第16話 始動編
小さなノックに気づきリオンはコーヒーを置いた。
夜は更け起きているのは恐らく彼だけだろう。
静かに開けた扉の先には顔を血で赤く染めたロッシュを抱えるオールとマオインだ。
「あぁ。来る頃だと思ったよ」
眼鏡でよく見えないが、その笑みは悲し気だった。
部屋に3人を招き入れ、誰もいないことを確かめてから、そっと扉を閉めた。
「包帯、足りるか?」
椅子に腰かけたロッシュの手当てをするのはマオインで咄嗟のことに医療道具を持ってこれなかったのだ。
「出血はあるけど、傷は浅いわ。大丈夫、直ぐに止まる」リオンはベッドに座り浮かない顔の3人の手当ての様子を見ていた。
オールはマオインとロッシュの側でじっとしている。
ロッシュの意識はハッキリしているし、時々オールを気遣う仕草もみせる。
ランプの灯がやけに気味悪く感じる。
そろそろかとリオンは重い口を開いた。
「『ノクティス』は、『運命の剣』につくのか?」
ビクリと肩を震わせ、不安気に見上げるオールの頭に手を置いてロッシュは頷いた。
「社長は確かに言った。あの人は僕が望んだ人じゃなかった」
信じてきた人に裏切られ逃げた。
それでも戦うことから逃げたくなくてここに来た。
それは誰かが口に出したのではない。
自然とここに向かっていた。
これまでのことを簡潔に話終えると呟くようにロッシュは尋ねた。
「エティアに情報を与えるように、あなたが言ったのか?」
「いや。ティアの独断さ。話した事は教えてくれたがな」
その日、エティアは暗い顔で戻ってきた。
『運命の剣』についての情報は十分だったにも関わらず、不信に思ったのはリオンだけではなかったが、無理に問いただすような事は誰もしなかった。
「…ブラッセは動くのか?」
「それが『シナリオ』だ」
リオンの眼にはいつもの力はない。
急に歳をとってしまったかのように弱々しいものだった。
「俺はよぉ、『シナリオ』なんてなけりゃいいと思ってる。そうだろ?この世は先が見えねぇから面白いんだ。それを決めつけようなんざ、神にもできねぇ」
「そレオ、やってのけようとするのが政府でしょ?」
マオインが首を傾げる。
リオンは自嘲するように笑う。
顔を伏せ、手のひらで覆う。
「直に上から仕事が来るさ。『運命の剣』を破壊せよってな。レオも従うつもりだ」
「レオバルトは…『シナリオ』を知っているのか?」
ロッシュの眼が真っ直ぐリオンに向けられる。
同じ緑の瞳でも、レオバルトとは違う力のある色だった。
「『シナリオ』ってのはな、噂やデマでいろんな説がある。本当ははじめから一つだ」
「…エティアや社長のいう『シナリオ』はデマだというのか?」
「いや。終わった『シナリオ』は確かだ。問題は、終わりはどこか。
政府が二つの組織を潰すまで?
来るべき日を迎えるまで?
はたまた、獣人を消し去るまで?」
三人は黙ったままだ。
しかし、一人も目を反らそうとはしない。
強いやつらだとリオンは感じた。
これから巻き込まれることに恐怖を感じているはずなのにと。
「本当の『シナリオ』を知るのはたった三人。やつらはそれを絶対に口にしない」
力を取り戻した眼に息がつまる。
その決意が本物ならば、これ以上の問いかけは無駄ということだ。
「一つだけ教えてほしい」
突然口を開いたのはオールだった。
今までじっと黙っていた彼は立ち上がって震える声を出した。
「『シナリオ』の先に…俺達が生きる世界はあるのか?」
泣きそうなほどに怖いのだろう。
足は震え、手には指先まで力が入っている。
ロッシュとマオインの視線はオールからリオンに変わる。
リオンは優しく微笑み、
「努力次第さ」
と答えた。
だれも何も言わない。
シンと静まる部屋の中、ランプの灯が消えたのは夜明け間際だった。
「で?言いたいことはそれだけか?」
翌朝早々に呼び出されたシャウロッテが目にしたのはレオバルトに踏みつけられているリオンだった。
靴の踵で頭を床に押し付けて、めり込んでしまうのではないかと思うほど、ダンダンとリオンの手が床を叩く。
それでもレオバルトは止めようとしない。
機嫌が悪い証拠だ。
「マスター、そろそろリオン殿も限界なのでは…」
「一度死んでみたらどうだ?少しは馬鹿が治るかもしれんぞ?」
カチャリと銃まで取り出したレオバルトになりふりかまっていられないとリオンも力の限り叫んだ。
「だあああぁ!!テメェに思いやりはねぇのかよ!?力になってくれるって言ってんのによぉ!!」
立ち上がったリオンはレオバルトの胸ぐらをつかむ勢いだった。
だが、それは銃声によって遮られる。
「黙れ」
