第11話 弟編
屋上のシャウロッテは、やって来たクライノートと交戦中だった。
シャウロッテは時折狼の姿になりながらクライノートの剣を押さえる。
唸りをあげて飛びかかっては爪と牙がクライノートを襲う。
クライノートもまた、退いてはいられないらしく、シャウロッテの隙を伺っては剣を振る。
戦闘技術は優れた方だと思われる。
時間が経てば経つほど、互いに傷は増えていく。
シャウロッテの爪がクライノートの頬を掻けば、クライノートの剣がシャウロッテの腕を擦る。
「僕は君が大嫌いなんだ」
薄黄緑の瞳に混ざる憎悪、それは確かにシャウロッテに向けられていた。
「貴方が私を憎むことは勝手です。しかし、マスターを傷つけたのなら私は貴方を許さない」
クライノートが表れた時、主犯は自分だと言った。
主人を奪ったのがこの少年ならば、見逃すわけにはいかなかった。
「君みたいに弱い奴がいるから兄さんは傷つくんだ」
弱い事実は認めている。
今までレオバルトを超える働きをした記憶はない。
それでも側に置いてくれる主人の為に応えなくてはならない。
「だからと言って、マスターを巻き込むことは許されないでしょう!私一人で済むことをっ」
「それじゃぁ意味が無いんだ。僕が君より優れている証明にはならないんだ!!」
振り下ろされた剣を、そばに落ちていた鉄パイプで防ぐ。
高い音が雲に吸われ、ポツリ、ポツリと雨が落ちる。
「僕はずっと、兄さんを見てきた
いつか僕を見つけてくれると信じていた
傍にいるのは僕だったはずなんだ」
見上げれば、雫は数を増す。
濡れた髪から滴る水滴の他に大粒の涙が混ざる。
彼の感情が雫を通じて伝わる。
憎悪ではなかった。
自分が主人を慕う以上に、彼は兄と信じた人に愛情を持っていた。
「お前さえいなければ、兄さんは僕を
見つけてくれたのにっ!!」
力を込めた剣は鉄パイプを折り、雨に赤い雫を混ぜた。
「――。―と。―バルト。レオバルト!!」
二回目の覚醒は案外早いものだった。
目の前にいたのは見馴れた顔だ。
「大丈夫か?レオ、怪我はねぇか?」
数時間吊るされていた手にはまだ体温が戻っていない。
死者のように冷たい手から鎖の残りを切り取ると、わずかに指が動いた。
「寒いかもしれねぇが、もう少し我慢してくれよ。もうすぐ、シャウが来るはず…」
リオンの話が終わるのも待たずにレオバルトは立ち上がる。
蹴られた腹は痛むがじっとはしていられなかった。
「おい、まだ立つな。貧血で倒れるぞ!?」
確かに目眩がする。
壁に体重を預けてようやく立っていられる程度だ。
「黙れ。俺の心配より、お前はラグナを追ったらどうだ?」
「ら、ラグナの民がいたのか?」
リオンの目が変わる。
レオバルトはリオンがラグナの民を追っていることを知っていた。
「ブラスティーナと、名乗っていた。知り合いじゃないのか?」
「…やっぱり、ラス……何で?
って、今はそれどころじゃ…」
我に返りレオバルトを制しようとするが、手に阻まれ、うるさいと言わんばかりの眼がリオンに向けられる。
「泣いていた」
「………は?」
「リオン、知っているか?
