第15話  始動編

「これが、私の知る『シナリオ』です。

当事者からお聞きしましたので、確かな情報です」

長い時間に感じた。

一言一言が重たくて声に出すのが辛かった。

「それは……そんな……っ!!」

信じがたいことに変わりはなく、ロッシュは歯を噛み締める。

エティアもこれ以上何を言えばいいのかわからない。

「君の話が本当なら…何故君はブラッセに…政府に従っているんだ!?」

声を張り上げ訴えるロッシュに肩を掴まれてもエティアは怯えた様子は見せない。

ハッキリと意志をこめて答えるのだ。

「あなたが獣人の為に走るのと同じです。

守りたい人がいるんです。レオバルト様やリオンさんは私の恩人ですから」

強い意志は真っ直ぐで、簡単に曲げられるものではないと容易に思われる。

「だからって……政府の味方をするのはっ」

「政府なんか見方じゃない!」

突然叫んだエティアにロッシュはただ驚くばかりだ。

背の低いエティアが見上げる。

その表情は今にも泣き出しそうだった。

「『シナリオ』は…何処に向かっているんだ?全てを話したわけじゃないんだろ?」

落ち着きを取り戻したロッシュは息を整えて再び訪ねる。

エティアが話したのはあくまでこれまでの『シナリオ』だ。

『シナリオ』というからにはこれからのこともある。

「すみません…先の事については…

一つ言えることは、『シナリオ』の終焉と同時に、獣人の発生源は撤去されます」

「……獣人の…発生源?」

今までは環境ホルモンのバランス異常による突然変異だと信じられてきた。

そんなものに発生源が存在するというのか。

「獣人の数が増えた時期をご存知ですか?」

「あぁ。今から…40年ほど前。この国が飛躍的に成長した頃からだと聞いている」

工業や医療によって発生した汚染物質が原因と考えられていた。

一部では行き過ぎた発展の神からの警告だと噂する者もいた。

現在でもあらゆる仮説が国中に広まっている。

「その頃政府の下で行われていた研究がありました。

来るべき日に備えた軍隊の計画です」

「…終焉のことか?」

「いえ。世界の統一の日です」

現在国どうしの交流は隣国でも難しい。

大陸間となればなおさらだ。

国境のほとんどが高い山脈や海、国を渡るにも命懸けだ。

その世界が統一されるのだとエティアはいう。

「世界の統一?…それと僕ら獣人がどう関係しているんだ?」

「統一後の世界で権力を維持するには力が必要です。

その力が獣人、いえ。私達は副産物に過ぎないのかもしれません」

悲し気な目を伏せてエティアは続ける。

「今、政府は計画を凍結しています。

当時の責任者二人が意見の違いで決別したからだと聞いています」

風が強くなる。

まるで警告をしているように、ざわざわと木々が揺れる。

それでも、すでに引き返すことはできない。

一度固く閉ざした瞳をしっかりと開き、真っ直ぐ問う。

「その二人の名は?」


―首都サムワール ブラッセ本邸―

「後少し…後少しなんだ…」

散りばめられた紙は数百に及ぶ。

そのどれもに難しい数式や図が並んでいた。

昼間だというのにカーテンは閉められランプが一つ灯るだけだ。

薄暗い一室で頭を抱える男は怯えるようにうずくまる。

「リオン…早くしてくれ。でないと…僕は…僕は……」

壁に張られた年表とセピア色の写真がかけられていた。

写るのは白衣を着た数人の研究者、その後ろに見えるのは実験器具、明らかに室内で撮られた写真の下には『始まりの日』と小さく記されていた。

「早く…解放されたいよ…」

弱々しいその声が扉の外に漏れる事はなく、フラりと立ち上がった男はランプの火を消した。

白い筋が糸のように細く長く、天井に向かってのびていった。


―シルズレイト北部 ノクティス本部―

カツカツと靴が音をたてて床を叩く。

速いリズムでコンクリートの廊下を走り先の大きなドアをノックも無しに蹴りあげた。

「おやおや、どうしたんだいロッシュ?」

こじ開けた先の部屋にはマオインとオール、そして手を組んで目を丸くした男性がいた。

「社長、呑気にしている場合じゃない」