刃物のように凶暴な表情にリオンだけでなくシャウロッテまで息をのむ。
「「す、すみません」」
二人はわけもわからず謝った。
このような事態になったのはもちろんリオンが『ノクティス』から逃れてきた三人をかくまった事が原因だ。
直ぐに主であるレオバルトに報告をする義務があるはず。
にも関わらずリオンは黙って邸内に招き入れた。
それも予想をしていたというから逆鱗に触れてしまったわけだ。
「『ノクティス』から合流した戦力はどれくらいなんだ?」
レオバルトが集めたのは三人とエティア、アイリン、クライノート、みな部屋入って目にしたのは形を成さないリオンの姿だ。
シャウロッテは慌てて手当てをしている。
「えっと…社長を含めてメンバーはかなり多いが、実際に戦えるのは少数だ。獣人でも人として社会に紛れていたりするから…」
「危険因子は社長を除けば二人。馬鹿馬と羊。あとは大した戦力はない」
ロッシュに続いてマオインが答える。
レオバルトは椅子に座りため息をついた。
「『運命の剣』の任務クリアの条件は戦力を無くすこと、『神』を探し出すこと。
戦力が流れたって事は最悪だな」
仕事が増えると嫌な顔をする。
既にレオバルトの元には黒い手紙が届いていた。
もちろん中味は『運命の剣』殲滅の依頼状だ。
断ることはできない。
「『運命の剣』内で潰すべきは7人。
その内二人が獣人、二人がラグナの民だ」
「ラグナの民?」
アイリンが首を傾げる。
他の者もぱっとしないのか困惑しているようだ。
そこで説明をはじめたのは包帯だらけのリオンだった。
「ラグナの民ってのは、古い民俗でな、ルチャルって竜を絶対神として崇めてる。
ルチャルは闘神。故にラグナの民は死後、ルチャルの元に行くために幼少から戦闘訓練を欠かさない。
だから、ラグナの戦力は大きく、多民族を寄せ付けないと聞く」
リオンの目にはある種の決意が込められている。
橙の燃えるような目だった。
「…社長たちを含めると10人…か」
「お前らが敵に回らなかっただけ良しとするさ」
不安を隠せないロッシュにレオバルトが投げた。
乱暴で根拠など欠片もないというのに何故か不安は軽くなる。
「ラグナは兎も角、厄介者が一人」
レオバルトが資料から取り出したのは一枚の書類だ。
貼られた顔写真は古びている。
「これは?」
「シーカーと名のる幹部だ。いや、『運命の剣』の根源と言うべきか?」
チラリとリオンの方を見ればサッと視線を反らす。
シャウロッテやアイリンは不思議な目でそれをみていた。
「地下での計画で指揮をとっていた一人だ。素性がわからない上に戦力は未知数。最悪おかしな研究成果があるかもしれん」
「おかしな研究成果って」
途中からビクビクしていたオールの想像はものすごい化け物を生んでいた。
「と、とにかく、その10人を倒したら良いんだろ?」
フルフルと恐さをふるい落とすとオールは叫んだ。
ロッシュは少し呆れていた。
「レオバルト、僕らはきみの力になるつもりだが、戦力は足りるのか?」
10人を倒せばいいというものの、雑兵といえる輩は無数のはずだ。
少人数ではかなり厳しい。
「親父は動くつもりはないらしい。他から率いれるつもりもない。
エティアを除くこのメンバーで乗り込むことになる」
つまり8人で乗り込むということだ。
翡翠の眼は迷うことなく正面を向いている。
「個々の力は把握している。リスクはあるが不可能ではない。
お前達は身内の始末をしてくれればそれでいい」
不安気なロッシュ達はゴクリと息をのんだ。
有無を言わせない彼の威圧感はどこから来るのか。
喉に鋭い爪がかかっているような錯覚に陥りながらも彼らは目を離さなかった。
「勝算はあるの?」
「本部だからといって全てが集まっているとは限らない。事実、本部の連中でも『神』の存在については何も知らない」
「ちょ、ちょっと待って。それって…奇襲の意味あるのか?」
オールの疑問は最もだ。
標的がいない場所を襲撃して何になるというのだろうか。
「まぁ、落ち着けよ。標的のうち本部に出入りしてねぇのはシーカーだけだ。
他は次の計画の為に確実に本部に集まる。
お前らが『ノクティス』から入った3人を抑えりゃ無理な仕事じゃねぇんだよ」
「つまり、シーカーを除く九人を潰す為の奇襲?」
得意気なリオンは紙とペンをとりだし、さらさらと戦力を図に表した。
名前は能力順だという。
「『神』からの指示を得ているのはシーカーとラグナ、そんでエドワール
その内2つが消えりゃ『運命の剣』にとっちゃぁ大打撃。計画は中止にせざるを得ない」
名前の横に×印が加えられる。
