眼帯に因んで
午前の治療が終わってようやく昼休みになった。
師匠に頼み込んで治療の手伝いを志願して許されたので張り切った。
それにしてもさっきの患者の態度の悪さには怒りを通り越して驚くしかなかった。
「あ~あ、ガッカリだ。ちょっと売れだしたからって偉そうに。愛想を振りまくのはTVの世界だけってわかってはいたけど。あんなにカリカリイライラすることもないのに」
我慢できずに愚痴をこぼしてしまった。
「アイドルやるのも楽じゃないさ。間違ったダイエットに頑固な便秘。体調が優れないと感情もイライラする。患者のイライラにイチイチ腹を立てていたら治療家なんてやってられないよ」
師匠は笑って言った。
ぼくも怒らずに笑い飛ばせるようになりたい。
「さあ、昼飯にしよう。食事当番はケン坊だぞ。任せた」
「冷凍食品のチャーハンをチンしようかと思ったんですが飽きたし面倒です。近くの
これは冗談ではなく、うな重や寿司などの出前は珍しくない。
時にはステーキや本格インドカリーまで注文する。
『ご馳走を毎日食べられるくらいのお金は余裕で稼いでいるから遠慮するな、ガンガンモリモリ食って立派な体を作れ』
とは師匠の言葉。
実にありがたい。
「食事にお金はいくらかけても構わないとは言ったがそれじゃ時間がかかりすぎる。ガンダーラ飯店で出前を取ろう。叔父さんはレバニラ定食とギョーザ。ケン坊も好きなのを注文してくれ」
「は~い、合点承知。んじゃぼくは五目あんかけ焼きそばに唐揚げを、うん!?」
注文をしようとしたら治療院の扉が開く音がした。
患者さんかな?
もう昼休み入ったんだけど急患なら診なくてはならない。
「キ、キキー」
果たして勝手に治療院に入ってきたのはサルだった。
これは予想外。
しかも体格といいあの憎たらしい面構えといい、今朝のサルに間違いない。
ただ、片手で片目を押さえている。
そこからは血が流れている。
鳴き声も弱々しい。
治療が必要なのはわかるのだが、なぜここに。
サルの嗅覚でも消毒薬や
「どれ、こりゃケンカでやられたな。やったのはボスザルかな。ケン坊、消毒と軟膏と包帯の用意を」
テキパキと指示を出すと師匠はサルを治療室に連れて行った。
傷ついた目を消毒し、軟膏を塗り、包帯を巻く師匠の手際はムダがなくて流れるようだった。
治療が終わるとサルは驚くべきことにお辞儀をして、堂々と治療院を出ていった。
「あのサルは間違いなく朝のバナナ泥棒だけど、ああなるとちょっとかわいそうかも」
「サルをやるのも楽じゃないさ。組織内での権力争いにエサの奪い合い。ケンカによるケガ。残念ながらあのサル、失明は免れないな。まあ、やるべきことはやった。野生の力を信じよう。さあ、気を取り直して昼飯にしよう」
「あっ! 今の騒動で注文するのを忘れていました。急いで冷凍チャーハンをチンします」
うっかりミス。
どこかで挽回しなくては。
サルのおかげで調子が狂ったようだ。
午後の治療が終わって本日の仕事はようやく終了。
「あの社長はいつかパワハラが原因で社員に刺されるんじゃないですか」
「社長をやるのも楽じゃないさ。資金繰りに苦しみ、部下の反乱におびえる日々。バックについてくれるお偉方のご機嫌取りには気を遣う。マスコミでは有名だけど実情は危ないんだろう。それより夕食は叔父さんが当番だったな。和風パスタにでもするか」
考えてみれば師匠の作る料理を食べるのは初めてだ。
楽しみでもあり、少しだけ不安でもある。
玄関に『本日の診察は終了しました』の札をかけようと扉を開けると、例のサルが立っていた。
「キキッ」
一鳴きすると我が物顔で中に入ってくる山ザル。
その堂々とした態度には王者の風格さえただよっている。
「おお、そろそろ来る頃だと思ってたぞ。さあ、夕飯前にもう一仕事だ。ケン坊、消毒の用意を頼む」
キッチンからエプロン姿で出てきた師匠が言った。
「クー」
サルは師匠を見るなり、手に持っていた何かを差し出した。
「ん、これはキノコか。昼のお礼に持ってきてくれたんだな。そこらの人間より義理堅いとは感心感心。よしよし、今から包帯を取って消毒してやるからな」
そう言うと師匠はキノコをまな板の上に置いて治療を始めた。
「ねえ師匠。このキノコ、食べて大丈夫ですか? リスクを避けるため捨てておきましょうか?」
サルの持ってきたキノコからはいかにも毒々しくって怪しいオーラがムンムンしている。
「いや、捨ててはダメだ。野生の動物は本能で毒物は手にしないはず。今日の和風パスタに加えるとしよう。楽しみだな。そうだ、お前も一緒に食べるか?」
サルの目に薬を塗りながら師匠が聞いた。
「ウキー」
サルはうなずいた。
「もう少ししたら包帯じゃなくって眼帯にしよう。他のサル共にナメられないようにカッコよくて渋い黒の眼帯だ。よしっ、これで治療は終了。今から料理に取り掛かるとするか」
師匠は手を洗うと再びキッチンに向かった。
出来上がった“和風パスタ~謎のキノコを添えて~”は意外にも美味しかった。
ただ、舌や口の周りが少しだけシビレたのが気にはなったけど。
サルもフォークを器用に使ってモリモリ食べている。
全員が喜んでお代わりをした。
「このサルに名前をつけたいな。共に飯を食えばみんな家族だ。いつまでもサルと呼ぶのもどうかと思う。なにかいい名前はあるか?」
デザートのプリンを食べながら師匠が提案した。
もちろんサルもスプーンを器用に使ってプリンを堪能している。
「はい、
「キキーッ!」
サルはお気に召さなかったのか暴れだした。
「目の状態が落ち着いたらお前には渋くってカッコいい黒の眼帯をつけてやる。それに因んで名付けてやるから暴れるな」
「キー」
師匠の言葉が理解できたらしく、サルはおとなしくなった。
「さて、トンはどうかな? 由来は三国志の猛将、
「キッキッ」
サルは首を振って師匠の提案を拒否。
「ならばマサムネは? ご存知、
「キッキッ」
サルは首を振って師匠の提案を拒否。
「う~む。それじゃジュウベエは? 言わずと知れた
「キッキッ」
サルは首を振って師匠の提案を拒否。
「師匠、ちょっといいですか。さっきから挙げている名前はサルには上等すぎますよ。ここは静岡県だから次郎長一家きっての喧嘩っ早くてオッチョコチョイ、ズバリ
「ウキキキ」
サル、いや石松は歯を見せて笑った。
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