第6話  小休憩

にぎわう街中を黒い青年と金色の少女が歩く。

見るもの全てが初めての少女は辺りをキョロキョロと見渡している。

「ねぇシャウ、アレは何?これは食べ物なの?」

次から次に投げ掛けられる問いにシャウロッテは嫌な顔一つせずに答えてやる。

「あれは時計台です。12時になると鐘がなります。これは…南方の果物かと…」

シャウロッテにもわからない物は多い。

人でない故に理解し難い事も無数に存在する。

それでもアイリンよりはずっと人間社会を理解しているつもりだった。

「わぁ、お魚がいっぱい並んでる。人間は死んだお魚を食べるの?」

イルカの彼女が今まで食していたのは生きた魚だった。

獣人となれば雑食となるが、まだ死んだ魚は見慣れていないようだ。

市場に並ぶ魚介類は不思議な光景に映るのだろう。

「レオも来ればよかったのにね」

アイリンが魚を見ながら呟いた。

魚を幾つか買ったシャウロッテは困ったように笑う。

「マスターはあまり街に出ません。今頃、お休みになられているかと…」

レオバルトは人を嫌う。

仕事以外ほとんど外にでない。

1日の多くを自室で本を読むことに費やしている。

その為、邸内には図書館なみの書物が保管されていた。

「ここに皺よせて、難しい分厚い本を読んでるんだよ」

眉間に指を当てて考える素振りを見せる。

アイリンには到底理解のできない難しい単語ばかりが並ぶ分厚い本を無言で読み進めるレオバルトが浮かぶ。

「……そう、ですね」

同じ景色を思い浮かべたシャウロッテから自然と笑みがこぼれる。

袋に入れてもらった魚を手に、二人は帰路へとついた。


「おーい、レオ、これは何処に置くんだ?」

「右の棚の上から五段目に同じ背表紙があるだろ?」

シャウロッテとアイリンの予想に反して、レオバルトはたまたま様子を見に来たリオンを使い、書物の整頓をしていた。

「なぁ、レオ、普通よ、こういう仕事はメイドがやるもんだろ?」

埃を被った本を並べながらリオンが問う。

仮にもレオバルトは貴族の内に含まれるわけで、邸内にもメイドが数人いるはずだ。

「…信用できるはずないだろ」

どうやら私物をメイドに触られることが嫌なようだ。

手際よく本をしまうレオバルトの眉間に皺が増える。

リオンはため息をつきながらも一冊づつ本を並べた。

本の種類は様々で医学、歴史、科学…ただ、小説のようなフィクションはほとんどない。

それは彼が現実主義であることの何よりの証拠となるだろう。

夢物語、理想、空想、どれも興味がないのだ。

「こんな堅苦しいモンばっか読んで、何が面白いのかわかんねぇよ…」

「単細胞の貴様に理解などは求めん。さっさと列べろ」

「っ…そんな言い方ねぇだろ?手伝ってやってるってのに…」

ぶつぶつと愚痴をこぼしていると、何か物足りない気分になる。

ピタリと手は止まり、レオバルトに顔を向ける。

その隣に足りないものが…

「シャウはどうしたんだ?」

そうだシャウロッテだ。

こんな面倒な仕事に忠実な彼がいないはずがない。

それが一度も姿をみせない。

レオバルトは今さらの事にため息をつきながらリオンを睨む。

「アイリンと遣いに出した」

「へぇ~あいつら上手くやってんのか?狼とイルカだろ?」

リオンの興味は二人の関係のようだが、レオバルトは全く興味がないようで、しばらく無視を決め込んでいたのだが、リオンはしつこく問い続ける。

「うるさい」

あまりのしつこさに分厚い辞典を顔に叩きつけた。

「シャウロッテはいつもと変わらない。アイリンとはそれなりに上手くいっている」

アイリンがレオバルトの元で働くようになってから、シャウロッテに教育は任せてあった。

同じ獣人だからこそ解るものがあるのだろう。

苦労もそれなりに分かち合えるらしく、イルカと狼という相性は悪いかと思われたがなかなか上手くいっていた。

アイリンはシャウロッテを慕っているし、シャウロッテは先輩という立場になって何となくはりきっているようだった。

「お前は関わってねぇのか?一応教育を任されたのはお前だろ?」

「教育に力を入れて欲しければ仕事を減らせ」

リオンの問いに面倒くさそうに答えるレオバルトは一通り本を片付けてため息をつく。

「あ、」

突然、リオンが声をだす。

視線だけを向けたレオバルトに顔を向け

「近くに過激派の連中が来ているって聞いたぞ」

と言った。

「『運命の剣』か?」

「いや、確か…ほら、獣人だけで構成されたグループがあったろ?あいつらだったはずだが…」

現在、政府を敵に回している過激派は『運命の剣』の他にもいくつかあり、その中に獣人が集まってできた特殊なグループがあった。

彼らは人間社会での獣人の地位の向上を目的にデモ活動などをしている。

時には同じ獣人を勧誘することもある。

「あいつら大丈夫かねぇ?」

リオンは心配している。

たとえ同じ獣人であってもシャウロッテは人間側についている。

