第12話  おつかい編

日は高く昇り、晩秋の澄んだ風が穏やかにそよぐ。

空には薄い鱗雲がふわふわと漂っている。

陽射しは柔らかく部屋に射し込む。

暖かな昼下がりそっとドアを開けたシャウロッテがいるのは主人の寝室だ。

未だ眠りから覚めない主人を心配して来たのだが、当の本人は別人のようにすやすや眠っている。

クライノートの事件からは1日が過ぎていた。

邸に戻ってくると心配していたアイリンとエティアが出迎えてくれた。

雨に打たれて冷たくなった体を拭いて怪我の手当てをし、温かいスープを飲みながら新たに加わるクライノートについて説明した。

その直後、部屋に戻ると言って立ち上がったレオバルトが倒れた。

それはもう、糸が切れたようにバタリとだ。

慌てて駆け寄れば既に深い眠りの中で、リオンは疲れたのだろうと笑った。

エティアもまるで子どものようだと笑う。

クライノートは自分のせいだと泣き、アイリンはおろおろしていた。

ここ数日の疲れもあったのだろう。

冷たい雨に打たれて風邪をひいていなければいいのだがと、シーツを少し正し部屋を出る。

リオンがしばらくは仕事を回さないように掛け合うと出ていった。

それはシャウロッテ自身にも仕事が来ないことを意味する。

いずれにせよ、吊るされた左腕ではろくな仕事はできない。

「たまにはしっかり休みますか…」

どうも落ち着かない。

いつもはあれこれと指示が次々与えられる。

それがパッタリと止むとかえってどうしたら良いのかわからない。

「難しい顔してどうしたの?レオ、大丈夫だった?」

「あ、アイリン」

ひょっこりと角から顔をだしたアイリンはいたずらに笑う。

「いえ、マスターはまだ眠っていますが…」

「ずっと寝てなかったから、ゆっくり寝させてあげないとね」

「……えぇ。そうですね」

たしかに少し忙しい日々だった。

毎晩真夜中まで書類に向かっていたのは事実だ。

今はゆっくり休んでもらうべきだと思えば少しほっとする。

「ねぇ、シャウ。お願いがあるの」

蒼い瞳が真っ直ぐシャウロッテをみつめ、手は力強く握られている。

何事かと首をかしげれば、彼女は迷わず口を開く。


「私に戦い方を教えて」


―シルズレイト北部―

「ふあっくしょんっ!!」

盛大なくしゃみがコンクリートの壁により反響する。

「風邪かい?珍しいこともあるんだな」

「ちょ、それどういう意味だよ」

ずるずると鼻をかむのはオールだった。

リバーサントでの私用を終えて『ノクティス』の本拠地に戻ってきていた。

世間は晩秋でもシルズレイト北部は一足先に冬を迎えている。

ちらちらと雪が降り、気温は既にマイナスだ。

海岸を流れる寒流と季節風が大陸の西側を冷やしている。

南部のクォーツテールとは気候が全く違うのだ。

「狐なら毛皮で暖かいんだけどな…」

ふさふさのマフラーに顔を埋めて身を縮める。

隣のロッシュは寒さに文句も言わず普段通りに歩いている。

「呼び出しって、やっぱり俺の事かな?」

少々身を強ばらせているのは恐怖心のせいだ。

リバーサントで勝手に行動したのは事実、そのせいで集合にも遅れた。

「今日はマオインから直接呼ばれたから、私用じゃないか?」

「姉さんだから恐いんだよ!!」

オールが必死に説明していると

「あら、私が何って?」

不意に聞こえた声に固まるオールがカクカクと首を回すと、そこには白衣姿の女性が立っていた。

「ね、姉さん…お久しぶりです」

タバコをくわえる彼女は一見性別がわからない顔立ちをしている。

黒髪をヘアピンで留め、少々悪い目付きだが全体は整っている。

彼女もまた獣人だ。

「まだ辞めてないのかい?タバコ…」

ロッシュが気にするのはくわえられたタバコだった。

獣人にとって煙は不快なものだ。

しかし彼女は平然としている。

「慣れちゃうと辞められないものよ。体に毒ってわかってるけど」

ふぅと煙をはく。

満足そうな表情から、辞める気はないんだろうと悟った。

「で、話は?」

「そうそう。部屋で説明するわ」

歩きだしたマオインにオールわ引きずるロッシュが続く。


廃屋だったこの建物の内部は不気味な程に暗かった。

マオインの部屋には暖炉があり薪も積まれている。

ランプに明かりを灯せばそれなりの明るさになる。

「相変わらず暗いね…」

ロッシュが思わずこぼした。

鳥目の彼にとって、暗闇は避けたいものだ。

「あなたは昼行性だものね。私もオールも暗闇でも見える目を持っているからこのくらいは平気よ」

「姉さん梟だもんね」

マオインはもともと真っ白なシロフクロウだ。

暗闇のなかでも獲物を捉える目と、鋭い聴覚の持ち主だ。

何より彼女は人間に紛れている期間が長く知識が豊富で『ノクティス』の指示はほとんど彼女が出している。

また何処で学んだのかある程度の医術も持ち合わせている。

『ノクティス』の医師でもあるのだ。

「で、今回呼んだ理由は二つ

一つは最近大人しい運命[ファートス]の状況をロッシュが詮索すること

もう一つはオール、私の実験に付き合ってちょうだい」

マオインの指令に二人は固まる。

運命[ファートス]の詮索については納得いく。

最近明らかに活動をしていないが、陰でこそこそしている可能性が高い。

問題はもう一つだ。

「それは…命に関わらない程度の実験かい?」

「っていうか、なんで俺が実験台にならなきゃならないん…ですか?」

オールの反論はマオインの鋭い睨みによって急に小さくなった。

「今回の詮索には失敗してほしくないの。それに、あなたには向いていない」