泣き虫ほど、意外な力をもつ生き物はいないんだ。
あいつが、そうだったようにな」
涙の痕が残るほど泣き続けた奴を知っていた。
泣きながらも大切な人を守ろうとした奴を知っていた。
だから、クライノートが見せた目がそれと重なって見えた時、同じ力を感じた。
「お前が先なら、シャウは屋上か?」
「あぁ。」
「お前はラグナを追え。俺は屋上に行く」
踏み出した足が重くとも、倒れている場合ではなさそうだ。
ふらふらと歩き出したレオバルトをみて、リオンは頭を掻いた。
「ったく、こんなやつ放って行けるかってんだ…
ほら、しっかり掴まれよ」
腕をとり、強引に引っ張ると悔しそうに身を預けるレオバルトに理由は違えど、こうして自分を頼る当たりは親子で同じだと感じたが口からでることはなかった。
息があがる。
雨が強まる。
雨に混ざって血が落ちる。
2つに割れた鉄パイプが転がる。
割れた先には赤い血がついている。
「痛い…でも、君は…その腕じゃ戦えないよね?」
鉄パイプが折られた時にシャウロッテは反射的にその片方をクライノートに突きつけた。
おかげで斬られたものの、浅く腕が切り落とされることは避けられた。
何よりクライノートの足にパイプの先が刺さったことは希望につながる。
左腕を失おうと立てれば攻めることができる。
足に怪我を負ったのならば、行動範囲は限られる。
金の眼はまだ光を失っていない。
「まだ、立つんだ。そんなに、兄さんを独り占めしたいの?」
「マスターは…私の主人です。マスターの命ならば貫かなければなりません」
ゆっくりと立ち上がったシャウロッテの左腕はだらりと下がり、雨に混ざって血を落とす。
コンクリートの屋上にできた水溜まりには街灯の光を反射してうっすらと二人が映る。
「生きてみせろと言われたから、私は抗うんだ!!」
足でパイプを弾く。
宙に浮いたそれを掴むと先をクライノートに向ける。
滴る血液を残して走り出す。
急激な加速にもクライノートは目を背けない。
表情をなくした顔の前で剣とパイプが交わりギシギシと音を立てる。
「君が兄さんに何を言われたかなんて、どうでもいいんだよ。
君がいなくなれば、僕はずっと兄さんの傍にいられるんだ」
はしる亀裂は増えていく。
「それを邪魔するのは君の存在なんだよ!!」
込められた力がパイプを砕き、散っていく破片が突き刺さる。
反動で体勢を崩したクライノートの脇腹に、シャウロッテの足が叩きつけられた。
「うあっ」
水溜まりに落ちた体は重く、足が上がらない。
ボロボロと溢れる涙が止まらない。
「マスターは…どこですか?」
彼には珍しい低く重みのある声だった。
雨は激しさを増していく。
クライノートがゆっくりと立ち上がり、再び剣を握った。
「その足で、戦うのですか?」
「―よ。―ないよ。」
雷が落ちる。
その雷光に照らされたクライノートは、悲しげではあるが、確かに笑っていた。
「痛くないよ。一人だった時に比べたらこんなの痛くない!!」
突き立てた剣は自身の足に、時に精神は肉体を凌駕するというが、果たしてこれ程の傷で戦えるのだろうか。
「僕は兄さんを守る盾になるんだ。これくらい…なんてことない!」
赤を纏って構えた切っ先、叩きつける雨さえも彼の視界にない。
狙うのは、シャウロッテのみだ。
「君だけは、許さない」
涙は一時も止まることはない。
赤くなった目を懸命に開いて睨んでくる。
走り出した彼は決して速くはない。
が、怪我を負ったとは思えない走りを見せる。
茫然としていたシャウロッテだが、追い付けない速さではなかった。
剣を避け払い除けることは容易で、激しい水音を響かせてクライノートが倒れる。
これ以上は何を聞いても無駄だろうと、シャウロッテは入口に向かう。
何より心配すべきは主人のことだ。
ノブに手をかける頃、彼の耳にゆっくりとした足音が聞こえた。
聞き覚えのある足音にほっと胸を撫で下ろす。
足音が近くなり急いで扉を開けようとしていると、後方から殺気を感じた。
振り向けば再び立ち上がったクライノートが剣を握り締め向かって来るではないか。
奥歯を噛み締めたシャウロッテは右肘で扉を叩く。
鉄製のそれはガシャンと大きな音を立てる。
その裏側に来ていたレオバルトとリオンは足を止めた。
それは近づくなという警告だった。
向かうクライノートに正面から迎え入れたシャウロッテが踏み出してとらえたのは剣を握る腕だ。
剣は宙を舞い、クライノートは床に押さえつけられる。
「もう、終わりです」
「うるさい…まだ、まだ僕はっ」
もがく彼が突然大人しくなる。
その目の先に、レオバルトがいたからだ。
リオンに支えられながらもその足で歩いている。
「……兄さん」
「マスター、ご無事で何よりです」
シャウロッテの表情がほころぶ。
最後に目にした時は睡魔の中で意識朦朧としている姿だ。