過激派の連中が無視をしてくれるとは思えない。

「シャウロッテはともかく、アイリンが不安だな」

こんなことを言っているがレオバルトは顔色を変えない。

それは信頼の証でもあるのだが。

「ほっといていいのか?」

「心配ならお前が行け。邪魔者もいなくなってありがたい」

心のダメージを受けながらリオンこそこそと部屋をでた。

残されたレオバルトは何事もなかったかのように本に手を延ばした。


賑やかな大通りから少し離れた路地にシャウロッテとアイリンはいた。

帰り道、アイリンのサンダルの紐がほどけ、それを直すために路地に入ったのだった。

「…結べない…」

当然のことだが、アイリンは『結ぶ』という動作は初めてだ。

行きはメイドに結んでもらった。

同じようにやっているのだが、きれいなリボンにはならず、形が歪み、緩くて直ぐにほどけてしまう。

「シャウ、やって」

座り込んでいたアイリンが右足をだす。

レオバルトからはできるだけアイリンに経験させろと言われていたが、この調子では日が暮れてしまいそうだ。

荷物を置いてしゃがみ、綺麗にリボンを結んでやった。

「わぁ、綺麗にむすべるんだね…シャウ、帰ったら教えてね?」

嬉しそうにアイリンがサンダルを見つめる。

「…わかりました。では、早く帰りましょう」

「うんっ」

元気な返事と同時にピョンと立ち上がるアイリンはくるくると回ってサンダルの履き心地を確かめる。

その様子は踊っているようにも見え、楽しそうだった。

ぴょんぴょんとスキップをしながら通りに向かっていくと、

「待てぇ!!」

と、声がした。

アイリンが気になって振り向こうとすると、シャウロッテがそれを遮る。

完全に声を無視した状況になると、さらに声が続く。

「お前っ!!シャウロッテ!無視すんなぁ!!」

少々切なく声が響くが、それでもシャウロッテは振り向かない。

「シャウ、いいの?」

「えぇ。彼は害にはなりませんから」

ここまで来ると流石に痺れを切らした声の主が

「人の話しを聞けって!!」

そう言ってシャウロッテの肩をつかんだ。

「あいにく、あなたに用事はないのですが…」

肩を掴まれてはシャウロッテも無視はできない。

渋々振り返ればマフラーを身につけた少年…いや青年がいた。

「シャウ、この子誰?」

青年の背丈はアイリンと変わらない。

アイリンが『この子』と言うのも納得がいく程に幼さが残っていた。

「お前っ、この子ってなんだ!?見た目で年下扱いしてんじゃねぇよ!!」

「いいじゃん!!思ったままを言っただけなんだから!!」

にらみ合いをする2人の視線がふっとシャウロッテに向けられ

「シャウも何か言ってよ」「お前も何か言えよ」

と何故か怒りの矛先を向けられる。

「えっと…同じ獣人なのですから、仲良くしたらどうですか?」

そういうことではないと突っ込む人はもはやいない。

「へぇ、お前獣人なんだ…元は何なんだ?」

「イルカだけど?」

「イルカねぇ。知ってるか?異国じゃイルカは海の豚って書くんだぜ?」

「関係ないもん!!豚じゃなくてイルカだもん!!あなただってろくな生き物じゃないんじゃないの!?」

「へへん。俺は狐だよ!!」

胸を張る狐少年は一瞬アイリンが視線を反らしたので勝った気分でいた。

しかし、次にアイリンの口から出た言葉は

「…狐って何?」

空気が氷ついたのは言うまでもない。

「お前、狐知らねぇのかよ!?」

「うるさいなぁ、今勉強中なの!!暑苦しいマフラー着けたまま近寄らないで!!」

「!!!!マフラーを侮辱するなぁ!!」

子どものような口喧嘩をどうやって止めるべきなのか。

「あの、とりあえず落ち着きませんか?」

とにかく2人をなだめようと声をかけるが

「シャウは黙ってて」「シャウロッテは黙ってろ」

と、物凄い剣幕で押し返された。

その後も口喧嘩は続く。

「何か言え」と言われたかと思えば「黙ってろ」ときた。

子どものような口喧嘩はなかなか治まらない。

口を出しても聞きはしないだろうと諦めたシャウロッテは数歩離れて見守った。

2人の語彙はお互いに少ないらしく同じ言葉ばかり何度も使っているようだ。



「オール!!探したぞ」

シャウロッテが振り向くと救いの主が現れた。

何処か気品のあるグレーのコートを羽織り、黒い帽子を深く被った男だ。

顔はよく見えないが、確かに呆れた表情をしていた。

「ロッシュですか?よかった。私にはどうしようもなくて…」

シャウロッテの言葉にロッシュが2人に顔を向けると、彼の声は一切聞こえておらず、なおも言い争いが続いていた。

「……シャウロッテ、すまないが…状況を説明してくれないか?」

唖然としていたロッシュは帽子をさらに深く被り問いかけた。

狐の青年はオール

アイリン程ではないが『人』としては日が浅く半人前だが好奇心旺盛で何事にも突っ走っていきたがる。

帽子の男はロッシュという。

