第8話 弟編
『ノクティス』接触の翌日、玄関を開けたシャウロッテが一通の手紙に気づいた。
薄黄緑の封筒に入ったそれは扉の下に挟まれていたのだ。
そう言えば、昨日からメイドの方は休日で数人の使用人だけが館に残っているだけだったと思い出した。
手紙を拾い上げると宛名はレオバルト・ブラッセ、差出人は『弟』と書かれている。
「マスターの…弟?」
そんな話は一度も聞いていない。
そもそも、政府公認の暗殺者であるブラッセの子が公にならないはずがない。
嫌がらせか何かだろうか。
それとも、本当の弟がいたりするのだろうか。
手紙は小さな封筒が一つだけ、爆弾のような危険物はなさそうだ。
封筒の感触を確認しても、金属は中にない。
「……困りました」
もう一度、宛名と差出人を確認する。
上手くも下手でもない字で確かに『レオバルト・ブラッセ』と『弟』と書いてあるのだ。
玄関先でいつまでも立ち尽くしているわけにもいかない。
シャウロッテは封筒を持ち邸の中へと戻っていった。
「…弟?いるわけがないだろ」
分厚い本を片手にソファーに座るレオバルトが不機嫌に答えた。
朝から部屋を訪ねたから何事かと思えば「弟はいるのか」と聞く。
答えはすぐに返ってきた。
「腹違い…と言うことは?」
珍しくしつこいシャウロッテに視線を向ける。
だが、やはり答えははやかった。
「あり得ないな。母親は俺が産まれた時に亡くなった。親父が他に女をつくる事は絶対にあり得ない」
ブラッセの後取りが産まれた事は国中に情報が伝わった。
その為詳しい状況も記録として残されている。
レオバルトが父親は浮気をしないという理由は定かではないが、本人は弟の存在を完全に否定している。
「でしたら、これはやはりイタズラでしょうか?」
差し出された封筒を手にするとシャウロッテ同様に宛名と差出人を確かめた。
「何処のどいつがブラッセの弟になりたがるんだよ」
世間から異質の存在としてあるブラッセに向けられる世間の目は冷ややかなものがほとんどで、殺人者のレッテルを産まれたと同時に貼られたようなものだった。
興味本意で封を切ると小さなカードが二枚、それぞれ一文ずつ書かれている。
『ずっとこの日を待っていました』
『次の新月にお迎えに行きます』
「…新月?今夜じゃないか」
「周りの警護を強化しますか?」
現在この館には四人の警備員が配置されていた。
館のわりに少ない警備だが、大きな事件になるような事態は起きた事がなかった。
「どうせただのイタズラだろう。放っておけばいい。それに…」
手にしたのは白い便箋だ。
綺麗な金の装飾のしてあるそれは会食の案内だった。
「シュバルツのじじぃの所に行かねばならん。欠席するとうるさいからな」
「しかし…」
イタズラかもしれないとはいえ、心配なシャウロッテを制するようにレオバルトが口を開く。
「シャウロッテ」
発せられた低い声に肩が震える。
翡翠の瞳が射殺さんと鋭く光った。
「俺が易々と殺されるとでも言うのか?」
レオバルト・ブラッセの実力は誰もが認めていた。
風の如く空を舞う剣さばき、何より恐れられたのは、一切の感情を表に出さない冷酷な表情にあった。
「それに、お前はここにいる」
おもむろに立ち上がりシャウロッテと向かい合うと、自信に満ちた表情で笑うのだ。
まるで、自分の目に間違いはないと言い張るかのように
「違うか?シャウロッテ」
「期待に応えます。マスター」
そう答えずにはいられない。
一瞬脳裏によぎった過去の映像は雪の降る暗い夜に伸ばした自らの手だった。
あの日から変わった事と言えば、成長した身体だけかもしれない。
「あっ…」
「どうした?」
「私がマスターについて行くとしても、アイリンはどうするのですか?」
今日はリオンがいないし、メイドもわずか、人としては半人前のアイリンを一人残していくわけにはいかなかった。
今までは必要のなかった心配をすっかり忘れていたのかレオバルトも口を閉ざした。
日は暮れて、月と星が顔をだす。
「ねぇ、シャウ。私はついて行ったらいけないの?」
少々不機嫌なアイリンがシャウロッテに問う。
「すみません。アイリンにはまだ危険なので…」
二人が出した答えはアイリンには待っていてもらうことだった。
その保護者として選んだのはメイドの一人だった。
「エティアは直ぐに戻りますから。それまで待ってください」
エティアとは、黒髪と丸い目のメイドで、普段は洗濯や掃除の手伝いをしていた。
彼女はムササビで夜の森を自由自在に飛び回っていた飛行者だ。
その為暗闇でも良く見える目をもっていた。
「私、一人でもお留守番できるよ?早くレオの所に戻った方がいいんじゃないの?」
ぷいっとそっぽを向くアイリンにシャウロッテは困ってしまう。
確かに早く先に出た主人を追いたい。
会食が終わるまでには行かなくてはならない。
数人の警護がついているとはいえ、あまり安心できるものではない。
と、その時、良いタイミングで扉が開いた。
「すみません。道に迷ってしまって遅れてしまいました」
ペコペコと頭を下げる女性がものすごい勢いで入ってきた。
いつものように黒と白の制服を着ている彼女がエティアだ。
「ティア、話は手紙の通りです。アイリンをお願いします」
速達で届けられた手紙にはいきさつが書かれていたはず。
「はい。わかっています。早くレオバルト様の所に向かってください。きっとシュバルツ様に食事を勧められてお困りでしょうから」
疑問符をうかべたのはアイリンだ。
