第10話 独立系シンクタンクに内定
三回生から四回生にかけて大阪国際空港で荷下ろしのバイトをやり英会話学校に通い、春休みに二週間ほどアメリカ大陸横断をバスと電車でやった。サンフランシスコからニューヨークまでである。どの都市が良かったか。私は、ロサンゼルスとニューヨークの中間にあるアメリカのハートランドと呼ばれるエリアのカンザスが良かった。
ここでは、電車で知り合いになったカンザス大学の都市計画の教授にまちを案内してもらったし、駅で知り合いになった若いビジネスマンの家に招待されたり、彼の奥さんとレストランに行ってハンバーガーを食べたりして楽しいひと時を過ごした。
この旅で、アジア人差別の経験はなかった。呑気なものである。日本人は、黒人よりも白人に近いと思っているが、白人は日本人を黒人に近いと思っている。しかし、そんな常識も知らずに、私は、将来アメリカに移住することを考え始めた。それは、やはり、音楽と映画の影響が強いと思うし、私は冒険が好きなのだ。
帰国してからも休みが残っていた。そして、父親の大学の同期が経営するシンクタンクの会社の人手が足りないとからアルバイトに行ってくれないかと頼まれた。こんな私を殴らす父親の言う事、誰が聞くかと思いながらも、私は人が良いので行った。
私は、就職するにあたって、環境破壊と直結している石油を使う企業は御免こうむりたいと考えており、それを考えるともう企業全部がダメで、どうするか悩んでいた。私は、コインの表裏で、今はすべての企業に対する存在意義を認めている。
大学のゼミの教授に相談したところ、自分の考えを生徒に伝えることができる教師が良いとのことであったが、私は、教育免許は取っていなかった。私の究極の目標は、プロのギタリストになることだったが、一方でフリーライターになりたいとも考えていた。アルバイトに行くと、事務所には30名ほどが働いていたのだが、皆、原稿用紙とにらめっこしていた。
また、使っているのは、ワープロ、プリンター、コピー用紙くらいで、ここなら環境破壊に加担することがないと思い文章修行もできると思った。一か月ほど、朝の9時半から夕方の6時まで、テープ起こしをしたり、原稿をワープロに打ち込みなどして働いた。
この会社は、冷蔵庫があり夕方5時を過ぎると、ビールが飲めるという素晴らしい職場環境でもあった。バブル経済は終わっていたが、まだ、その余波で人手不足が続いており、アルバイトの最後の日、社長に他の会社に行く気がないんだったら、うちに来たら良いよと言ってもらった。ただ、社長は少し飲んでいた。彼は、ビール一缶で眠っちゃう人なので、もしかしたら相当酩酊していたのかもしれない。
私は、ありがとうございます、よろしくお願いしますと即答した。四回生を待たずに、早々に就職が決まった。アルバイトをしていることは、恋人に話していた。そして、その晩就職が決まったことを電話で伝えた。
「ええーっ、もう決めたの!?」
「ああ、決めたよ。社長からオッケーもらったから」
ただ、私はアルバイトを午後6時で終えて帰宅していたので知らなかったのだが、研究員たちは、仕事を家に持ち帰り深夜残業は当たり前で、時には徹夜までして働いていたのだった。
恋人は、夏になって税理士の資格が取れた。私は、彼女に企業と環境破壊についてグダグダと話していたが、彼女は現実を直視していた。
なお、この年には、マスコミに犯行声明を送り、幼女を誘拐し野焼きにして、被害者の遺骨を遺族に送りつけるなど日本を恐怖のどん底に落とし込んだ東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件が起きている。
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