第14話  始動編

『母』というものを知らなかった。

親父はいつでも目を合わせようとはしない。

『母』について聞こうとすれば

「僕にも話したくない事はあるんだよ」

そう言って逃げられる。

いつしか、『母』がいなくて当たり前なのだと思うようになった。

理由は知らない。

知る必要はないと言い聞かせ、追求を止めた。


―――――――

―――

長い夢から目覚めれば、日の光が眩しいほど部屋に射している。

気だるい体を動かすことも出来ずにじっと天井を睨んで、今になって『母』を夢に見ていたことが腹立たしく思われた。

「おっ、目ぇ覚めたか」

いち早く気づいたのは予想と違う人物だった。

「…何日寝ていた?」

翡翠の瞳がリオンに向けられる事はなく、ただ天井の一点に集中している。

「2日。流石に心配したぜ?……何か食うか?」

突然眠る事はしばしばあった。

だが、2日間も眠り続けることは珍しく誰もが心配していたのだ。

「起きて早々に眠れと言うのか?」

空腹感はもう何年も前に忘れてしまった。

リオンを支えに起き上がると思った以上に体が動かない。

「まぁ、そう言うとは思ったがよ。飲むくらいはできるだろ?」

コップに注がれた水はきらきらと光を反射させている。

しぶしぶ口に含んでから喉が渇いていたのだと知った。

どこまでも生きる気力のない体に嫌気がする。

「シャウロッテはどうした?」

水を飲み干したコップを渡して一番に気になるのは従順な狼のことだ。

ここにいるのはリオンではなくシャウロッテのはずだった。

「あぁ、あいつならアイリンとクライノートに捕まってたぞ。今頃外で組み手でもしてるんだろう」

苦笑するリオンを見て、寝ていた2日間ずっと同じような状況だったのだろうと悟った。

元気すぎる2人の相手をさせられているとは気の毒に。

「仕事は?誰がやっているんだ?」

「こんな時くらい考えるの止めようぜ?親父さんがやってるよ。しばらくは休むようにいわれたぜ?」

仕事依存性でもあるまいし、と付け加えたリオンは呆れている。

大きなため息と同時に大きな手のひらがレオバルトの頭に降りる。

「流石に心配してたぞ。目覚めてよかった」

わしゃわしゃと撫でるリオンを射殺さんと睨むレオバルトだが、同時に何故この場に親父自身がいないのに腹がたつ。

「自分に仕事が回るのが嫌なんだろ?あのバカ親父」

軽蔑の眼差しで毒を吐くレオバルトに唖然としつつ、自分に矛先が向かないようにとリオンは手を離した。

「レオ、一応お前の親だからな?」

この態度は何時もの事だ。

仕事嫌いの父が子のレオバルトに頼っているせいか、レオバルトとは真逆ともいえる性格のせいか、親子の仲は一方的に悪かった。

「親父は親父、俺は俺だ。今さら父親面されても困るんだよ」

「レオ、グランツ泣くぞ?」

激しく嫌われているレオバルトの父グランツが哀れに思えてならない。

外からアイリンやクライノートの声がする。

組み手の練習にしては楽しそうだ。

「ティアは?」

確かクライノートはエティアに任せたはずだった。

そのクライノートは今シャウロッテ相手に本気で殴りにかかっている。

「あぁ、潜入捜査ってやつ。『運命』と『ノクティス』が紛れてるって情報があってな。

ただ、女性の集会みたいなもんだから、シャウじゃなくてティアに頼んだ」

普段はメイドのエティアだが、やはり獣人だ。

それなりの働きをすることができる。

戦闘に参加することはないが、情報収集にはたびたび活躍していた。

「そうか」

窓から下を覗くと飛びかかったクライノートの腹にシャウロッテの蹴りが入っていた。

それをアイリンが少し離れたら場所でみている。

どうやら武器無しではシャウロッテが一枚上手のようだ。

「楽しそうだな。土まみれになってよぉ」

笑うリオンを無視してカッターシャツに着替える。

「おいおい、どこに行くんだ?」

レオバルトは立ちくらみでふらつきながらも扉を開ける。

振り向いた顔は無表情だったが

「鈍った体を動かすだけだ」

その声は少し弾んでいた。


―東部 某ダンスホール―

色とりどりの華やかな衣装を身に付けた女性が集う。

昔からあるイベントで、この日ばかりは男性抜きで楽しむ。

警備員ですら会場内に入ることは許されない。

参加する身分に制限はなく、この地方の女性なら誰でも参加できる。

そのため大きなダンスホールは人でいっぱいだ。

エティアも何時ものメイド服ではなく淡い水色のドレスを着ていた。

「あら、アイリス、お久しぶり。せっかくのパーティなのにずいぶん地味じゃない?」

