なみさとひさし様
>その時その時の気分を怒りでいっぱいにするのも喜びでいっぱいにするのも自由なんだ。今ならケン坊は心ゆくまで怒ればいいよ。感情を素直に出すのもまた良し、だ。
この言葉、とても素敵です。子ども達に届けたらとてもいい言葉だと思いました!
空気椅子のような格好で長時間(>_<) それは辛そうですが、体幹を鍛えることに繋がるのでしょうね。良い事を教えていただきました。
親友になる猿さんとの出会い。これからが楽しみです(*´▽`*)
作者からの返信
僕自身、心がけていますがついつい忘れてしまいます。
この作品は児童向けなのですが、自分が児童になった気持ちで書いています。
站椿、または立禅。
実際は空気椅子よりもっと緩やかに膝を曲げます。
先輩が言うには体幹はもちろん、小脳や神経を鍛えるとか。
気を発するために行うと主張する方もいます。
石松、これからも登場しますのでよろしくお願いいたします。
応援コメントをありがとうございました。
本格的な修行エピソードでしたね。西洋医学と東洋医学ではアプローチの仕方が全然違うと思いますが、虚弱体質のような慢性的な状態を改善していくなら、『自分自身を整える力を養う』ことが大切なんだろうなと改めて考えました。
それにしてもバナナ……猿って結構凶暴というか遠慮なしというか、遭遇すると警戒しちゃいますが、友達になれると楽しそうです。
作者からの返信
一応は修行シーンを表現しないと、と思って今回の話を書きました。
もちろん、修行だけではなく親友や師匠との絆を感じてケンは強くなっていきます。
本来の鍼灸はというかすべての医療は、身体にもともと備わっている治癒力のお手伝いなのです。
「上医は未病を治す」という有名な格言通り、普段から病気にならない身体づくりが理想なのですが……。
猿と遭遇した場合は決して目を合わせてはいけないそうです。
また人間とサルはわかり会えると思います。
次回はそんなお話しになりますのでご期待ください。
こういう、人間の本来持つ能力を活性化させて、
身体を強靭にするというのが、本来の医学ですね。
基本を押さえて毎日訓練すれば、人間は自然に
健康になっていく。
何かと言うとすぐ大量の薬を処方して、
対症療法で症状を抑えるだけ…。
薬漬けにする現代医学の問題を
改めて考えさせられた回です。
作者からの返信
この站椿は座っていても仰向けになっていてもでき、慢性疾患の改善にも効果があるので中国の一部医療機関で取り入れられたのは聞きました。
日本でも老人ホームで太極拳を指導しているのは珍しくもないようです。
鍼灸は貧者の医療と呼ばれたりします。
面白いことに先進国の人たちに鍼やお灸はあまり効き目がなく、逆に南米のペルーとかアジアのネパールなどの貧しい地域では鍼灸は魔法のように効くので現地の人に魔法使いや呪術師扱いされる、とか。
温故知新。
医療費の節約にもなるし、実は日本の官僚の中にも寝たきり老人を無くすよう薬に頼らない昔の身体操作法や鍼灸に注目している方は一部います。
しかし、既得権益などの問題もあってむずかしいようです。
昔の人は資格はなくとも、艾をひねってお灸をやってました。
逆子、生理痛、便秘などに効果てきめん。
しかし痕が残ってしまうのがネックなのでしょう。
今は痕が残らないインスタント灸が薬局で買えるようになったので、それでヨシとします。
立禅。なんとなく画像を検索してみましたが、あの姿勢を一時間続けるのは大変そうです。
>2人で大真面目にそんなことをやっていたら、怒るのもバカバカしくなってきた。
うーん。自分も最近落ち込んだり悩んだりすることが多いのでこういう境地になりたいものです。
作者からの返信
站椿と立禅。
言い方は違えど同じ修行法です。
僕は5分が最高記録。
でも道場の先輩は余裕で1時間できます。
僕らの流派(意拳)では筋トレは一切しなかったけどこの站椿は重視していました。
気功的な効能もあり、慢性疾患や虚弱体質も改善するとの報告もあります。
これはツラい姿勢に耐えるのではなく、この姿勢の中から楽な位置を探っていくとある種の超常的感覚が得られたり、ランナーズ・ハイのようになったりします。
この状態を『気が通った』といい、これに至るまで20~30年かかる人もいれば2~3年で終わる人もいるとか。
確実に強くなれるシンプルな方法なのですが、ツラくって動きがないので飽きてしまい辞める人が多いです。
もちろん僕もその一人です。
エテ公のところで吹き出しました。
なんならタイトルのバナナ泥棒で既に……笑
作者からの返信
人間や人様、クラスメイトに向かってエテ公と呼ぶのはダメです。
しかしバナナ泥棒をする山ザルに対してエテ公と呼ぶのは許されるような気もします。
それだけケンは怒っています。
考えてみればエテ公と口にする機会はあまりないようです。
応援コメントをありがとうございました。