しかし、シャウロッテにそれを気にしている余裕はない。
深く頭を下げるとくるりと背を向け、闇に染まった夜の外へかけていった。
途中で青白い光が見えたのはシャウロッテがトランスをして狼になったからだろう。
「エティアさん、食事を勧められて、どうしてレオが困るの?」
窓からシャウロッテを見送ったアイリンが尋ねる。
エティアはポットにお茶を作りながら答えた。
「レオバルト様はお食事を嫌われるのですよ」
街の灯りが線のように流れる。
黒い狼が入り組む小さな路地を駆ける。
ひときわ人の出入りが多く明るい灯りに照らされた大きな屋敷がシュバルツ・アイスフォールの所有する屋敷だ。
国の政権すらも左右すると言われるほどに大きな影響力をもつ最上級貴族アイスフォールは、度々ブラッセに仕事を依頼することもあり、アイスフォールからの招待を断ることは禁忌と言われることもある。
人嫌いのレオバルトも参加をせざるを得ないのはその為だった。
人の姿に戻ったシャウロッテは、門番に軽く会釈をし、ブラッセに仕える者の証しとしてカードを見せる。
敬礼と共に音をたてて開かれた門から玄関口まで、襟や袖を整えて歩く。
シャウロッテ自身、かしこまった会食は苦手だった。
狼故に、礼儀作法を知らない。
不自然にならないように何度も練習はしたのだが、難しいことに変わりはなかった。
そもそも、彼が狼であることは周りに知られてはいけないのだ。
いざというときはレオバルトがフォローをするが、その後は決まって罰が与えられる。
同じ失敗は許さないと言われているため、かなり緊張して会場に入った。
中では上流階級の貴族が会食を楽しんでいた。
周りには時折銃を持った兵隊が見えるが、厳重な警備をしているとは思えない。
中央よりわずかに入り口側でシュバルツと会話をしているレオバルトがいた。
姿を見つけたその時にシャウロッテは違和感を感じた。
右手にワイングラスを持ち、いつもの作り笑い。
今日は会食の為、ベストとスーツを着ている。
おかしいのは他にある。
左手が机に置かれ、そこに体重を預けているようだ。
まばたきの回数も多い気がする。
正面で話をしているシュバルツは気づかないようで、楽しそうに話を続けていた。
「マスター」
レオバルトの異常に気づいたシャウロッテは慌てて声をかけ、耳元でささやく仕草をする。
「マスター、直ぐに戻られた方が…」
漸く現れたシャウロッテに合わせて適当に相づちを打つと、シュバルツに向かって頭を下げた。
「シュバルツ殿、申し訳ありません。急な仕事が入ってしまいました。」
「おやおや、それは残念だ…いや、お忙しいレオバルト君が顔を出してくれただけでもありがたい。楽しいしパーティーだった。帰り道には気を付けてくれ」
ニコニコと上機嫌なシュバルツにおどろく。
一体どうやって機嫌をとっていたのだろうか…。
「では、お言葉に甘えて失礼します」
深く礼をすると出口へ向かう。
数歩歩いたところで思い出したように振り向くと
「そうそう。頂いたパイ、とても美味しかったです」
その言葉に目を丸くしたのはシャウロッテだった。
ますます機嫌を良くしたシュバルツに軽く礼をして、直ぐにレオバルトを追った。
会食で食事など、それも警戒している日に…
「マスター、何故今日に限って…」
「阿呆か…手作りだと勧められて断るのはマズいんだよ…社交儀礼だ社交儀礼…」
足早に会場を出ると遂に限界と言わんばかりに壁に手をついた。
レオバルトが食事を嫌う理由、これが一番の問題だ。
「遅い…シャウ…」
「すみません…ティアが遅れてしまって…歩けますか?」
現在レオバルトが戦っているのは強烈な睡魔だ。
どういうわけか、昔から半強制的に眠りにつく。
消化器系が能率良く活動してくれない為に、消化にかかるエネルギーが多大に必要になるらしい。
なんとも面倒な体質を嫌い、食事を避けるレオバルトの健康面にはいくつもの問題がある。
それでも危険な仕事をキッチリこなせるのは、ある程度に発達した医術によるものなのだろう。
「兎に角、何とか戻らなければ…」
とは言うものの、体は思うようには動かない。
目を閉じてしまえば直ぐに眠ってしまいそうだ。
ただでさえ、連日の寝不足が蓄積されているというのに。
鬼のような形相で怨んでいるとはシュバルツは気づかないだろう。
馬車までは体を引きずるように歩くしかない。
いくらシャウロッテが優秀といっても360゚全てを警戒できるわけではない。
せめて馬車まではと意識を集中させている。
「こんな時に…何故、リオンがいない…」
ブツブツと愚痴を吐くというよりは、喋ることで睡魔と戦っていると言える。
門を過ぎると人影はぐっと減る。
まだパーティーは続いており、出入りをするものが少ない。
ガス灯の灯りがぼんやりと街を照らし、道端に停めてある馬車から影がのびる。
「レオバルト様、如何なされましたか?」
あまりに早い帰りに見張りをしていた使用人が駆け寄った。
明らかに体調不良を思わせる足取りに驚いたようだ。
「少し気分が悪いようなので、できるだけ急いで邸に戻りたいのですが」
シャウロッテが使用人に話す。
その内容に睡魔は出てこない。
この奇妙な体質を嫌うレオバルトへの計らいだった。
「わかりました。直ぐに車をだします」
使用人が馬車へ戻る。
一先ず安心できるとレオバルトの体を支えながら自らも馬車へと向かおうと、そう、前を向く。
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