない?」
壁を伝って走ってきたアイリンがレオバルトの体を支えた。
乱れた呼吸を整えると、心配そうに見上げるアイリンの頭を撫でる。
それは問題ないことを意味していたのだろう。
「あのね、ずっとウサギの子を探していたけど見つからなかったの。でも、シャウは突然、ここに向かって走り出した。もしかして、あの子が来たのはついさっきなんじゃないかな?」
「……」
もし、アイリンの推測が正しいのなら、ウサギの子は一人でここに来れるのだろうか。
資料では五歳程度の背丈しかないと書かれていた。
もし、誰かが連れてきたというのなら、それは
「……ウィリアム・ブラウンか…まずいな…」
計画ではシーカーはこの場所に来ないと思われていた。
『運命の剣』が動き出すのはまだ先のはず。
それまでシーカーが外に出るとは思えなかった。
研究に没頭し周りを見ないからだ。
「おい、バカ猫!ここには何人の人がいた!?」
「な、何よぉ!?あんたの質問に答えるわけないでしょぉ!!」
部屋のスミでウサギとシャウロッテの戦いを見ていたセルビーンに突然レオバルトが尋ねた。
もちろん、彼女に答える意思はない。
だが、レオバルトは続けた。
「シーカーが一つの研究を終えたのなら、その成果を検証するはずだ。それが破壊の力なら人が集まる場所を選ぶはず」
「ちょっと待ってよ。シーカーは『運命の剣』の人なんだよ?仲間だってここにはたくさん…」
「あいつに仲間意識があるわけがないだろ」
戸惑うアイリンと固まるセルビーン。
この場所には『運命の剣』を含め、合流した『ノクティス』のメンバーがいた。
数にすれば百をゆうに超えるはずだ。
「見たことのないトランスをする獣人が目の前にいるだろ。これが奴の成果だ」
黒い獣が二匹。激しい取っ組み合いをしている。
その一方は影のような不安定な姿をしている。
シャウロッテが噛みついた背からは血の代わりに黒い霧が出ていた。
「あたしたちはぁ…始めからぁ……」
一度だけ、彼女はシーカーと直接会った事がある。
印象はよくなかった。
にこにことして話も弾んだ。
それなのに、何を考えているかわからない眼が怖かった。
あれは人を、生き物を見ている眼ではない。
無機物を、サンプルをみる眼だ。
『セルビーン、あの男を敵に回してはいけませんよ。すれば最後、あの棚に並べられてしまいます』
棚に並ぶ犬猫のホルマリン漬けをみた。
あの時のエドワールの言葉は嫌でも脳に張り付いた。
「敵も何もないじゃなぁい…」
始めから『運命の剣』はシーカーの手の内にあったのだ。
いつでも使えるサンプルとしてそこに置かれていたのだ。
セルビーンの手に力がはいる。
仲間意識は薄かったとは言え、良いように利用されたままでは腹の虫が治まらない。
目の前にいるのがシーカーの完成品だと言うのならば、
「壊してやるんだからぁ」
ウサギがシャウロッテを追い、セルビーンに背を向けた。
一瞬のトランスに近くにいたレオバルトもアイリンも止める隙がなかった。
鋭い爪を光らせて飛びかかる。
突き刺さると同時に耳を破るような叫びが響いた。
「小動物はぁ、餌になるってぇ決まってんのぉ!!」
傷口からは噴水のように黒い霧が吹き出ていた。
暴れるウサギにもう一度爪を突き立てようと腕を振り上げる。
「…っ!!危ない!!」
アイリンの声に顔を上げた。
目の前には白い壁があるはずだった。
それなのに、視界は真っ黒だ。
何かを理解する前に体が宙に浮いた。
「…何?」
嫌な音がした。
暴れるウサギは尾を振り回し、背にしがみついていたセルビーンを振り払う。
その衝撃は、生き物のものとは思えなかった。
白い壁を砕き、彼女は落ちていった。
声をあげる黒い顔が一瞬の笑ったように見え、シャウロッテの背筋が凍る。
影を長い尾に変えたウサギの姿はまるで
「闘神…ルチャル…」
横から見ていたレオバルトが息をのむ。
鋭い牙と爪、長い尾に揺らめく体毛、赤い目はじっと壊れた壁をみすえ、確かに細めて笑った。
『殺セ。我ヲ汚シタ人間共ヲ。喰ラエ。己ガ生キル為ニ』
響く声は誰のものなのか。
それを問うものはいない。
獣はゆっくりと首を回す。
シャウロッテを過ぎ、赤い目に映ったのはアイリンとレオバルトだ。
何故先程まで戦っていたシャウロッテを無視したのか。
答えは簡単だ。彼だけが、獣の姿のままだったからだ。
レオバルトは剣を握り直し、獣と向かい合う。
翡翠に映る黒い獣は裂けた口を目一杯広げ、地をも震わす声をあげた。
「闘神だろうと関係ない。敵なら倒す。それだけだ」
「…レオ?」
アイリンが見上げたレオバルトは獣だけを見ている。
翡翠はいつも以上に冷たい。
その眼に心は宿っているのだろうか。
『――を汚す者は許さない』
「聞こえない!」
牙を剥き出し飛びかかる獣と、剣を突き立てようと走るレオバルトの体格差は明らかだというのに、獣に劣らない威圧を彼が放っていることに、アイリンは驚いた。
ギャァァァァァ!!
けたたましい叫び。
剣は獣に刺さる間際で止まった。
もがき苦しむ獣からは血のようなどろどろとした黒い液体が流れている。
その根源である喉元には一匹の狼がぶら下がっていた。
獣の固い肉を切り裂いて飛び退く狼はびちゃりと床に着地する。
そして、剣をそのままに固まっていたレオバルトに向かってその体をぶつけた。
「っ!!シャウロッテ、何を…」
従者らしからぬ行為に怒りを露にしてみれば、シャウロッテは依然レオバルトに向かって牙を向いていた。
それは主人を諭すように、敵意とは別の怒りだ。
シャウロッテにしてみれば、この巨大な獣を相手に正面からなど無謀なことだ。
ましてや殺しを専門にするブラッセがとるべき行動ではない。
何かに気をとられ、戦闘に集中していない。
敵を見間違えている。
金色の瞳をまっすぐに向けられて漸く我に返ったレオバルトは恥じた。
愚かな行為をしたばかりか、それを従者に気づかされるとは。
伏せた翡翠に色が戻った事を確認すると、シャウロッテは再び獣に向かう。
破れた喉を庇う獣の隙にうまく回り込んでは、自慢の牙を突き立てる。
弾く尾が届く前にその肉を食い千切り、巨体を蹴り避難する。
そうして、一つ、また一つと獣に穴を開けていく。
『おのれ…狼め…人であれば容易く殺めたものを!!』
唸りは崩壊と共に、黒い体が細かい粒子となり落ちていく。
その中央に現れたのは、わんわんと泣きじゃくる。
幼い少女だった。
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