第23話  最終戦リオン





「……ウィル?……何をしたの?」

グランツが駆けつけた頃、目に飛び込んで来たのは人を貪る獅子の姿だ。

その耳で揺れる金色のリングを見た時、彼は思わず目をそらした。

「やぁ、グランツ。君の従者は成果をだしてくれたよ」

純粋すぎる笑みが憎くて仕方がない。

「ウィル、命を何だと思っているんだ?」

「あはははっ、それを君が言えるのかい?僕は君が行っている研究を知ってるよ?

あれこそ、命を軽んじる行為だと思うんだけどな」

満足気に獅子をみるウィリアムは時間を気にしている。

獅子は肉を食い尽くしたのか、血に染まった顔をあげて貫禄の咆哮をあげた。

「さて、僕はそろそろ行こうかな。大事な人を待たせてるんだ」

ケースを片付けていつものように笑う。

獅子はウィリアムに従うように彼が指し示した方へ歩く。

「僕は…人を殺したくないから、あの研究を進めたんだ」

「うん。知ってる」

「僕は、僕のような人をなくしたいんだ!!」

「うん。その為の『シナリオ』なんだよね?」

目を見開くグランツにウィリアムは手を振った。

「そんな『シナリオ』僕が壊してあげる。

そしたら君は、どんな顔をするのかな?」

「ウィリアム!!」

駆け寄るグランツを遮る獅子を切りつけることなどできなかった。

窓から消えたウィリアムは最後まで笑みを絶やさなかった。

残ったのは涙を流すグランツと獅子となったリオンだけだ。

変わり果てた従者を前にグランツは手を差し出した。

「リオン、僕は、君を失いたくはないんだ」

その手に握る薬を叫ぶ獅子の喉に、腕に牙が刺さろうと、彼は一歩も引かなかった。

「ごめんね、リオン。君だけは…君だけが  

 僕の友達なんだ」




視界が明るい。

何が起きたのかわからない。

鼻をつく消毒の匂い、人の臭いもする。

ぼんやりと目を開けた先には今まで利用していた医務室の天井がみえた。

体はピクリとも動かない。

痛むわけではない、固定されているのだ。

いったい何があったのか。

燃え盛る炎の中でみたものが波のように押し寄せる。

「あっ…あ、あああぁぁ」

目の前が滲む。

目を抉りたいが手は動かない。

舌を噛もうにも口にはタオルが噛まされていた。

バタバダとあわただしく動き始めた看護婦がリオンを取り押さえる。

死にたいと叫ぶ彼を見越しての拘束だ。

「リオン?…目を、覚ましたんだね?」

ひょっこりと顔を出したグランツは酷く疲れた顔をしていた。

グランツの登場に大人しくなったリオンに微笑むと、看護婦達を部屋の外へと追いやった。

中にはまだ治療が必要だと言う者もいたが、グランツは聞く耳を持たない。

パタンと戸を閉めてリオンに向かい合う。

「リオン、話を聞いてくれるかい?」

いつになく真剣なその表情にリオンは静かに頷いた。

「あの日から1ヶ月がたったんだ。君はずっと眠ったまま。すごく心配だった。

ウィリアムは研究結果と資料を持って消えてしまった。消息はわかっていない。彼のことだから、見つかりはしないと思う。

それでね。大事な話をしようと思うんだ。君を巻き込んだのは僕だ。だけど、僕は僕の目的を諦めるわけにはいかない。

シンシアのことは……辛かった。でも、君には死んでほしくない。力を、貸して欲しい。

僕の友人として。僕の『シナリオ』を進める為に」

そっと口からタオルが離れる。

呆然とするリオンは一言

「『シナリオ』?」

と尋ねた。

グランツは目を伏せて泣きそうな顔で口を開く。

「国の暗殺機関であるブラッセを、潰す。

ウィリアムはそれに気づいたみたい。僕が、国の兵力の為と言いながら『シナリオ』の為の研究をしているって。でも、彼が僕と対抗するのは計算のうち。計算外だったのは、君とシンシアが巻き込まれたこと。

思った以上に、彼はルチャルを支配していた」

「待てよ。話が見えねぇ…何でお前がブラッセを潰すんだ?お前自身ブラッセの人間なんだぞ?