引き出しから灰皿を取り出してタバコを置く。

別の引き出しから書類の束を取りだしロッシュに渡した。

「ロッシュがいない間、暇でしょ?だったら働きなさい」

オールは口を開いたが、声になる前ににらまれて口を閉ざす。

ペラペラとロッシュが書類に目を通す。

「マオイン、これは…あなたが行くべきじゃ…」

「嫌よ。面倒だし、いつ医師が必要になるかわからないでしょ?」

「しかし…」

「問答無用。とにかく行ってもらうから」

そんな対話の途中、ロッシュの後ろから書類を覗いたオールは思わず吹き出してしまう。

「ぶっ…ロッシュ…これ、ロッシュがやるべきだよ」

直後、派手な回し蹴りがオールの顔面に直撃した。


―ブラッセ別邸裏庭―

「えいっ!!やぁ!!」

一本の木に向かって蹴りを入れるのはアイリンだった。

横には不安気なシャウロッテが立っている。

他に教わったことのないアイリンはのみこみが早い。

教えた事を忠実に取り入れていく。

シャウロッテがアイリンに教えたことは護身術でしかない。

それ以上のことを教えるべきか迷っているのだ。

出来れば、仕事には巻き込みたくない。

しかし、本人は力になりたいと言った。

蒼い真っ直ぐな眼を向けられては断れなかった。

時刻は正午に近く、太陽が高々と昇っていた。

「アイリン、そろそろ休憩にしましょう。」

「うんっ」

元気な声が返る。

無邪気で明るい声でパタパタと走り、ぎゅっと腕をとる。

シャウロッテは驚いたが、にこにこと笑みを浮かべられては離すことはできなかった。

「シャウやレオが怪我しないように頑張るよ」

柔らかい笑み。

ほっとする不思議な感覚に戸惑いを覚えながら、シャウロッテも笑みを返す。

自分は狼の筈なのに、だんだんと感情が人に近づいてきたのだと核心した。


お昼をすぎてしばらく、とにかく先ずは自己防衛の方法を知ろうと書庫で本を漁っていた。

とは言うもののアイリンはまだ難しい字が読めない。

シャウロッテも簡単な単語しか分からない。

よって理想的な本は必然的に図が多くなる。

何十冊も本を開きようやく見つけた本には棒人間が順に動きを示していた。

「これなら文字が読めなくても大丈夫だね」

「学生向けの本ですから、ある程度は読めますよ」

難しい本ばかりが並ぶ書庫にこれがあるのは、シャウロッテ自身がかつて読んでいた本だからだ。

とはいっても、すらすらと読める訳ではない。

「基本的な動作や心得は本に書いてありますし、コツも分かりやすいと思います」

文字についても教えましょうと付け加えるとアイリンの笑みは輝きを増す。

「エティアさんに少し教えてもらったんだよ!!」

簡単な単語、それこそ日常でよく見る物の名前、絵本に出てくる動物や果物のことだろう。

イルカの好奇心は何に対しても反応するらしく、目をキラキラさせて教えてほしいと頼むのだ。

嬉しそうに本を抱えて書庫を出ると、高く昇った太陽が雲の間から覗いている。

心地よい風と暖かな日射し、最近の慌ただしさに似つかわしくない、平穏がある。

ピリピリとしていた昨晩が嘘のようだ。

「シャウ、私、街に行きたいんだけど…いいかな?」

「街に…ですか?」

突然振り向いたアイリンは何かを思い出したのか、少し慌てているようにもみえる。

「…そうですね…特に仕事があるわけではないですし…」

「あ、あのね。一人で行きたい」

これにはシャウロッテも目を丸くした。

つい最近までイルカだった彼女が、たった一度行った街に一人で行けるのだろうか。

「アイリン、人に慣れていないあなたを一人で街に行かせるわけには…」

あまりに危険なことだ。

獣人であることを知られてはならないし、女一人となればそれなりの犯罪に巻き込まれるかもしれない。

「でも、シャウは怪我してるし、エティアさんは忙しいでしょ?」

「確かにそうですが…」

エティアは邸の掃除や管理に忙しい。

腕を吊って街に出ても大した護衛はできない。

「すぐ戻って来るから…」

半分泣きそうな顔をされては罪悪感が生まれる。

フイと顔を背けるが視線が刺さる。

「で、では、門限を決めましょう。その時刻迄に必ず帰ってください」

今から二時間後に戻るよう念を押すとアイリンは嬉しそうに笑う。

「うん。絶対帰って来る」

そのまま飛び出そうとしたアイリンの腕をすかさず掴むシャウロッテ

「まだ話は終わっていません」

はしゃぎようには少し呆れている。

「エティアに香水をつけてもらってください。あなたが帰らない時に探せるように」

一つの保険だ。

強い香水ならシャウロッテの鼻で追える。

レイルにやられた嗅覚は何とか回復している。

もしもの時はすぐに駆けつけなければならない。

「わかった。それなら安心だね」

はたして本当に安心なのか、内心不安なシャウロッテは渋々アイリンを送り出したのだった。


―数日前 シルズレイト海岸沿い―

北風が吹き荒れる海岸にたどり着いた一艘の舟だ。

荒波にもまれたのか、帆は所々破れている。

長い船旅を終えた旅人が足を踏み出す。

「ここが、異国…」

シルズレイトでは珍しい白の和服、黒く長い髪は風に吹かれてなびいていた。

(ついに、ついにたどり着いた。この先、如何なる試練があろうとも挫けはしない)

強い意志を拳に込めて握りしめ、広がる大地の先にある街をみた。

決意を胸に一歩踏み出した時、大波が岸にたどり着き旅人をさらった。

それは見事な手品のようにさっぱりと。


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