(3)叶――始まり

 叶は、黒薔薇に包まれたあと、気付くと瓦礫の上に立っていた。夕暮れ時の茜色の空の下、積み上げられた瓦礫の上に何故か立っていたのだった。


「え? ここはどこだ? そうだ、あの少年は!」


 叶は辺りを見渡した。そこには来弥の姿はない。それに先刻まで雑木林にいたというのに、今何故こんな場所に立っているのか不思議でならなかった。


「とにかく、あの少年を探さないと!」


 叶は、瓦礫を慎重に降りていくと、やっと降りられた場所に、怪我をした赤いローブを着た男が、同じく赤いフード付きのワンピースを着た女に抱えられながら歩いているのが見えた。

 赤いローブの男は血を滴りながら足を引きずっている。女は何か男に声を掛けながら、苦しそうに歩いていた。重さのせいでなかなか進まないようだ。

 叶は、怪我をしている二人を見て、咄嗟に駆け寄った。


「大丈夫ですか!」


 言うと、女はびくりと身体を揺らし、警戒の姿勢を取る。それから手に持っていたロッドを翳そうとするも、力が入らない。女はその場でへたりと膝を折った。

 叶は素早く駆け寄った。


「無理しないでください! ああ、二人とも大怪我をしているじゃないですか!」


 言って、自分のスーツのジャケットを脱ぐと、着ていたシャツを破いた。


「どこでやられたんです? もしかしてあの少年が……!」


 叶がそう言って、より重症な男の方に破いた自分のシャツを切り傷の部分に巻こうとした。よく見ると、腹部、足、腕に怪我がある。より酷いのは腹部だ。衣装は破かれ、男は気を失っている。叶が男に手を差し出すと、女がそれをパシンと叩いた。


「貴様は誰だ! 珍妙な格好をして、どこの軍の者だ! 我が同胞に手出しはさせぬ!」

「はい!? 僕は自衛官ではありません! 刑事です。安心してください! あなたたちの味方です!」

「――味方、だと……?」

「ええ、味方です。救急車を呼ばなければ……。そうだ、スマホ!」


 叶はポケットからスマホを取り出した。119番に電話をしようとすると、圏外だった。


「え? 圏外!? そんな馬鹿な!」


 叶は焦燥感に駆られると、女に、


「とにかく治療をしないと死んでしまいます! 誰にやられたんですか!?」


 叶の真剣な眼差しに貫かれ、女は金色の髪を揺らすと、エメラルド色の瞳を叶に向けた。よく見ると可愛らしい顔をしている女性だった。幼く見える。子どもだろうか。背丈もあまり高くない。


死神軍カーズの奴らにやられた。相棒のデニスはもうダメかもしれない……。私なんかを庇うから……」

「カーズ? よくわかりませんが、マフィアかなにかですかね……。そういうあなたもあちこちから血が流れていますよ!」

「これは逃げようとしたときに、枝で引っ掛けた傷だ。さして問題はない」

「いけません! 早く適した処置をしないと化膿してしまいます! ああ、どうしたら……」


 言って、叶は、シャツの残りを男の腹に止血しようと当てた。それから、(どうか、どうか生きて……!)そう心の中で祈ると、叶の掌がまるでストーブに手を当てているように熱くなってきた。叶は血が大量に出てきたのかと不安になり目を見開いた。


 すると、自身の手の当たりが煌々と白く輝いているのが分かった。叶は一体なにが起こっているのか分からず、目をしばたたいていると、男の腹の傷が徐々に塞がっているのが分かった。

 女はそれを見て、大仰に驚く。


「お前、魔術師なのか! しかも白魔法を使うとは……! 白魔術師はあまりに貴重な存在……。なぜ……」


 女はしばらく叶の様子を観察していた。叶は、自分に妙なハンドパワーでも身についたのかと状況の中混乱していたが、叶は思った。


「そうか! 僕はあの少年に殺されたのか、気絶して夢の中にいるのか! よーし! それなら治してやるぞ!」


 結論、自分が今現実にいないという結果を導き出した叶は、男が怪我をしている箇所に手を当てていく。男の身体があっという間に綺麗に塞がると、男の顔色までも良くなった気がした。


「さあ、次は君の番だ! なんだか今なら何でも治せる気がする!」


 突然、妙にハイテンションになった叶を見て、女はその圧に気圧されるように、「あ、ああ……」と零すと、叶はにこりと微笑み、女の腕の擦り傷に触れた。柔らかい。叶はぷにっとしたその二の腕に触れるとどきりとした。しかし、今は現実世界ではないのなら、これくらい触っても叱られやしないだろう。腕に手を当てるとまた掌が白く輝き怪我が治った。