それに…ルチャル神を支配するなんて……お前の『シナリオ』に巻き込まれたって…意味がわかんねぇ」

「僕は僕の家系が嫌いだ。人殺しなんて、許されるべきじゃない。この歴史に終止符を打つんだ。

そのために、同じような機関と敵対して、お互いを潰す必要があった。僕はウィリアムの研究に目をつけたんだけど…君達が、結婚して、僕の元を離れてから実行しようとしていたのに…」

グランツは手で顔を覆い、何度も何度もすまないと繰り返す。

リオンはからだの力が抜けていくのを感じた。

もう、何を憎めば良いかすらわからない。

「シンシアが、最期に言ったんだ

生きてって…

最期の願いを裏切るわけにはいかねぇし…生きるには意味が必要だし…

その『シナリオ』が、人の為にあるんだったら…協力するさ」

だから今は寝させろと、リオンは目を閉じる。

その後はグランツが描く『シナリオ』の為に動いた。

ただ、空いた穴を埋める為に。



長い話を簡潔に、正しく話す。

ブラスティーナは一言一言を真剣にのみこんで、シンシアの最期に涙した。

「お前が何を聞いたかは知らねぇ。けどな『シナリオ』は…確実に悲劇を阻止する。だから、後は任せて、お前は離脱しろ」

泣き続けるブラスティーナの肩を持ち、優しく語りかける。

妹のシンシアを殺したリオンを許せない気持ちはわかる。

しかし、それと同時に妹が愛した人でもある。

複雑な事実をのみこめずに悩んできたに違いない。

「ごめんなさい。リオン。ありがとう」

そう上を向いた彼女はようやく笑った。

昔と同じ、シンシアによく似た笑みでリオンの手をしっかりと握り、彼女ははっきりと決意した。

「リオン、私も力にっ」

「…………ラス?」

続きが出る事はなかった。

真っ赤な液体が彼女も、リオンをも染め上げる。

首に突き刺さる蒼い刀はラグナのものだった。

落ちていく彼女唇がゆっくりと、その名を刻んだ。

「……サウト…てめぇ…同族殺しは禁忌だろ…」

リオンの眼は猛獣そのものだ。

青筋を立てて睨みつける先に、シンシアやブラスティーナと同じ貝の装飾を身につけた男が刀を投げつけた体勢のままで立つ。

「同族殺し…とは違うな。戦意を無くした者はルチャル神の元に行くのは叶わない。ならば、早々に土に還すのが情だと思わないか?」

確かにそれは、ラグナの戦士に伝わる心得だ。

だが、ブラスティーナはまだリオンと共に戦う意志を示していた。

「てめぇ、シーカーはウィリアム・グラウンだと知って味方するのか!?ラグナを滅ぼした張本人だぞ!!仲間よりあいつに味方するのか!?」

ウィリアムは研究所を抜け出した後に自らを探求者[シーカー]と名乗り『運命の剣』を創った。

サウトは腰に提げた二本目の刀を抜き、リオンに向ける。

真っ直ぐだが、何を見ているのかわからない瞳でだ。

「知っているさ。彼がルチャル神を捕えたことも。私が手を貸したのだからな」

唖然とするリオンをよそに、サウトは一歩、また一歩と歩み寄る。

その度にラグナの音色が響くのに酷く不快だ。

「ルチャル神を手にすることは夢のまた夢。だが、彼はやってのけた。ラグナの皆もルチャル神の力のために息絶えたのなら本望だろう」

リオンはブラスティーナを壁際に寄せナイフを手にした。

サウトが刀を構える。

リオンのナイフが金属の爪に変わると同時に二つの影は動き出す。

激しく火花を散らしながらぶつかる剣と爪

「その力もルチャル神の影響なのだろう?羨ましい限りだ」

ギチギチと刃を軋ませながらサウトは実に楽しそうだ。

高い音が響き渡る。

互いに一歩も譲らぬ攻防にリオンの橙の瞳が燃えるように光る。

「ルチャル神なんて関係ねぇ!たとえ崇拝する神の力でも、家族の命を奪わなきゃならねぇ奴の思いを考えた事があるのか!?」

リオンの爪が刀を弾く。

下から迫る爪にサウトは柄で対応した。

鈍い音をたて動きが止まる。

爪は腹に突き刺さる手前で止まっていた。

リオンの脳裏に浮かぶのは化け物となったシンシアの母だ。

たしかに、化け物となってしまっても娘を見て泣いていた。