その下に伸ばされた矢印は麻痺を意味するのだろうか。
「奴等が本部にしているのは廃屋。電気は通っているとは言え、シーカーがいるとは考えられない」
「…え?どうして?綺麗好きとか、暗いのが嫌だとか?」
真剣な説明の中に投げ込まれたアイリンの柔らかな質問は場を和ませ、皆の肩に入っていた力を抜いた。
「アイリン、そうじゃねぇ。シーカーはその名の通り探求者を意味する。実験物のない場所にゃ絶対いねぇ」
穏やかな笑みでアイリンの頭を撫でてやると彼女はふーんと納得している様子だ。
戦力図には社長の名も含まれている。
間近で見てきたあの力が下から五つ目と知り、ロッシュは背筋が凍る思いだ。
握られた拳が小刻みに震えているのをマオインは黙って見ぬフリをした。
「戦力は平等にわけて突入する。それはこちらで決めて構わないな?」
「あ、あぁ。構わない」
「兄さん、僕は兄さんと一緒がいい!」
「黙れクライノート」
大人しかったクライノートが突然レオバルトに飛び付くが、本で叩き落とされた。
その後も懲りずに飛び付くクライノートに周りは不安になる一方だ。
「今日はゆっくりしてください。直ぐに食事の準備を致しますので」
ニコリとエティアが振り向く。
気づけば日は高く丁度昼時だ。
食事という言葉に思わず腹がなる。
顔を真っ赤にしてオールは腹を押さえた。
「まったく、お前は…」
「だって…腹が減ってはなんとやらだろ?」
その部屋に漸く明るい笑いが生まれた。
「マスター、大丈夫ですか?」
ぐったりとソファに寝転ぶレオバルトにシャウロッテは毛布をかける。
今頃皆は昼食をとっているはずだ。
食事をしないレオバルトは人をはらうと倒れるようにソファに体を預けた。
残ったシャウロッテは主人を気遣いながら一定の距離を保つ。
「シャウロッテ、お前は…」
天井を見上げる眼が顔に被せた手のひらから見えた。
先程とは別人のような弱い目付きだ。
見えないように視線を反らしたシャウロッテは紅茶を注ぎながら呟いた。
「私はあなたを裏切りません。喩えあなたが私を裏切ろうとも」
紅茶を差し出せば、主人の口は弧を画く。
それが本心なのかはわからないが、いつもの強気な表情に戻っていた。
「流石だな。お前以上に信頼できる奴はいない」
「ありがとうございます」
リオンやエティアはどうなのだろう。
アイリンとクライノートはやはり駒に過ぎないのか。
頭の中では疑問が尽きない。
不思議と聞いてはいけない気がして、彼は口を閉じた。
「約束…覚えているか?」
紅茶を啜りながら視線だけを向けたレオバルトに小さく頷く。
満足気に「そうか」と呟くと、鋭く研かれた目をそっと伏せるのだった。
広間へやってきたメンバーは各々で食事をしていた。
不安は山ほどだが、空腹には勝てないらしく手を付けない者はいない。
本能が食べろと言うのだろうか。
「へぇ。じゃぁ、ねぇさんとイルカが回復専門ってこと?」
肉を頬張りながらオールが喋る。
隣でロッシュが注意するが聞いてはいない。
「うん。シャウに言われて気づいたの。ヒーリングって言うんだって」
アイリンが手のひらで円を作ると中心がボンヤリ光る。
街から戻ったアイリンがシャウロッテの腕の怪我を治した事で気付いた力に彼女は喜んだ。
それから護身術と平行してエティアに簡単な医学を教えてもらったという。
「姉ちゃんも医学の心得はあるのか?」
リオンは骨付き肉をかじっている。
「えぇ。元々泰国にいたからこっちの医学とは少し違うけど」
誰もが感心しているなか、アイリンは『泰国』という言葉に引っ掛かり、今まで忘れていた事を急に思い出した。
「マオインさん!!」
「な、何?」
身を乗り出してテーブルを叩いたアイリンに流石のマオインも唖然とする。
「杏さんって知ってるよね?この前街であった…んだけ、ど」
マオインという名前と梟であること、そして泰国ときたら間違いないとアイリンは喜んだわけだが、マオインは明らかに嫌な顔をしている。
「え?何?ごめんなさい。よく聞こえなかったわ」
笑ってはいるが青筋が立っている。
危険を察したアイリンは何度も首を横にふり、泣きそうな顔で後ろに下がった。
「大人気ないよ。マオイン」
ロッシュがため息をつくと、マオインはきっと睨む。
「アレは嫌いなの。馬鹿を通り越して奇跡なんだから」
とりあえず知り合いなのかと周りが鎮まりかえると、クライノートがリオンの袖を引っ張って
「あのおばさん恐いねぇ」
と言った。
空気が凍りついたのは言うまでもない。
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