女難と剣難

 珍しく寝坊してしまった。

 早朝のルーティンである站椿たんとうとランニングはサボってしまったが仕方ない。

 もう、遅刻はしたくない。

 鍛錬は帰宅してからにしよう。

 トーストをコーヒーで流し込むとランドセルを背負って家を出た。



「突然だけどケンには女難じょなん剣難けんなんそうがはっきりと出ているわ。私の指導霊である水野みずの南北なんぼくが教えてくれたの。せいぜい気を付けることね」

 教室に入るとマッキーことまき真希まきが開口一番、ぼくの顔を舐め回すように見て言った。

 このマッキーは艶のある長い黒髪、女優のように整った顔立ち、おまけに背も高い。

 5年3組、いや松ぼっくり小学校でも指折りの美少女。

 ミーナが可愛いアイドル系ならマッキーはミステリアスな美人系。

 事あるごとに神や精霊の声が聞こえるなどと言い張るので若干気味悪がられているのが玉にキズ。

 だけど、正真正銘の神社の娘なのでそんな体質なんだろうと我がクラスでは受け入れられてはいる。


「忠告ありがとう。今朝はマーガレット花沢の星占いをチェックしてなかったから助かったよ」

 普段話したことのないマッキーからの助言、真剣に受け止めねば。

 心から感謝を述べた。


「ねえ、今朝はどうしたの? 一緒にランニングしようと待っていたのに。ボクはとっても心配したんだぞ」

 ぼくの隣の席に座ったミーナは頬を膨らましお冠のようだ。 

「いや、寝坊しちゃってゴメンゴメン。あれ、でも一緒に走る約束なんてしてたっけ?」

 走る走らないはその日の気分まかせにしたい。


「バカっ!!」

“バチ~ン”という音と共に衝撃が頬に炸裂。

 ビンタを喰らったとわかるまで時間がかかった。

 ミーナは机に突っ伏して泣き始める始末。

 すぐに周りの女子がやって来て、全員でぼくを責め立てた。

 色々と言われたが頭に入ってこない、ということは聞く価値もない内容なのだろう。

 ぼくとしてはミーナを泣かせたことより、女の子のビンタ一つ防げなかったのがショックだった。


 権八っつあんが来る頃にはミーナはすっかり泣き止み、授業は無事行われた。

 休み時間になって、クラス中の女子たちに周りを囲まれた。

 薄情、女心がわかっていない、ミーナがかわいそう、と言うような意味の小言をまくし立てられた。

 その中にはマッキーもいて、実に楽しそうにニコニコと笑っている。

 ぼくの女難を当てたのだから得意げなドヤ顔になるのも無理はない。

 待てよ、そうすると次は剣難か!?

 思わず身震いした。


 心ここにあらず。

 気がつくと給食の時間。

「ねえ、今日のことは許してあげる。そのかわり今から言うことを約束して」

 ミーナが話しかけてきた。

「まあ、大抵のことなら」


「じゃあ、言うね」

 一、何かあった時のために連絡先を交換すること

 一、今日のお詫びとしてボクにフルーツパフェをおごること

 モジモジしながらミーナは言った。

「なんだ、それだけでいいのか。もっと凄まじいのを覚悟していたんだけど。それじゃ給食が終わったら連絡先を交換しちゃおう。なんちゃらパフェは来月のお小遣いをもらったらでいいよね」

 ぼくの言葉にミーナはなぜか恥ずかしそうにうなずいた。


 午後の図工の時間になって。

 忘れていた剣難が律儀にもきっちりと襲ってきた。

 カッターナイフで指先をザクッと切ってしまった。

 切った所が悪いのか、血が止まらない。


「すぐに保健室に行くように。保健委員、念の為一緒についていきなさい」

 図工の先生が言うとマッキーが立ち上がってぼくの腕を取った。

 一瞬ミーナに睨まれた気がしたがこちらは痛くてそれどころではない。

 教室を出てしばらくするとマッキーは声を出して笑い出した。

「ケン、あなたって本当に幸せな人ね」

「どこがだ! こんなに痛いのに」

 マッキーの言葉の意味がわからない。

「一つ、私のような美少女と2人きりで歩けること。私が保健委員だったことに感謝しなさい。二つ、大難が小難になったこと。本来ならケンはミーナのファンクラブメンバーにメッタ刺しにされるところだったの。どう、これを幸せと言わずに何というのかしら」

「一つ目はともかく、二つ目のメッタ刺しに比べればカッターで指を切るほうがマシなのは確かだけど……。待て、ミーナにファンクラブなんて存在するのか?」

「結構有名な話よ。ファンクラブができるくらい可愛い可愛いミーナに好かれてもその幸せに気づいていないんじゃ処置なしね」

 なぜか言葉の端々から棘を感じる。

 さっきからマッキーにやられっ放しだが反撃の道筋が見えない。


「ミーナだけじゃない。ケンに好意を持っている女の子は他にも何人かいるわ。まあ、私はケンみたいなタイプは御免こうむるけどね。ちょっとカッターで指先を切ったくらいで保健委員についてきてもらうなんて。本当に面倒くさい」

「おいおい、文句は図工の先生に言ってくれよ」

「あの場面では『いや先生、ぼくは1人でも大丈夫です』と強がるべきだったのよ。そうすればケンはもっとモテモテになれたのに。実に惜しかったわね」

「でも今はマッキーがそばにいてくれて心強いよ。本当にありがとう」

 笑顔でお礼を言った。

「フ、フン。わかっているならいいのよ」

 マッキーはそう言うとぼくから顔を背けてしまった。


 ようやく保健室のある一階に着いた。

「ふう、ここまで来れば一安心。もう大丈夫だから教室に戻っていいよ。付き合わせて悪かった」

「何を言ってるの、ここからが楽しいのに。消毒が染みて悲鳴を上げるケンが見たいのに」

 マッキーの毒舌は衰えることがない。

「そうだ、応急処置をしてあげようか。切った指先を舐めてあげる。唾には消毒作用もあるとか。今回のことも含めて貸しにしといてあげるから後でまとめて返してね。それじゃ、指を出して。舐めるから」

 マッキーはどこまで本気なんだろう?

 からかわれてばかりではカッコがつかない。

 それに借りは作りたくない。

 特にマッキーには。

 だからそろそろ反撃をしなければ。


「それじゃお言葉に甘えよう。ぼくはトイレに行った後はしっかりと手を洗うタイプだから安心して舐めてほしいな」

「……気が変わったからやっぱりやめておく」

「うん、それが賢明だよ」

 あまりにも馬鹿げたやりとり。

 2人顔を見合わせると、ほぼ同時に“プッ”と吹き出した。

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