彼は元々隼で、険しい山脈の方の出身だそうだ。

オールの世話役のようなもので、度々振り回されている。

彼らとシャウロッテの関係は『追う者』と『追われる者』、その立場は状況によって入れ代わるが互いに『上』からの命令がない限り、無益な争いを避けていた。

今回も奇襲ではなく、大声でシャウロッテを呼んだオールに、敵意はないと判断したのだった。

オールがロッシュの無言の蹴りをくらい口喧嘩は終演となった。

小さな路地に狼、イルカ、狐、隼の獣人が輪を成す不思議な光景が生まれた。


「それで…何故あなた方が街に?」

「まぁ、活動の一環と言えばそうだが、半分は私用だ」

シャウロッテが聞けばロッシュが答える。

オールは蹴られた足を抱えてうずくまっており、それを覗きこむようにアイリンがいる。

「今日は、レオバルトはいないんだな」

「マスターが街中に現れない事はご存知でしょう?」

数回、彼らに奇襲をかけられたがどれも仕事先のことで、人通りはまばらだった。

そして、どれもレオバルトの機嫌が悪かった。

「確かにな…ところで、最近『運命の剣』に接触したか?」

少し声色が変わった気がした。

彼らと『運命の剣』の違いはその思想にあった。

獣人との共同生活を目標とする『ノクティス』と呼ばれる獣人の団体に対し『運命の剣』は政府を悪とし完全滅殺を理想としていた。

ただ、どちらも政府を敵にする過激団体に変わりはなく、現在、政府が警戒している二大勢力だ。

理想の違いのためか、度々2つの間で激しい接触があり互いに互いを利用しようと企んでいた。

「いくら敵意がないとはいえ、仕事に関する情報を漏らす訳にはいきません」

レオバルトから固く禁じられているのは当然で、一応『敵』であるロッシュに話すことなどできるはずがなかった。

「…そうだな。最近派手な動きをしていないから、気になっているんだ」

ロッシュの言うとおり、ウォルステール街の一件以来、ほとんど活動をしていない。

それは嵐の前の静けさというか、敵対視する者にとっては不気味でしかなかった。

「確かに…最近聞きませんね…」

実はクォーツテールで接触したセルビーンとエドワールは『運命の剣』のメンバーなのだが…あの一件は盗賊数人による事件ということになっていた。

もちろん、レオバルトから口止めされているし、アイリンは彼らが『運命の剣』であることを知らない。

「その『運命の剣』について、こちらは様子を伺っているのだが…」

と、そこで口を止めたロッシュは帽子をかぶり直した。

「とにかく、しばらく政府に対する奇襲も様子見だ」

それが嘘かどうかは定かではないがシャウロッテは僅かに違和感を覚えた。

「…それは…ありがたいことです」

違和感を面に出すことなく小さく笑った。

「……君は…政府側に付いているが…彼らのことを許せるのか?」

ロッシュの問いに、今まで無関心だったアイリンとオールが振り向いた。

シャウロッテは一瞬目を丸くしたが、手を口に当てて、小さく 笑った。

「許せるか許せないかなど、私には関係ありませんから」

そう言って金色の瞳を閉じた。

その表情は狼に相応しくない柔らかい表情だった。

「…参ったな」

シャウロッテを見てロッシュが悔しげに溢す。

「何とか君を仲間にしようと誘い文句を見つけたいのに、君の情報は少ない上に、怨みはないとみえる。これじゃあ誘いようがないな」

口許は確かに笑っていた。

「シャウ、仲間になんなら今しかないぞ!!次は容赦しないんだからな!」

突然割って入ったオールの頭をロッシュが押さえる。

じたばたと腕を回すオールに向かい

「マスターを裏切ることができるなら、今の私は存在しませんよ」

意味有り気な目を向けた。

オールはもちろん、ロッシュもアイリンもきょとんとしている。

「……そうか」

ロッシュは再び帽子を正す。

どうやら彼のクセらしい。

「なんだよ、仏頂面の不機嫌な白装束よりうちの方が絶対良いのに!」

ロッシュとは対象にシャウロッテの言葉の意味を理解できないオールが叫ぶと

「オール、それ以上マスターの悪口を言ったら手加減しませんよ」

と、シャウロッテが真顔で放つ。

後ろから黒いオーラが出ているような気がして、オールは黙り、小さくなった。

「シャウ、レオのことになると恐いね。いっつも怒られてるくせに」

「!!!!…そ、そんなことは…」

アイリンが笑った。

明るく澄んだ声が路地に響く。

暗い雰囲気を書き換えるように、響くのだった。

「…流石の忠誠心と言うか、依存と言うか、尊敬するよ。シャウロッテ」

口元に当てた手をゆっくり下ろすと、弧を描いた唇がみえた。

「…あ、マスターの使いの途中でした。すみません」

反論の言葉が見つからなかったシャウロッテはアイリンの手を引いて逃げるように路地を抜けた。

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