第10話 弟編
雪が降る寒い夜だったはずだ。
雪に音は吸いとられ、やけに静かな夜だった。
辺りに街灯らしい灯りはなく、冬の闇に染められていた。
しかし、暗闇でも分かるほどに辺りは紅く、剣から滴る血液に吐き気を覚えた。
忘れもしない、一匹の獣を拾った夜だ。
「――ん…――さん――さん―」
覚醒しない頭でゆっくりと目を開く。
翡翠の瞳にはぼんやりと少年の姿が映った。
「兄さん。あぁ、やっと起きてくれた」
手をギュッと胸にする少年はレオバルトには覚えのない顔だった。
ガチャリ
覗き込む少年をどけようとするが腕が動かない。
漸く頭上で縛られていることに気づく。
一体ここは何処なのか。
見渡すが窓はない。
地下室なのかもしれない。
もう一つ、少年の他に二人の人物に気づく。
馬車を襲った顔があることから、自分が捕まったことを理解した。
頭はまだ上手く働いてはいない。
足に思うように力が入らない。
「本当はね、縛ったりしたくないんだよ?でも、兄さんは僕のこと知らないし、抵抗するでしょ?だから、少し我慢してね」
少年はそれほど幼くはないようだ。
見た目は15、6歳、色素の薄い長髪で目は柔らかい黄緑をしている。
「僕は兄さんになら殺されたって構わないけど、僕は兄さんに悪い影響を与える人をそのままなしておきたくないんだ」
少年は常に目を潤ませている。
泣いた跡だろうか、目を擦った跡もある。
「だから、悪い奴は消しちゃわないと」
柔らかな瞳に一瞬憎悪が映る。
レイルとブラスティーナは黙ったままで、レオバルトには少年が何に憎しみを抱いているのかがわからない。
自分に悪い影響を与える者とは誰なのか。
「そしたら、兄さん、僕は満足なんだよ」
笑みを向ける少年に苛立つ。
そもそもレオバルトには弟はいないはずだ。
「お前の正義に俺を巻き込むな。それと、人を勝手に兄にするな。俺に兄弟はいない」
睨むような目付きに少年はたじろぐ。
「へぇ。そういう目をするわけね…」
感心したのはレイルだった。
「さっきは全く抵抗しねぇから偽物かと思ったが、その目は本物だな」
『さっき』という言葉、つまりは連れ去られてあまり時間がたっていないということだ。
レオバルトも自身を理解していない訳ではない。
食後の睡魔は最低でも三時間以上、救いはまだ一日と経っていないという確信だった。
「兄さん、信じられないと思うけど、僕は確信を持っているんだ。母さんはいつも言ってた。僕はグランツ・ブラッセの子供だって」
グランツとは確かにレオバルトの父の名だった。
ブラッセの当主にも関わらず仕事を嫌い、公にもあまり顔を出さない。
性格は比較的穏やかで、争いを嫌う。
レオバルトとは正反対の父だ。
「母親の幻覚に付き合わされるとはな。言葉は証拠にはならない」
父グランツがどんな人間なのかはよく知っている。
公では如何にも人当たりのよさそうな人物だが、ある強い願いを持っていた。
それを叶える為には何だってする男だ。
だからこそ、彼が自分以外の子をつくるはずがない。
「信じてくれなくてもいいんだ。僕にはもう…兄さんしかいないんだから」
悲しげな表情でレオバルトを見つめる少年の目は何かに救いを求めているように見えた。
「母さんが死んで、僕が望むのは兄さんだけなんだ…だから…だから…」
ポツポツと大粒の涙が少年の目から溢れる。
「あいつは許せないんだ」
時折姿をみせる憎悪はレオバルトの先を見ているように視線が噛み合わない。
「ぼうや、そろそろじゃないかしら?」
ブラスティーナがドアの向こうをみている。
「うん。そうだね」
少年が涙を拭い、今度は無邪気な笑みをみせる。
やれやれというようにレイルは首をふり、外に向かう。
「レイル、貴方は一階で待機だからね」
ブラスティーナは冷静だった。
直ぐに追ってくる者を知り尽くしているかのように、彼女の動きに合わせて飾りが揺れる。
そな音に記憶があったのか、レオバルトが視線をあげる。
「褐色に銀髪……あんた、ラグ…」
「あら、お客の到着が早いのね。私は先に行くわ」
レオバルトの言葉をさえぎって、彼女は部屋をあとにする。
「じゃ、俺も行くとするかな。テメェもしたくしろよ」
「うん。わかった」
レイルも去り、部屋にはレオバルトと少年の二人だ。
少年は楽しげに上着を羽織る。
「兄さん、あんな狼より、僕の方が役にたつって証明するよ」
「貴様にあいつを超える力量があるとは思えないな」
「貴様なんて言わないで。僕の名前は
クライノート
クライって、呼んで」
翡翠の瞳が見開かれる。
それは宝玉を意味する名前だ。
『宝玉[クライノート]』と名付けられた少年が何故このような強行にでたのか。
何故、悪と呼ばれるブラッセに執着するのか。
疑問は尽きない。
「兄さんの為になら、僕は何にだってなれるんだから」
震える声でそう言って、彼は背を向けた。
『愛することも、愛されることも、許されてはならない
そういう運命を背負って生きなきゃならないんだ』
「………くそっ」
一人になった部屋に、鎖が揺れる音が響く。
固く錆びた切ない響きだった。
雲が厚みを増し、黒く重くなる。
日が変わりどれくらい経ったのか。
屋根を伝い一頭の狼が屋上に登る。
黒い体を闇に溶かして静かに這う。
ピンと立った耳が微かな音をとらえると、扉に向かって牙をむき出し唸る。
