第9話 弟編
「な、なんだ!?お前は!?」
それは先ほどまで会話をしていた使用人のものと思われる。
緊張感が走る。
前方から囁くような小さな小さな声がシャウロッテの耳に届く。
「さぁ、ショータイムの始まりだ」
灯りを切り裂くように飛び出した陰が二本の大鎌をふるい馬車に飛び乗った。
金髪が灯りに照らされ陰とのグラデーションを作り出す。
「予告通り、お迎えに参りましたよ
レオバルト・ブラッセ殿」
赤茶の瞳が一瞬ギラリと輝いた。
突然の襲撃、いや、襲撃というものはいつでも突然訪れる。
それ故か、意外にも冷静に現状を把握していた。
1つ、マスターであるレオバルトは最悪のコンディションであること
戦闘はもちろん、歩くことも満足にはできない。
2つ、先ほどの使用人が襲われたこと
馬車の騎手も務めていた彼がいなければ車を出せない。
3つ、襲撃を仕掛けた男が一人だとは考えられないこと
いくら夜道で人が少なくとも、一人でこんなに堂々と襲撃をするはずがない。
状況は最悪だ。
しかし、文句はいっていられない。
何よりも優先すべきはマスターの安全を確保することだ。
「犬には用がないんだがなぁ…邪魔するって言うんなら、先ずはお前からだな」
空を斬り、鎌が向けられる。
ガクリと崩れたレオバルトの肩を支えながら相手を睨む。
今はそれが精一杯だ。
遠くから声が聞こえた。
それは聞いたことのないものだったが、何かを叫びながら確実に近づいてくる。
「レオバルト様!何事ですか!?」
先ほどの叫びを聞いて警護官が駆けつけたのだ。
それはあまり良いとは言えない。
「いけません!無闇に近づいてはっ…」
「あぁあ。死にたがりは面倒だねぇ」
シャウロッテがわずかに目を放した隙に馬車から飛び降りた男は大鎌を自慢気に構えると
「ギャラリーは舞台に上がって来るんじゃねぇよ」
二振り、たった二振りだった。
大鎌の風圧により生まれた鎌鼬の風の刃はいとも簡単に人を吹き飛ばす。
「あらら?砥が甘かったか?」
レンガ壁に叩きつけられた警護官からは血はみられない。
放った鎌鼬は刃と言うよりは鉄球のようなものだったのだろう。
「マスター…少し離れます」
レオバルトを背負いながら戦うのは不可能と判断したシャウロッテはレオバルトをレンガ壁に預け、その前に立つ。
主人のためなら盾にでもなろう。
シャウロッテはそういう従者だった。
後ろがレンガ壁ならば守るのは前のみ、複数の敵が来ようとも高いレンガ壁を越える時に対処できる。
考えられる最善を尽くしたつもりだった。
「そうそう。じゃ、俺は俺の仕事をするとしますか」
俺の手に握られたのは白いボールのような塊だった。
鎌を持ちながらでも持つことができる大きさのためそれが何なのか招待がわからない。
「準備はいいか!?“ブラスティーナ”!!」
男は叫ぶと同時に白いボールを地面に叩きつけた。
それは薄い煙に変わる。
睡眠薬、毒ガスの類いだろうか…しかし、敵はマスクをつけていない。
気になるのは“ブラスティーナ”という名前だ。
仲間がいるとしか考えられない。
「考える余裕なんてのは与えねぇぞ!!」
豪快な笑みを浮かべて鎌で斬りかかる男の刃が迫る手前、大きく一歩を踏み出して敵の懐に潜り込む。
鎌の柄を掴み弾く。
と、同時に一撃、相手の腹に下から蹴りを入れた。
「っ~~…ってぇ!!」
「…っ!?」
フッと息を吸った時に感じた違和感、鼻にツンとした刺激が走る。
それは本当に強烈な痛みを生む。
確認するが、シャウロッテは元々狼である。
故に嗅覚は人よりも格段に優れている。
人の姿である時は多少の制限がかかるもの、それでも人の数倍は良いと言える。
「…はっ、ようやく効いたかよ。意外に鈍いんじゃねぇか!?」
男は腹を押さえながら笑った。
「後で追われちゃ困るんでな!!」
鼻を押さえるシャウロッテの手から血が落ちる。
粘膜が傷ついたのだろう。
こうなってしまえば、自慢の鼻は使えない。
