第25話 生きているのに意味など無くても良い

 入院にすることになった。しかし、ハイで入院するのは、大変辛かった。外へ出たいという衝動が、ものすごく強いのだ。このストレスで、私の脳は、焼き切れて、さらに、おかしくなるのではと思ったほどだ。ただ、四人部屋の人たちとは、仲良く楽しく会話していた。


 その後、一か月して平静を取り戻してきた。薬が効いてきたのだ。ただ、医師には、一度、躁うつ病を患った人は脳に回路ができて、完治がなく一生薬を飲まなければならないと告げられた。ユンちゃんには、病院の廊下にある公衆電話から、病気であることを告げると、別れて欲しいと言われた。


 退院して、私は「これで俺も太宰治の『人間、失格』か。もう女はできないだろう。生きている意味あるのか?」と思い、またうつになった。しかし、今となっては言えるが、生きている意味など無くても良いのである。人間にとって、生きてる意味云々は、言葉に囚われすぎだと思う。動物はそんな事考えないだろう。


 飯食えて、雨風しのげられれば、それで良いのではないだろうか。世界には、日本も含めて食えないで困っている人は、多くいる。食えること自体が、贅沢という見方もできる。また、同じ病気の女性と仲良くなることもある。私も困難ではあったが、二人の女性と付き合った。


 ラスベガスのブルース・ジャム・セッションで知り合いになったエルウッド・グリムスという白人のベーシストで作家のベトナム帰還兵からは、「お前は、自分で自分を恥じないようにしろ」と、メールが届いていた。


 私には、障害者年金がでるようになり、安いアパートを借りて、近所の図書館に通うようになった。そこで、自分の興味のある本を手当たり次第読んでいた。そんなある晩、テレビでスティーブン・セガールの「グリマーマン」という映画をテレビで見ていた。映画の中で、彼は東洋医学について言及していた。


 私は漢方について調べてみたが、躁うつ病を治す薬はないようであった。しかし、もう少し深く東洋医学について調べるようになり知ったのが、青汁、玄米、豆腐、生菜食の一日二食、そして運動で病を退治するという西式甲田療法であった。提唱する甲田光雄医師の著書「奇跡が起こる半日断食」を読んで、直感的にこれはイケると思った。


 そして、次の日から薬を止めて、著書の中で、紹介されている野菜ジュース、玄米、豆腐という食事に切り替えた。この食事療法は、私のうつには効果があった。すぐに、爽やかな気分を取り戻すことができた。そして、スタミナがついた。山を走って上ることができるようになった。これは、驚きであった。

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