狂犬と化した狼は、ただ一点を見つめて身を屈めている。
リオンと別れて屋上に向かったシャウロッテの頭の中には主人の救出しかなかったはずなのだが、ここに来て憎悪の気配を感じた。
ゆっくりと階段を上がる足音が聞こえた。
空に広がった重い雲は今にも雨を落としそうな程に迫ってきている。
「リオン・レオパード…大層な名前だなぁ…おっさん」
同時刻、一階のレイルと鉢合わせたのはもちろんリオンだった。
「俺の名前くれぇは知れてんだな」
ブラッセに仕える家系とはいえ、知れ渡るのは何時でもブラッセの名のみだ。
しかし、現当主のお気に入りともなれば話は別のようだ。
「俺達獣人じゃぁ有名だぜ?人間の味方をするあんたのことはな」
レイルの手には鎌が、リオンの手にはナイフが握られている。
「味方ねぇ…腐れ縁ってやつなんだがなぁ…グランツとは」
クルクルと体格に似合わない小さなナイフを回す。
「どうでもいいさ。おっさんはここで退室しな!!」
レイルの巨大な鎌が振りかかる。
死神を思わせる鎌が壁に傷をつけながら迫る。
が、リオンは冷静だ。
「やれやれ、若いっていうのは厄介なもんだ。ついつい過大評価しちまう」
壁を崩す勢いで振り下ろされた鎌は大きな金属音を響かせて宙に止まる。
丸く開かれたレイルの目に映ったのはナイフではなく銀の爪のようなものが鎌を受け止める光景だ。
「よぅ、こんなもんか?鎌鼬っていうが、大した威力はねぇんだな」
鎌を弾くリオンの大きな口は弧を画く。
銀の巨大な爪は鋭く光り、レイルは思わず後ずさる。
「悪ぃな。レオを待たせてんだ。道を開けてもらうぜ」
レイルの2打は許されなかった。
慌てて構えたものの間に合わない。
鎌の合間を抜き、あっという間に間を詰められ、気づいた頃には腹に深く突き刺さる爪が、内臓を抉っていた。
「テメェ…いったい…」
「あぁあ。殺しはしたくねぇのになぁ…」
最後の抵抗と言うように鎌がリオンの首にかかる。
だが、あと少しというところで、彼の鎌は砂と化した。
「あと、俺が人間の味方だって言ってたが、そりゃ当たり前のことだ」
眼鏡の奥の橙の瞳が悲しげに光る。
力の入らないレイルの体は徐々に固さを増し、指先から順にボロボロと崩れていく。
「俺は元々人間だからよ」
レイルの腹から爪が抜かれると血液が噴き出す。
床に這いながら朽ちかけた手でリオンの裾を握る。
「嫌だ…消えたく…ない」
無意識なのか、彼はそう言った。
死とは別の恐怖に怯えるように震えた体が止まると、その体は細かい粒子に変わり、残ったのは小さな獣の骨だけだった。
「…」
爪がナイフに戻る。
赤みを増した刃をしまい何も言わずに奥へと進む。
彼、リオン・レオパードは獅子だ。
そして、金属の変形を自在にする能力を持っている。
稀少な獣人の中にはこのような特殊能力を持ったものが稀に確認されている。
レイルの鎌もその一つだろう。
もちろん、どのような原理があるのかは解明されていない。
この姿、能力が便利かと言われるとそうではない。
使い道といえば、彼らのように命を奪うことくらいだからだ。
「なぁ、俺は…許されねぇよな…」
罪悪感が生まれないはずがない。
だが、自分自身が生きる為には、避けられない道なのだ。
「くそっ…」
残された部屋にはレオバルトしかいない。
逃げるには絶好のチャンスだ。
しかし、頑丈な鎖は揺れ擦れるだけで、第一、睡魔を完全に抜けたわけではないので力を出しきれない。
虚しく鎖の音だが響く。
<カチャリ>
突然開かれた扉から入ってきたのは
「貴方でも無駄な抵抗をするのね。」
ブラスティーナだった。
蒼白の装飾品はある貝を薄くし磨いたもので、それは重なる度にキレイな音を奏でる。
「まさか、ラグナの民がいたとはな。」
ラグナの民とはシルズレイトの先住民と言うべき民族を指す。
褐色の肌と銀の髪、そして彼らは好んで貝の装飾品を身に付けた。
その音色が死者に捧げるレクイエムに聞こえることから『終焉の民』とも呼ばれている。
「もう少しあの子を利用しようと思ったんだけど、思ったより早くレイルが負けたから、先に殺しちゃうことにしたの」
ブラスティーナの眼は笑っていない。
焦りもみえない。
あるのは強い強い憎悪だ。
「何が目的なんだかな。政府に宣戦布告してまで何がしたい?」
ブラスティーナが刀を突きだそうとレオバルトは鋭い視線を彼女から離さない。
「シナリオを変えたくない…ただ、それだけ」
冷たい眼のまま、刀は舞う。
チッと風を切る音を残し刀は回転した。
「っ……なんのまねだ?」
崩れた身体は床に落ちた。
傷はない。
彼女が斬ったのは、レオバルトを縛る鎖のみだった。
「言ったでしょ?私はシナリオを変えたくないだけなの。」
うっすらと笑みをみせて彼女が歩み寄る。
「でも、このまま逃げたら、ただの裏切り者よね」
「……!!、ぁぁっ」
何かと見れば彼女の足が鳩尾を目掛けて蹴りあげる。
息が詰まりわずかに声が漏れた。
「じゃぁね。貴方は主人公なんだから、生きなきゃダメよ?」
シャンシャンと音がなる。
遠ざかるその音色が、まだ迎えは来ないと暗示をしているように聞こえた。
息が整わないレオバルトは、その場で目を伏せ、迎えにくるであろう従者を待った。
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