「次はその足を!」


 言って、スカートの中に手を入れようとしたとき。女がゴツリとロッドで叶の頭を殴った。女は顔を赤くして、


「やめろおお! なんで知らない男にす、スカートの中をのぞ……かれなければならない! 擦り傷だ、そのうち勝手に治る!」


 言って、スカートをさっと直すと、叶にジト目を向けた。叶はどつかれた頭がジンジンとしてとても痛かった。その痛みがまるで現実世界と同じで、叶は自分の頬っぺたをつねってみた。


「いひゃい……」


 つねったまま口を開くと、そう零した。女は一連の叶の行動を不審に思い、


「お前、何者だ? 白魔法の術者は身体能力が低く、死神軍カーズによってほとんどの奴らが死に絶えた。なのにお前は生きている。それに軍人らしからぬ格好で。まるで王宮の執事ではないか。は! まさか、お前はどこかの王族の執事なのか?」

「執事? いや、ですから刑事です。じ、しか合ってませんし、それに、ここは一体どこなんです? 貴女方の方がよっぽど珍妙ですけど」

「は? 無礼な! 私は魔法政府軍レクイエムの統領補佐官、マギアだ。私を珍妙だと……」


 言って、自分の服装を調べる。叶は素直に、


「いえ、可愛らしい格好をしているとは思いますけど。で、どこなんです、ここは。東京のようには思えない」


 辺りを見渡すと、平原が広がっていて、瓦礫があちこちに散乱している。まるで廃墟が崩れ落ちてそこにあるかのようだった。

 マギアと名乗った女は、こほん、と咳払いをすると、


「ここはアルドナン大陸だ。記憶が曖昧なのか、お前は。それにしても貴重な白魔術師がいたとは……。お前、名をなんと申す」

「叶。糸屋叶です」


 言って、ジャケットの中から警察手帳を取り出して見せた。マギアはそれをじっと見ると、


「なんて書いてあるのか読めんな。異国人か? カナウか。お前、味方と言ったな」

「はい。一応、人類の味方ですけど」


 ぽかん、として叶が言うと、マギアは可愛らしい顔でそっと微笑み、


「よし! じゃあ、カナウ。お前は我ら同胞のもとで働け! 今白魔術師はうちにはいないのだ。魔術師じゃ死神軍カーズではないのは間違いないだろうし。同胞を助けてくれたお礼もしよう」


 まだ子どものような声で、そのマギアは言う。子どもが働けとか、刑事に向かって何を言ってるのか理解が追い付かなかったが、悪い人間ではないのは確かに思えた。それに、叶は自分がなぜここにいて、謎の治療技術、このマギアに言わせれば白魔法を使えるのか。

 謎が謎を呼ぶばかりで、それに、ここがもし痛みを感じる夢、もしくは自分が来弥に殺されていたあの世の世界なのかと思えば、納得できなくもなかった。


「まあ、いいですよ。僕ももうちょっとこの世界を楽しんでみたくなりましたし」

「楽しむだと……? なんという大胆さなのだ……。か弱い白魔術師の言葉とは思えん……」

「あはは。まあ、僕よく言われるんですよ、上司に。お前は楽観的だなあって」


 軽快に笑う叶に、マギアは更に不思議な人間に出くわしたものだと、叶をじろじろ見つめる。それからマギアは、


「こいつを運ぶのを手伝ってくれ。我が軍の根城はこの先にある。統領にお前を会わせてやろう。幾分かの礼もしたい」

「お礼なんていいですよ」


 言って、赤いローブの男がまだ気を失ったままの身体を担ぎ上げると、背の低いマギアは肩が届かず、そっと離れた。

 叶が歩き出すと、


「そういえば、ここに制服姿の少年を見ませんでした? ブレザーを着ている少年なんですが」

「ぶれざー?」

「なんていうか、僕みたいな服をカラフルにした感じの」

「さあ? 見てないな。そんな目立つ姿でこの辺りをウロウロしていたら嫌でも目に止まる」

「まあ、そうなんですかねえ……」


 叶は、今広がっている世界が一体どういう構造なのかまだ分からないが、確実に言えるのは、一緒にいたはずの来弥が同じ場所にはいないという事実だけは分かった。

 しかし、刑事という肩書きの自分は、あの少年を必ず見つけて逮捕しなければいけないという自覚はしっかり持っていた。自分が死んでいなければ、気絶しているだけだとしたら、目が覚めたらきっとあの少年を必ず捕まえて手柄を上げる。それを心に誓っていた。

 少年犯罪は止めなければ人格形成にも大きく関わる。

 新米の刑事である自分でも、青春時代の心の傷は癒えることが無い。

 そう思いながら、歩いていると、空は暗くなってしまい、上を見上げると、東京では見た事のないくらい美しい星が間近に感じられた。まるでプラネタリウムにいるようだと叶は思った。

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