意識がはっきりしていることは何より安心できることだった。
「あぁ。何とかな」
翡翠の瞳がシャウロッテを見ている。
クライノートの目は涙で一杯だった。
こんなにも自分は懸命になっているのに何故見てくれないのか。
「シャウロッテ、もういいだろ。退いてやれ」
一切の抵抗を止めたクライノートから退き、主人の元へ戻る。
「…お前にしては早く来たからな。今回は見逃すことにする」
「…ありがとうございます」
さげた頭にレオバルトの手が乗る。
濡れた髪から水滴がこぼれた。
「さて、問題はこいつか…」
ようやく向けられた視線は決して優しくはない。
冷えきった翡翠の瞳はそれでも、クライノートにとっては望み以外の何物でもない。
「ブラッセは政府公認、そいつに手ぇ出したんだから、それなりの処罰は覚悟すべきだな」
リオンの言葉に体が強ばる。
それなりのリスクは覚悟していたが、やはり恐れはある。
「……兄さん、僕は…」
全て受け入れるつもりでいた。
目的を果たしたら兄の言うことなら罰でも何でも聞くつもりだった。
「リオン、今回のことを誰かに言ったのか?」
「ん?いや、まだエティアやアイリンにも言ってねぇが……
Σ待て、お前、今回のことは無かったことにしよう…なんて言わねぇよな?」
慌ててレオバルトに顔を向けると彼は笑みを浮かべている。
「ブラッセが拉致など恥にしかならんからな。数時間といえ、監禁されていた事実は公にしたくはない」
「…では、マスター。彼はどうするのですか?」
話についていけないクライノートはじっとレオバルトを見つめている。
ぺたりと座り込んだまま、ただ、じっとだ。
「決めさせればいいだろ」
落ちた剣を拾い上げると雨が伝っていく。
いつしか降り注ぐ粒は小さくなり、音も穏やかだ。
「ここで死を迎えるか
それとも、使用人として俺の下につくか
選ぶのはクライノート自身だ」
クライノートが見上げた先に、剣を振るレオバルトの姿があった。
自分の後方に向かい振られた剣が捕らえたのは、青白い小刀だ。
キンッと高い音を立てたそれはクライノートの頭部を向いていた。
「あら、この子のこと、気に入ったのかしら?」
「気に入るかどうかは今後の働きぶりによる。
さっさと消えたらどうだ?ブラスティーナ」
翡翠に映る灰褐色の瞳、弾いた小刀、その全てに見覚えがあったのはリオンだ。
「ラス?…ブラスティーナ?
なんで…何でお前がここに…」
上手く言葉がでないリオンを余所にブラスティーナはレオバルトと対峙する。
「まぁいいわ。この子の監視が目的だったし、ここであなたを敵にするのも不利だもの。
お言葉に甘えて消えようかしら?」
スッと引き下がるブラスティーナをレオバルトもシャウロッテも、彼女を追おうとはしなかったが、リオンだけは違った。
「待てよ、ラス!!何でお前が運命[ファートス]にいるんだよ!?」
人は感情が高ぶると思わぬ失態をするものだ。
彼は今、ブラスティーナを引き留めるのに必死で、自分のミスにも気づいていない。
「軽々しく呼ばないで。私はまだ、あなたを許していないのよ」
そう言い残し、彼女は飛び降りる。
すぐさま下を覗いたが、姿は見られなかった。
「くそっ」
握り締めた拳が床に叩きつけられ、水が弾ける。
レオバルトは何も言わない。
シャウロッテには状況がわからない。
クライノートは泣いているだけ。
時は過ぎていく。
「クライノート、選択しろ」
リオンについては後にしようとレオバルトが口を開いた。
先ずは今回のことを収拾せねばならない。
「……兄さんの傍に…いてもいいの?」
赤く腫れた目が上を向く。
「使用人としてなら考えてやる」
あくまでも使用人だ。
それがクライノートの望む関係ではないことはわかっている。
それでも彼はすがってくるだろうと確信していた。
「しかし、マスター。何を理由に彼を?」
「俺が直接動かせる人材は少ないからな。そろそろ必要かと思っただけだ」
事実、現在レオバルトの下につく者は少ない。
仕事に連れていける者は尚更だ。
「嫌だと言うならこのまま…」
「いく!兄さんと行きたい!!」
立ち上がったクライノートはごしごしと目を擦る。
拭っても拭っても、涙は零れ落ちる。
「何でも聞く。大好きな兄さんと一緒にいられるなら、何でもする」
真っ直ぐ向けられた視線は強く光る。
レオバルトが満足げに笑う。
「泣く暇はないぞ?クライノート。」
ようやく笑った顔は涙でぐちゃぐちゃの幼い笑みだった。
ぐずぐずとまた泣くクライノートの腕をシャウロッテが引く。
先程まで交戦していたとは思えないほど、彼は素直に応じた。
「まるで昔のお前を見ているようだな」
「なっ…マスター、それは…」
泣き虫は時に意外な力をもつ。
顔を赤くした彼もまたその一人だ。
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