「あぁ、君が慌てているのだから、ただ事ではないようだな」

ドレスは似合っていたのにと付け加え、社長は笑う。

吹き出したオールを赤い顔でロッシュは睨み、力強く机を叩いた。

「『運命の剣』を叩こう」

叩きつけられた書類を手に取ると社長は眼鏡越しにそれを見る。

「ロッシュ、焦る気持ちは分かるが説明を省くな。確実な情報がない限り私は動かないと言ったはずだ」

意志を変えることのない眼に口ごもるロッシュはマオインに目を寄せてオールと共に出ていくように合図をする。

マオインは白衣からタバコの箱を取りだし

「わかったわよ」

と、一言漏らして部屋をでた。

把握せず騒ぐオールのマフラーを引っ張って、部屋に静けさが戻ると社長がククッと笑う。 

「あの子達は巻き込めないか?戦う決意は皆同じだと、私は思う。それとも、特別な感情でもあるのかい?」

社長の目に映るのは好奇心だ。

獣人にとって人間の行動は不思議で面白い。

それが同じ獣人に芽生えているのならなおさらだ。

「あの二人にはこれから変わる国で生きてほしい。わざわざ危険を侵す必要はない」

「君や私は…危険を侵してもいいと言うのか?」

「あなたはそのためにこの組織を創ったはず。覚悟は知っている。僕はもう手遅れだ。知ってしまった以上目を背けられない」

澄んだ緑の瞳が悲し気に下を向く。

それは自分というよりは他人を心配しているようだ。

「『運命の剣』は政府を潰しにかかる。それこそ無差別にだ。僕はまず、奴らを止める必要があると考えている」

「その理由が『シナリオ』か」

黒い眼が放つ威圧を感じる。

社長が真実を語れと無言でいう。

静かに頷いたロッシュはさらさらとエティアから聞いた『シナリオ』を話した。


「何で仲間外れなんだよ!?ロッシュのやつ絶対俺は戦力にならないって思ってるよ」

部屋をでたオールは壁を叩きながら叫んだ。

マオインはタバコを吸って外を見ている。

「ねぇさんもなんか言ったら?」

苛立つオールがマオインの肩を掴んで振り向かせると、口に含んだ煙をオールに向かって吹き付けた。

「ゲホッ、ゲホッ…ね、ねぇさん…」

「気遣いにくらい気づきなさい。戦うことは許されても知ることは許されない時もあるのよ」

「……でも」

空は高くまで蒼く澄んでいるというのに、窓辺に立ち尽くす二人の表情は曇ったままだった。

金色のマフラーに顔を埋めて窓に寄りかかるオールは珍しく難しい顔をしている。

「ロッシュってさ、あんまり獣らしくないよな。他人の事ばっかでさ」

彼らが持つ本能は我が身を守るためにある。

獣人になったからと言って本能が失われるわけではないはずだ。

「ロッシュは獣人になるのが早かったからじゃない?もう十年を超えるんじゃないかしら…」

タバコからゆっくり上がる白い糸は弱い風に流されていく。

「一度は政府に捕まって、必死で逃げた先で社長と出会ったって聞いたわよ」

マオインが初めて彼に出会った時、人の形をしたマオインを社長の後ろから殺意の隠った酷い眼で睨んでいた。

「時が経てば変わるものね。あの子が共存だなんて…信じられないもの」

人間は敵だ。

その考えを変えた理由はわからないが、彼は確かに変わった。

「……ねぇさん、次の戦いが終わった時、俺たちは本当に国にいられるのかな?」

「そういう弱気な発言は慎め」

「ってぇぇぇ!!」

後頭部に落とされた拳は鈍い音を出した。


カチカチと時計の音だけが響く。

エティアの話を話しきったロッシュは社長の言葉を待つ。

彼なら直ぐに動いてくれると信じていたからだ。

だか、向けられた眼は失望していた。

「やれやれ。期待が仇となったか…」

クックッと喉で笑う社長に思わず後ずさる。

これまでで見たことのない顔だった。

「社長?」

「お前は実に優秀だ。しかし、知りすぎた。『シナリオ』の為だ。ここで消えてくれないか?」

突然、机が浮き上がった。

軽々と持ち上げたのは一頭のグリズリー 社長の獣の姿だ。

状況がわからないロッシュは叫んだ。

「あなたは『シナリオ』を知っていたのか?知っていて何故壊そうとしない?

