学校へ行くには天気が良すぎる
いつまでも夏休み気分でいちゃダメだ。
なにせ今日からは普通授業。給食も出る。
だけど朝のルーティンは変わらない。
部屋で
ハムストリング、
よし、10分耐えられた。
いずれは60分にチャレンジしてみよう。
ぼくならきっと出来るはず。
スマホで『マーガレット花沢の星占い』をチェック。
牡牛座:残暑の厳しい季節だけど春がやってくるかも。誘いには乗ってヨシ! 人には優しく。
ぼくとしては春なんかよりは涼しい秋、もしくは寒い冬が早く来てほしい。
都会の残暑はツラすぎる。
外へ出ると太陽はとっくに昇っている。
川沿いの遊歩道を走り始めた。
昨日はコンビニ強盗に出くわしてしまったが、今日は平穏無事でありますように。
しばらく川沿いを走る。
段々とペースに乗れてきた。
10キロくらい走ってから帰ろうか、なんて考えていると、
「おはよう、ケン。昨日のはやっぱりケンだったんだね」
なんて後ろから声がした。
振り返るとポニーテールの女の子。
というか我がクラスきってのスポーツ万能少女でボクっ娘、ミーナこと
白いショートパンツに黒のタンクトップの組み合わせはシンプルだけどよく似合っている。
「ねえ、ちょっと休憩しようよ。話したいこともあるし。スポーツドリンクをごちそうするから」
せっかくなのでミーナのお誘いに乗った。
のども渇いていたし。
師匠戦法その3、人の好意は無下にするな。
守るべき教えは今回も守った。
自販機でスポーツドリンクを買って、近くの公園のベンチで2人並んで腰掛けた。
「ボクが毎朝この遊歩道を走っているのは知ってた?」
「へえ、そうなの? でもミーナなら毎朝走っててもおかしくないかも。ぼくは昨日から走り始めたけど景色が良くって素晴らしいコースだね」
そう言ってからゴクリと一口飲んだ。
「じゃあ昨日の事件について。ボクがいつものように走っていたらコンビニから刃物を持った男が向かってきて足がすくんじゃった。ボクの前を走っていた男の子が襲われたら次はボクの番かと覚悟をしたんだけど」
「それってもしかして」
「そう、前を走っていた男の子は突如しゃがんでコンビニ強盗はすってんころり。おかげでボクは命拾いしたってわけ」
「で、その男の子が始業式の日に同じクラスにいて驚いた、と」
「だってまさかあのケンが! あっ、ゴメン」
「いいよ、ミーナや他の皆んなも驚くくらいぼくは変身できたんだ」
またゴクゴクと喉を鳴らすとペットボトルの中身は空になった。
「本当は昨日のうちに色々とお話ししたかったんだけどみんながケンを囲んでいたから今朝に賭けたの。そうしたら大当たり! ほら、こうやって出会えた!」
ミーナはそう言うとニッコリ笑った。
「あっ、そろそろ帰らないと遅刻しちゃう。話の続きはまた後で。ケンはカッコよくなったから自信を持って大丈夫。それじゃ学校で」
ベンチから勢いよく立ち上がりこちらを振り返りもせずに走り去るミーナ。
ぼくはしばらくポカンとしていたが、我に返ると大急ぎで家に帰った。
水風呂に浸かって
遅刻するかどうか際どい時間になってしまったが急げば間に合う。
いや、走れば事故やケガの元。
通学路ではないけど、公園を通って近道をすることにした。
公園の中を歩いていくと、セミや小鳥の鳴き声が耳に心地よい。
名前は知らないけどキレイな花があちこちで咲いている。
花から花へ蝶々が優雅に舞っている。
『蝶のように舞い、蜂のように刺す』
偉人たちの名言集にも載っていたモハメド・アリの偉大な言葉。
蝶の動きをヤイト拳に取り入れてみるのはどうだろうか。
拳法の本場中国ではカエルの動きを生かした
その発想の自由さには憧れるしかない。
もっと人は自由でいい。
ならば、これから蝶を観察してみるのも自由だ。
ふと、学校をサボりたくなった。
病気で学校を休むのと、元気いっぱいだけどズル休みするのとでは同じ休むのでも意味合いがぜんぜん違う。
よし、決めた!