「貴様っ…」
ピクリと空気が変わる。
ぎらりと光る金色の目が男をにらむ。
それをみても男はへらへらと笑っている。
と、頼みのつなである耳がわずかなもの音をとらえた。
ハッとしたシャウロッテが振り向くと、寄りかかるレオバルトのわずか右側、高く積まれたレンガ壁に爆音と共に大きな穴が開けられた。
「マスター!!」
「おっと、お前の相手はこの俺だ!!」
振り下ろされる鎌を防ぎつつ隙を探すが、男は戦いなれている様子で、刃を避けたが柄に体を持っていかれた。
馬車に叩きつけられ。る
ガシャンと音をたてて体が落ちるのがわかった。
「さぁて、どう遊ぼうかな?」
「レイル…」
男が鎌を担いでシャウロッテを見下ろしていると後ろから女性の声がする。
「時間はかけない方がいい。早くいくよ」
褐色の肌の女性、彼女はレオバルトの腕を掴み、抵抗がないことを確認する。
「ブラッセも堕ちたものね。頼りない従者に、本人がこれでは…」
薄れ行く意識の中で残るわずかな意志が彼女を睨む。
「…あぁ、まだ焔は消えていないようだ」
薄く笑うと、彼女はレオバルトを無理にたたせる。
「レイル、私に運べと言うの?持ちなさいよ。私がその子を殺すから」
冷たい目を男、レイルに向ける。
「はいはい。わかったよラス。じゃ、俺はさっさと戻りますか」
鎌の片方をブラスティーナにもう片方は宙に、それはキラリと光り粒子となった。
「行かせるか!!」
レイルがレオバルトを担いだのを見て、飛び出すシャウロッテだが、数歩でそれは遮られる。
「残念。弱い子は追えないわよ」
鎌の柄を軽く振り回し、シャウロッテの腹部を突く。
「ラス、鎌の使い方間違ってんぞ」
「いいのよ。私はあなたと違って血は見たくないの」
やれやれと言いように首をふり、レイルは軽々と屋根へと登る。
「バイバァイ、ダメ犬」
「…うっ……マスターっ…放せ!追わせろ!!」
ブラスティーナの攻撃を防ぐうちにレイルの姿が消える。
彼女は技術も力もレイル以上、地面に伏せる形で動きを止められては、シャウロッテも身動きがとれない。
月に雲がかかり、辺りが薄暗くなった。
ブラスティーナはじっと犬を見下ろして、じたばたともがくシャウロッテの耳に口をよせると
「よく聞きなさい、シャウロッテ」
突然、名前を呼ばれ彼女の目をみる。
銀褐色の瞳が真っ直ぐ自分に向けられている。
「―――――」
それが真実なのか
それとも欺く為の嘘なのか
シャウロッテには分からないままだった。
鎌が退く。
月が再び顔を出し、辺りを照らす。
「じゃぁ、また後でね。狼さん」
そう言い残して、彼女は姿を消した。
呆然と地にうつむくシャウロッテを残してだ。
月光が筋を残すほど明るい夜、雲さえなければかなり明るいだろう。
しかし、雲は量を増し、厚い層を重ねるだけだ。
(マスター…直ぐに向かいます)
血を拭ったシャウロッテの眼には、強い意志が込められていた。
「は?レオに脅迫状?」
ブラッセ邸に戻ったリオンは素頓狂な声をあげていた。
「脅迫…とは違うようですよ?」
エティアが送られた手紙を渡す。
あの『弟』からの手紙だ。
眼鏡をかけ直して目を通す。
簡潔な二文から、記憶をたどる。
彼は昔からレオバルトの父に使えているが『弟』については全く記憶がない。
「信者の類いか、精神病かなんか知らねぇが…レオの弟はあり得ねぇ…」
こちらもレオバルト同様に完全否定だ。
「用心に越したことはねぇよな。俺は直ぐにじいさんの邸に向かう」
「はい」
阿吽の呼吸でエティアがリオンのために扉を開ける。
外から冷めた空気が流れ込み、少し肩を強ばらせてリオンが踏み出す。
「アイリンのこたぁ頼むぜ、エティア」
「勿論ですとも」
手を振り悠々と夜の道へと向かった。
邸を出て数分、何かの足音が聞こえた。
まだ遠いが、かなり速い。
人とは違う、四つ足動物の走りだ。
「なんだ?獣人か?」