「繰り返させはしねぇ。ルチャル神なんてのは、俺が破壊してやる!!」

ぶつかり合う音はレクイエムにしては激しい音色だった。



遠くで響く音が微かに聞こえる。

金属音とは僅に異なるものに、シャウロッテは足を止めた。

「シャウ?早くしないとレオに怒られちゃうよ?」

先を行くアイリンに促されまた歩き出す。

この仕事に何か特別な意味があることは聞かずともわかっていた。

ロッシュの決意の表情も、リオンの苦悶の表情も、レオバルトの眼もいつもとは違った色をしていた。

何かわからない恐怖に近い感情を抱きながらシャウロッテはここに立つ。

本来ならば主人であるレオバルトについて敵を倒すのがシャウロッテの仕事だ。

それなのに、今回レオバルトが与えたのは別の仕事だった。

「ウサギの獣人、何処にいるんだろうね?」

そう。獣人探しだ。

この建物にいるかすらわからないウサギの捜索だった。

いくらシャウロッテの鼻が利くとはいえ、ウサギの臭いを簡単に追えるわけがない。

ただでさえ、火薬の臭いが混じり臭いを追うのが難しいのだ。

「ウサギの臭いなど…私には…」

「…シャウ、今度はどうしたの?」

呟いていた言葉すら止めてシャウロッテはアイリンの腕を掴む。

状況がわからないアイリンは困惑しながらシャウロッテの金色の眼をみた。

「振り落とされないように掴まってください。急ぎます」

そう言って狼の姿になる。

青白い光から真っ黒の狼が現れる。

なんとも綺麗な景色に思わず見とれていたアイリンを背に乗せて、来た道を全速力で駆け抜ける。

硬い狼の毛を掴みながら、アイリンは風になったような錯覚を覚えた。




ポタポタと滴る赤い血液がラグナの青い装飾すらも色を変えている。

「サウト、てめぇは仲間を犠牲にしてでもルチャル神を得たかったのか?」

細められた目が惨劇を語る。

未だ冷静なサウトはためらうことなくそうだと答えた。

彼にとってはルチャル神が全てのようだ。

「ルチャル神に近づく為なら犠牲は仕方あるまい。何しろ、神に触れるのだからな」

刃こぼれを知らないラグナの剣は振りかざす度に風を切る。

その衣装に縫い付けられた刺繍はルチャル神のみを表すわけではないというのに

「神に毒されて、周りが見えてねぇんだよ…てめぇは」

もう動かないブラスティーナを背に、リオンは唸りをあげる。

現れた巨大な獅子の耳飾りが奏でるレクイエムは誰の為に鳴り響くのか。

リオンは心で呟く。

すまない

咆哮と共に駆け出した獅子を、サウトは刀で受け止める。

牙が刃に止められたのはたった数秒だった。

硝子のように砕けた刃を乗り越えて、リオンの牙が血を飲んだ。

「…まさか、そんな」

ラグナの剣は鉄をも切る。

それが、たった一頭の獅子の牙に敗れた。

肉を切り裂きながら獅子はポタポタと涙を流しながら天に向かって吼える。

僅かな意識の中でブラスティーナは声を聴いた。

荒々しい叫びが酷く切ない。

命が終わることに不思議と不安はなく、力になりたかった。

ただ、その思いだけが心残りだった。

「リオン、先に、逝くね」

届かぬ声を最期に、彼女は安らかに眠りについた。


―――――

―――


「姉さん。姉さん」

白い花が咲き乱れる丘の上で両手にいっぱいの花を摘んだシンシアが呼ぶ。

ブラスティーナがゆっくりと体を起こして見上げると

「私ね、好きな人ができたの」

作った王冠を姉の頭に乗せて柔らかい笑みを向ける。

「ラグナではないけれど、強くて優しい人なの」

幸せそうな表情にブラスティーナもよかったねと微笑んだ。

風が花びらを舞いあげて二人を包む。

「ルチャル神よりも、ずっと大切な人

母さんと、父さんと姉さんと彼」

子供のような笑みをブラスティーナは抱き締めた。

彼女は幸せを語るだけなのに酷く胸が痛んだ。

「姉さん?」

シンシアが心配そうに尋ねるそばで静かに涙を流す。

いっそ、現実が夢であれば良いのにと。



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