サボろう!
元気と度胸があればこそ、今までやれなかったことができる。
それに今日は学校へ行くにはもったいないくらい天気が良すぎる。
木登りをするのに丁度いい木があったからスルスルと登ってみた。
てっぺんから公園を見下ろすとまるで石松にでもなったようで、愉快な気分だ。
「う~ん、絶景かな絶景かな。
見晴らしはとても良好で、天下でも取った気分。
犬の散歩をする人がいれば、太極拳を練習している集団もいる。
平和そのものだった。
いや、異変が起きた。
犬を連れて歩いていた男の人が急に立ち止まり、腰に手を当て動かなくなった。
銀ぶちメガネを掛けたジャージ姿のおじさんは苦しそうに顔をゆがめている。
緊急事態発生!
ぼくはすかさず木から飛び降りた。
「大丈夫ですか? 胸は痛くないですか? 頭は? 救急車を呼びましょうか?」
苦しんでいるおじさんの隣に立って声をかけた。
「ん、ああ、ただのぎっくり腰だから大丈夫。いや大丈夫ではないが大丈夫だ」
「とりあえず、あそこのベンチで休みましょう。肩をお貸しします」
ぼくはおじさんに肩を貸し、ゆっくりとベンチまで歩いた。
犬も心配そうについて来た。
「では痛い方の側を上にして横になってください。よろしければ今からぎっくり腰に効くツボを押しますが」
「気休めでもいいのでお願いしたい。とにかく痛くて痛くてたまらない」
「わかりました」
相手の許可を得たので殿圧というツボから押すことにした。
師匠の言葉を思い出せ。
「もしかしたらケン坊の周りでもぎっくり腰になる人がいるかもしれないからそれに対する
骨盤にある
そして太もも上部外側にある
この2点を結んだ線の中点が殿圧だ。
見当をつけてお尻のある場所を押すと“ウッ”という反応あり。
よし、捉えた!
力の限り、ぼくは親指に力を込める。
「ギャーッ、ストップストップ。もう止めてくれ、タイムタイム」
おじさんは叫んでいる。
しかしぼくは力をゆるめない。
「ぎっくり腰のツボは患者が痛がれば痛がるほど効いている証拠。“押すのをやめてくれ”なんて言われても決して力をゆるめるな。無慈悲かもしれないが中途半端な同情心は却って邪魔になるだけ。親の仇だと思って押せ。そしてエグり込め。他人の痛みは10年だって我慢できる。もっともやりすぎると患者は来なくなるが、ツボを押して痛がれば痛がるほど魔法のように効くんだ。機会があればやってみるといい」
師匠の言葉、今こそ試す時。
「アアーッ! もう勘弁。もう勘弁。私が悪かった。ヒィ、ヒィ」
「うん、殿圧はこれくらいにしておきます。お次はヒザの裏にある委中を押します。お覚悟を!」
「待て、もう終わるかと思ったのに。まだやるのか!?」
「はい。今この場ではぼくが治療家。おじさんは患者。患者の言いなりになる治療家はありえません」
言うやいなや“グッグッグッ”とヒザの裏の委中を押す。
この状況で為すべきを無心で為す。
「グワワぁ~ッ! ガッガッガッ、ガァァァ~ッ!」
おじさんは痛さで悲鳴を上げている。
力を緩めるべきか。
いや、中途半端な同情心はいらない。
心を鬼にしろ、いや無心になれ。
ぼくは押して押して押しまくった。
それからしばらくして。
「ふう、ウソみたいに痛みが消えたよ。君は一体……」
おじさんはすっかり良くなり、その場で数回ジャンプまでやってのけた。
「ぼくの叔父さんが治療家だから、門前の小僧習わぬ経を読むというやつです。それより家に帰ったら冷湿布を貼っておとなしくしていてください。シャワーはいいけど熱い湯船に浸かるのはくれぐれも避けてください」
師匠の受け売りだがスラスラと口から出てきた。
「いや、もう授業は始まっているのに登校しなくていいのかな? 君、名前は?」
「なに、名乗るほどの者でもないです。それじゃお大事に~」
イヤな流れになってきたので、ランドセルを背負うと一目散に松ぼっくり小学校へ駆け出した。
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