そう近寄って来たのは大きな花飾りを頭につけた人だ。

「お久しぶり、クレア。でも、私には十分なドレスよ」

エティアは笑顔で返した。

『アイリス』というのはエティアの外での名前だった。

このような仕事をするときに本名を使うのは獣人であろうと危険なのだ。

クレアとしばし談笑するエティアだが、ここに来てから何人かと話をしたがこれといった情報がない。

そろそろ何か手がかりが欲しいのだが…

「そう言えば、今日は見馴れない顔が幾つかあったわよ」

クレアが耳打ちする。

彼女はこのパーティの常連で、大抵の参加者の顔を覚えている。

「あの赤いドレスの子と、黒のゴシックの子。いい情報でしょ?」

クレアが指した先の人になんとなく見覚えがある。

「あら?あの人…」

「知り合いなの?」

「かも…しれないわ。ちょっとお話してくる。ありがとう、クレア」

クレアに一礼すると黒の人を目指す。

思い浮かぶ人物はいるが、『男』なのだ。

相手はエティアに気づいたらしく談話を止めて廊下に出ていく。

勿論エティアも後に続いた。

きらびやかな会場を後にして人のいない廊下に飛び出ると視界に人の姿がない。

しまったと見渡そうとした時

「きゃっ!」

後ろから手を引かれ、会場から少し離れた場所に引っ張られる。

髪飾りで顔は見えないが、やはり見覚えがある。

「あなたはっ……!」

角を曲がった所で壁に押し付けられた。

ようやく見る事ができた顔だが、はっきりしない。

「こんにちは。むささびさん」

声は確かに男のものだった。

「もしかして……ロッシュさん?」

しなやかなグレーの髪と割りと白い肌、初めて見た彼の眼はエメラルドグリーンの優しい瞳を備えている。

獣人には中性的な顔立ちが多いというが、ゴシックの衣装が違和感なく着られているのは化粧のせいだろうか。

「……何故あなたが?」

「僕も来たくはなかったんだが…」

ロッシュはどんよりと重たい空気をまとっている。

マオインの言っていた仕事とはこのことだった。

「潜入するのは構いませんが…この衣装は…趣味ですか?」

「断じて違う!本当はマオインがやるはずだったんだ。彼女が嫌がったから彼女用に社長から支給されたのを着るしかなかったんだ…」

『社長』というのは『ノクティス』のボスにあたる人物を指す。

少し涙目になっているのは羞恥心だろう。

同情の眼差しを向けるエティアから逃げるように目を反らす。

「き、君も情報収集だろ?僕も目的は同じだが、行き詰まってしまった…」

彼もこの会場でいろいろ聞いていたらしい。

参加者の中には政界のご婦人もいる。

噂好きの女性に話を聞けば真偽はともかく多量の情報を得られるわけだ。

「で?私をどうするつもりですか?あまり情報は持ってないし、話しませんよ?」

パーティの新人としてエティアよりも多くの人と話をしてきたロッシュ以上の情報をエティアが持っているとは思えない。

そのエティアを連れ出した真意は何か。

鋭い目がエティアを睨む。

手荒な手段も考えながら言葉を待つ。

「情報を交換しないか?」

エティアは目を丸くした。

てっきり一方的に情報を寄越せと言われると思っていたからだ。

「…内容によりますが?」

「僕は『運命の剣』の情報を提供する。

君には『シナリオ』について情報を提供してもらいたい」

サッと青ざめたエティアを見て、彼女が『シナリオ』について何かを知っていると確信したロッシュと白を切ろうとするエティア。

しかし、ロッシュも引き下がるわけにはいかない。

「何人もの人が『シナリオ』と口にするが、肝心の中身がわからない。『運命の剣』が政府と敵対する理由はその『シナリオ』なんだ。

僕達『ノクティス』が『運命の剣』を味方とするか敵とするかを見極める重要な要素になるんだ

何でもいい。知っている事を教えてくれないか?獣人同士で争いはしたくないんだ」

肩を掴み声を上げる彼の声は珍しく大きなく聞こえた。

『ノクティス』は獣人のみで構成された組織だ。

獣人の保護と急増の原因追求を求める団体故に、政府側についているとはいえ同じ獣人とは争いを避けている。

それはエティアも同じだ。

いくら敵とはいえ、同じ境遇にあった『ノクティス』にはできるだけ中立な立場でありたかった。

この交渉を断れば彼と戦うことになるだろう。

彼は仲間の為に必死なのだから。

しかし、固く口を閉ざすのにも訳がある。

「知れば後には引けませんよ?」

「覚悟はしているつもりだ」

その眼に嘘はない。

これ以上は一歩も引かないだろうとエティアは息を吐く。

「わかりました。では邪魔な方に退出して頂いてから」