『運命の剣』は僕ら獣人の敵だ!!何故攻撃を許さない?」

「答えは簡単だよロッシュ。『シナリオ』が創られた時、私はそれに賛同したのだから」

投げつけられた机を避けてしゃがみこむ。

目を見開いたロッシュは信じられないとでも言うように社長から目を離さない。

『シナリオ』を創ったのは政府の人間だ。

『ノクティス』を創った社長が何故知っているのか。

何故賛同したのか。

何故政府の味方をするのか。

頭の中は疑問で埋め尽くされる。

「ロッシュ、獣人はみな獣だと思ってるのか?」

大きなグリズリーが目を細める。

赤いその目は楽しんでいるようにも見えた。

「私は元々人間だよ。自ら望んでこの力を得たのさ。来るべき日の為に」

「社長が…人間?」

「そう。外で発生した獣人を手懐ける役を買って出たのさ」

グリズリーの爪が迫る。

爪は帽子を串刺しにし壁に叩きつけた。

ロッシュは僅かな隙から逃げたものの扉は机に塞がれている。

「『ノクティス』も『運命の剣』も全ては『シナリオ』の為に創られた。

だが、政府は書き換えたのさ。『シナリオ』を

生き残るのは政府だけになるようにな」

強い怒りが感じられる。

その話が本当なら憎むべきは政府だ。

しかし、ロッシュは納得がいかない。

「あなたは…はじめから僕らの為に戦っていたわけではなかったのか?」

「言っただろ?全ては『シナリオ』の為に創られた。

元々テロを行うような組織じゃない。自然界で生まれた獣人を監視下に置くのが目的だ」

冷ややかなその目をロッシュは知らない。

今まで騙されてきたと思うと腸が煮えくり返る。

「あなたを信じて死んでいった仲間もいたんだぞ!?彼らの想いを欺いたというのか!?」

声が自然と大きくなっていた。

獣人と人間の共存を求めて奮闘し、銃弾や刃物に散っていった仲間は少なくない。

彼らが信じた指導者が敵であるはずの人間だったとは。

「所詮は獣。人間には成りきれない。だったら、夢を抱えたまま見送ってやるべきではないか?」

「はじめから共存なんて嘘だったのか?」

射殺すような鋭い目にも社長は動じない。

それどころか見下した表情をみせるのだ。

「ロッシュ、獣はどう足掻こうと獣なんだ。人間にはなれはしない。

従順に仕えるというなら側に置いてくれる者もいるだろうがな」

その言葉に一人の狼が浮かんだことにロッシュは苛立つ。

社長の言葉に惑わされているように思えた。

「『運命の剣』につくと言えば連れていったのだが、もう意志を変えるつもりはないんだろ?」

「当たり前だ。失望したよ。あなたにも、僕自身にも」

素早く取り出したのは手榴弾だ。

ピンを口で抜き社長に向かって投げた。

「やれやれ、惜しい力だな」


爆発音に振り向けば、社長の部屋から煙があがっている。

「な、何?社長?ロッシュ?」

「オール、マオイン!!トランスだ!!飛び降りろ!!」

煙から転がるように出てきたロッシュが叫ぶ。

何が起きたのかわからない二人はただ呆然としていたが、ロッシュを押し潰すように現れた巨大な熊をみてギョッとした。

「社長が…なんで?」

「早くしなさい!置いていくわよ!?」

先に動いたのはマオインだった。

オールの肩を掴み窓際に引っ張る。

白の光をまとうと純白の翼をもつ梟が現れた。

「早くしろ!オール!死にたいのか!?」

ロッシュもトランスを済ませ凛々しい隼となった。

ふわりと体を浮かせ社長の目を狙い鋭い爪を立てる。

低い叫び声が建物を震わせ壁を砕く。

「ロッシュ!!」

マオインはオールを突飛ばし宙に舞う。

奥歯を噛み締めたオールがトランスをし、着地点を見下ろすと、今まで仲間だと思っていた人たちが槍を構えていた。

何故こうなってしまった?

落ちるスピードがとても遅く感じられ槍が突き刺さると確信して目を閉じた。

次にやって来たのは痛みではなく浮遊感だ。

重力を無視して体が軽くなった。

甲高い声が鼓膜を揺する。

背中にチクリと刺さったのは槍ではなく隼の爪だった。

見上げる人たちを圧倒する優美な飛行、狐を掴んだ隼と並んで飛ぶ梟の二羽は天高く雲を超え悠々とその姿を消した。

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