じっと警戒していると、道の真ん中を走る黒い影が夜の闇に紛れてぼんやりとだが、確かに黒い生き物が向かってくる。
目を凝らして見てみれば
「…ん!?シャウ!?って、止まれ!!シャウロッてぇぇぇ!!」
リオンの制止虚しく激突したのは狼姿のシャウロッテだった。
腹部に頭突きをくらうはめになったリオンはうずくまり、全力疾走のシャウロッテは息を荒げながらトランスする。
「シャウ、お前距離をとれよ!!」
「リオン殿!!コードザイール三番街へはどう行けば良いのですか?」
シャウロッテを叱ろうと顔を上げたリオンだが、そのシャウロッテはリオンの胸ぐらを掴み、必死の形相で問いかける。
驚いたリオンは直ぐにレオバルトに何かあったのだと気づいた。
彼が取り乱すなど滅多にないことだからだ。
「落ち着けよ。コードザイールってのは、こっから北にいくんだが…まずは状況を説明してくれ。レオはどうしたんだ?」
「…マスターが…」
目にうかぶ涙には、不安と悔しさが滲んでいる。
早口にこれまでの出来事を語るシャウロッテは一刻も早く奴らを追いたいと焦っている。
「ブラスティーナってのが気になるが…とにかく行くしかなさそうだな…っていうか、お前鼻で追えないのか?コードザイールに向かうなら戻る必要はねぇぞ?」
シャウロッテの鼻はほとんど使えない状態だった。
レイルの煙によって傷つけられた粘膜は一時的とはいえ直ぐには治らないだろう。
「そっか、使えねぇから戻ったんだな。お前は賢いな。ちゃんと帰り道を覚えてた」
ぐしゃぐしゃと大きな手が頭を撫でる。
うつ向いていたシャウロッテがリオンを見上げると、橙の瞳を真っ直ぐ自分に向けている。
「さぁ、迎えに行こうぜ。遅れたらまた叱られるからな」
リオンの姿が鮮やかな光を放ち獅子へと姿を変える。
「乗れ、シャウ。全力で走るからな」
赤の強い茶の鬣を湛えた大きな獅子にまたがれば、走り出す脚の強靭さを感じる。
やはり頼りになる存在だった。
コードザイールまでの道、最も人目につかない最短ルートをリオンは知っている。
風が獅子を避けるように吹き抜ける。
一歩一歩が力強く、心強く思えた。
「しっかし、本当にこいつがレオバルト・ブラッセなのか?」
薄暗い一室にレオバルトを放るレイルが呟く。
レオバルトの意識は深い眠りの中で、途中、睨むことはあっても一切の抵抗がみられなかった。
「間違いないよ。翡翠の瞳に赤い髪、黒い従者がいたし、証明は十分なんじゃない?」
あとからブラスティーナがつづく。
「にしても、こいつは軽すぎだし、従者もイマイチ。政府お墨付きの暗殺者とは思えないな」
軽さの理由は拒食ともいえる食生活にある。
体力もあるとはいえない。
ただ、軽さ故の速さと幼少より培った技術は誰にも負けない。
負けず嫌いの一面があるのも事実だ。
「運が良かっただけかもしれない。起きたら面倒だから、ちゃんと拘束しておいてね」
「あぁ、って、あんたは何処に行くんだ?」
奥に進むレイルと違って、ブラスティーナは中に入らず入口でみているだけで灰褐色の目は外を向いている。
「伝えにいかなきゃならないでしょ?『あの子』はきっと待ちくたびれているでしょうから」
『あの子』という言葉にレイルは眉をひそめる。
「ヤベ…忘れてた…あの泣き虫に文句言われるか?」
「お願いは叶えた訳だし、文句を言われる筋合いはないよ」
ふいと顔を背けて歩き出すブラスティーナを見送り、レイルはため息を落として金具を手にした。
白いテーブルの上に彩りのあめ玉が並ぶ。
コツンコツンとビー玉のように弾いて遊ぶ少年がいた。
「大好きなイチゴは兄さんで、僕はパイナップル。嫌いなソーダは狼さん」
弾かれた空色のあめ玉はテーブルから落ちて二つに割れた。
みれば部屋には様々な色や形の菓子が並んでいる。
「早く会いたいなぁ…僕の兄さん」
パクリと少年は赤色のあめ玉をほおばる。
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