ドレスの下に隠し持っていたクナイを角に向かって投げる。

突き刺さったクナイをジロリと見ながら現れたのは赤いドレスのセルビーンだった。

「面白そうだしぃ、あたしも混ぜてくれなぁい?」

口角を吊り上げる彼女は既に戦闘モードに入っている。

左腕は鋭い爪をもつ山猫のものだ。

「やはり『運命の剣』か…盗み聞きとはよろしくないね」

「小鳥ちゃんはぁ、黙って食べられるのを待ってればいいのぉ」

やれやれというように見つめるロッシュにセルビーンは自慢の爪を舐めながら妖しげな笑みを浮かべる。

エティアもセルビーンを睨んではいるものの、元々は小動物だ。

山猫や隼とはその時点で差ができている。

「エティア、場所を変えよう」

セルビーンには聞こえないように小さく呟く。

いくら人がいないとはいえ、この建物には多くの人がいるのだ。

了承に時間はかからなかった。

「こそこそするのは許さないわよぉ」

セルビーンが先制を仕掛けたと同時にエティアとロッシュも動き出す。

ロッシュが飾られていた花瓶を手にし、水や花ごと放り投げる。

セルビーンの左腕が払いのけようと振られれば薄い花瓶は粉々に砕け、破片と水が辺りに散る。

「ちょっとぉ!!濡れたじゃないのぉ!!」

その一瞬をついて向かったのは窓だ。

ここは三階で高さもあるが、幸い二人は飛行ができる。

エティアが開けた窓の縁に足をかけ、バイバイと手を振る。

トンと軽く飛び出した後を追えば、一羽の隼と一匹のむささびが悠々と宙を舞っていた。

窓に残ったらハネを掴み逃げられた窓のガラスを割るセルビーンの顔は心底悔しそうだった。


「久しぶりです!!あんなに高い所から飛んだのは!!」

興奮が冷めきらないエティアはロッシュの肩を強く揺すっていた。

ブンブンと前後に頭が揺れる。

途中髪飾りが飛んだがエティアは全く気にしていない。

「えええエティア!!止めてくれ!!」

開放された頃には目が回ってしまいフラフラと木にもたれた。

身に付けていたブレスレットやネックレスを外し放り投げる。

慣れない装飾品は不快だったようだ。

「すみません。なかなかお話できる方はいらっしゃらないので」

レオバルトの邸で働いている獣人はエティアと狼のシャウロッテだけだった。

新しくきたアイリンもイルカのため飛ぶことはしらない。

何事も共感できることは嬉しいことだ。

「そ、そうか…それは良かった…」

何が良かったのかはわからないが悪い気はしなかった。

少し森の奥まで歩き、目的のやり取りを始めた二人に先程までの笑みはなく、その表情はかたい。

口を開くもためらってのみ込んでしまうエティアをみて、ロッシュから話を始めた。

「『運命の剣』は本格的に政府を叩く計画を立てているらしい。南東の本拠地に人が集まりだした。山猫の彼女がここにいた理由はわからないが、動き出す日は近いだろう。

『シナリオ』を阻止しなければならないと話を聞いた。

『運命の剣』は表向きには環境問題を理由に暴動を起こしているけれど、それはあくまで表向きに過ぎない。

本当の目的は『シナリオ』の阻止だ。

『神』と名のるボスについてはほとんど情報がない。だが、もしかすると集まった中にいるかもしれない。

僕ら『ノクティス』はあまり『運命の剣』をよく思っていない。人も獣人も片っ端から殺していくような連中だからね。

やつらの真意がわかったなら、僕らは直ぐにでもやつらを叩きに行くよ。

この国には人に紛れている獣人は少なくない。彼らを巻き込むようなことはしたくない。

社長もそのつもりだ。

情報は確かなところから得たんだ。信頼できる。

本拠地の場所も教えようか?支部の位置もおさえたよ」

差し出された地図には赤い印が一つ、青い印が四つ記されていた。

エティアはずっとロッシュの眼を見て話を聞いていたが、嘘を言っているようには見えない。

本拠地や計画まで教えてくれたのならそれに応えなくてはならない。

覚悟を決めたエティアは大きく深呼吸をした後にロッシュと向き合った。

その黒い瞳は小動物とは思えない光を放つ。

「決して…他に流さないでください。約束してくれますか?」

頷いたロッシュと共に吹き抜ける風が一際激しい音を立てた。

「私も…信じたくはないんです。全て…嘘ならいいのにと、何度も思いましたが…きっと『シナリオ』は進んでいます。

全ては…25年前から始まったと…聞きました」

語りだした『シナリオ』の一つ一つが信じられなかった。

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