バナナ泥棒

 皆んなは初めてできた親友を覚えているだろうか。

 ぼくは覚えている。

 一緒に野山を駆け回り、時には殴り合い、同じ釜の飯を食う。

 今も元気でやっているかな。

 アイツのことだからきっと大丈夫。

 この場を借りてそんなぼくの親友を紹介したいのでお付き合いを。



 早朝なら日中より涼しいので修行するにはもってこい。

 近くの山の中腹でぼくはスエヒコ叔父さんの指導を受けていた。


「両足の間隔は肩幅くらい。もっと股関節を内側に絞れ。ヒザに力が入りすぎている。上半身をまっすぐに。両腕はあたかも大木を抱えるかのように。肩が上がりすぎだ。肘と手首を柔らかく。口を閉じて鼻で呼吸。舌は前歯の裏側の付け根に当てる。そうすることで身体の背中側を通る督脈とくみゃくと前面を通る任脈にんみゃくがつながる。絶対に忘れるな」

「はい、師匠!」

 ぼくは元気よく返事。

 空気椅子のような姿勢はツライけど気持ちで負けてたまるか。


「なあケン坊よ、その呼び方はどうにかならないか。今までのように普通にスエヒコ叔父さんと呼んでくれないか。そもそも師匠なんてガラじゃないし。こそばゆくってしょうがない」

「いや、師匠はいろんなことを教えてくれました。それにぼくの人生観まで変えてくれたんです。師匠とお呼びするしかありません」


 本当はあこがれていたんだ。

 ぼくがよく観たカンフー映画。

 強い師匠に弟子入りした弱い主人公が修行して強くなる。

 よくあるストーリーだが観ていて飽きることは一度もなかった。

 だから映画のようにぼくだって強くなれる。

 どんなツライ修行でも耐えられる。

 と、思っていたんだけど……。


「えっと、このポーズはいつまで続ければ?」

 すでに3分は経過しているはず。 

 気持ちは負けていない。

 それに反して肉体は正直。

 足はガクガク、腕はブルブル、おでこからは汗がダラダラ。


「理想を言えば1時間から2時間なんだが。初心者のケン坊はまずは5分を目指そう。ハイ、残り2分!」

 師匠の命令は絶対。

 弟子としては耐えるしかない。

 それからの2分は永遠に感じられた。


「よし、もういいぞ。初心者にしちゃ上出来。なかなか筋がいい。さあ、あそこの岩場で休憩しよう」

「フウーッ。つ、疲れた……」

 ヨタヨタと足を引きずりながら岩場に腰掛けた。


「どうだ、なかなかキツイだろう。この鍛錬法を站椿功たんとうこう、または立禅りつぜんという。かつて病弱だった王向斉おうこうさい形意拳けいいけんの達人である郭雲深かくうんしんに入門した際にこれだけをやらされたんだ」

「それでその王向斉って人は強くなったの?」

「ああ、強いも強い。後に独立して意拳いけんという拳法の開祖になった。だからこの站椿がアルファでありオメガなのさ。3年も続ければ気力、体力、突進力はかなりのレベルになる。叔父さんを信じろ」

「ねえ師匠、パンチやキックの練習はしなくていいの?」

「まだ早いって。功夫ゴンフーを積まなきゃ意味がない。あ、この場合の功夫は練習って意味だから覚えておくように。とりあえずは腹が減った。バナナを食べよう」


 カバンからバナナを出した時にぼくの手からバナナが消えた。

「へ!?」

「キキーッ!」

 予想外のことに遭うと人間は固まるらしい。


「ワッハハハ! ここら辺の山は山ザルたちの縄張りなんだ。ボーッとしているからサルにバナナを取られてやんの。まだまだ修行がたりないな。ワッハハハワハハ!」

 師匠はなぜかご機嫌で大笑い。


 バナナを奪ったサルは大胆不敵にも近くに寝そべりながらバナナをゆうゆうと食べだした。

 やっと状況を理解したぼくは怒りで頭が真っ白に。


「このエテ公、人間様のバナナをよくもッ」

 山ザルを踏みつけようとしたが野生の動きは素早い。

 バナナの皮をぼくの顔面に投げつけると同時に、スルスルと近くの木に登ると枝からぶら下がりながらアカンベーをしやがった。


「ワハハハ、今日はケン坊の負けだ。そもそも山ザルたちの縄張りを侵しているのは誰だ?」

「えー、だって人の食べ物を取るなんて。しかも下等なサルがだよ。ちょっと許されないよ」

「人間の常識を自然界に当てはめるな。人間が上等でサルが下等だなんて思い上がりだ。虫や獣、草木にいたるまで生きとし生けるものは人間と同じ生命を持っている。生命に優劣なんてないのさ。頭でなく理屈でなく、いつか全身でわかる日が来るって。今はわかんなくっても大丈夫大丈夫」

 師匠はニコニコして言った。

 

 どうして笑っていられるのかわからない。

 言っている内容もイマイチわからない。

 だけど、師匠とのこういう時間が大好きだ。

 教科書を覚えるのと違う、生きた学び。

 しかし、それはそれとして……。


「お腹は空くし悔しいし。あの憎ったらしいサルの表情。絶対に忘れない」

「その時その時の気分を怒りでいっぱいにするのも喜びでいっぱいにするのも自由なんだ。今ならケン坊は心ゆくまで怒ればいいよ。感情を素直に出すのもまた良し、だ。カバンにまだバナナが1本あるがそれはケン坊が食べるといい。叔父さんはギリバラの秘法があるから気にすんな」

「あっ! ぼくもギリバラします」


 太陽に背を向けて延髄から日光を吸収(したつもり)。

 口を閉じ、もぐもぐと光のエネルギーを噛み砕くイメージ。

 2人で大真面目にそんなことをやっていたら、怒るのもバカバカしくなってきた。

 ギリバラの秘法はまだ習得していないのでやはり腹は減る。

 なので、山を下り治療院に着いてから冷凍の食パンをチンして食べた。


 この憎っくきバナナ泥棒と後に親友になるなんてその時は夢にも想わなかったんだ。

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