(2)来弥――始まり

 来弥は森の中にいた。黒薔薇が襲いかかってきたと思ったら自分が叶を誘った雑木林ではなく、鬱蒼と緑が生い茂った森の中にいたのだった。

 今は夕暮れ時だろうか。辺りが暗くて、なんとか目が慣れてくると、辺りが徐々に見えてきた。


「ここは一体どこだ……」


 見知らぬ場所に制服姿で立っていた来弥は、さっきまで一緒にいた叶の姿も消えていることに気付いた。来弥の手には持っていたブラックジャックが握られている。不思議に思い、警戒しながら少し先を歩いてみた。草木が邪魔で思うように移動できない。


「くそ! わけわかんねえ! あの刑事ぶっころさねえと俺が死ぬハメになる……」


 苛立ちを抑えられず、ひとりごちると、緑の匂いとは別に生臭い匂いがするのが分かった。そう、来弥のよく知っている匂いだ。

 それは血の匂い。鉄のようなツンとした生臭さ。来弥は鼻をひくつかせると辺りを見渡した。

 すると木の影に人が倒れているのが分かった。来弥はその倒れている人間が叶かどうか確かめるために近づいた。


「刑事が死んでるならラッキーだけどな。って、なんだこりゃ!」


 眼下に転がっていたのは、鋼の鎧を身にまとった男の死体だった。身体の見える箇所を切り傷で覆われていた。そこから鮮血が草にかかり、そこで何かの刃物で殺されたように見えた。が、この傷の量は深さから考えても普通の刃物ではこうはいかない。

 殺人鬼の洞察力とでもいうのか、来弥はそう感じたのだ。

 それにこの如何にも中世ヨーロッパの兵士のような格好。日本の山にこんな姿でわざわざ殺されにくるだろうかと。来弥はその死体を足で蹴ると、


「意味がわかんねえ。どういう思考したらこんな場所でこんな奴が死んでるんだよ」


 言って、嘆息すると、蹴りあげた跡から、一本の剣が出てきた。この男が伏せた瞬間に身体で隠れていたのだろう。来弥はそれを手に取ってみた。

 重い。ずっしりと重厚感のあるその刀剣は、アニメやファンタジー映画で見かけるようなものだった。来弥は再び頭を捻る。


「この刃、本物か……?」


 言って、ブレードの部分にそっと指を這わすと、スウっと血が流れた。来弥は驚いてその刀剣を放した。


「マジもんかよ! 一体どういうことだ? こいつも犯罪者ってわけかよ……」


 来弥がひとり現状把握に追いついていない最中、森の奥から声が聞こえた。


死神軍カーズの残党がまだいるかもしれん! 周囲の警戒態勢を解くな!」

「御意!」


 来弥はその声を聞き、とっさに木の影に隠れた。


(なんだってんだ。カーズ? curseってことか? 呪い? 呪いがなんだ)


 来弥は声のした方をそっと覗く。人影は暗くて見えない。来弥は捨てたはずの剣をそっと持ち上げた。ブラックジャックはその場に置いておく。自分が追われる立場に慣れていないせいもあり、剣を握る手に汗が滲む。しかし、ここで誰かに見付かってしまったら、自分が犯罪者として裁かれてしまう。

 その危機感が来弥の集中力を上げた。


 そのときだ。来弥の右から草木を分ける音がした。来弥は咄嗟に剣を構えた。重いが、自分の人生がかかっている。ぐっと腕に力を入れ、授業で教わった剣道のように、構えの姿勢を取った。

 すると、その音の先から赤いローブを着た男が飛び出してきた。そのローブも現在の日本では普通に着てはいない、コスプレのように見えるが、装飾も細やかで、高級そうだった。


「いたぞ! 死神軍カーズの残党と思しき人間を発見! 奇妙な出で立ちをしている! 殲滅に入ります!」


 赤いローブの男は来弥を見つけると、手に持っているロッドを翳した。


「疾風よ舞え! トルネイディア!」


 何やら厨二病万歳の台詞を真顔で発した男のロッドから、溢れんばかりの風が巻き起こり、辺りの木々を薙ぎ倒して緑色をした渦を発生させた。来弥は本能的にそれがさっきの死体に付けた傷のような気がした。来弥は目を瞑った。(ここまでか……!)と、奇妙な世界にいる自分の命が突然終わるような気がして剣を構えたままその場で立ち尽くした。


 が。その疾風が来弥の身体にまとわりついた瞬間。パキン、という子気味いい音がして、その疾風が消えた。


「……は?」


 赤いローブの男は自分が詠唱した魔法が来弥の身体に辿り着いた途端、弾けて消えたことに口を開けた。

 来弥は音が弾けてから目を開けると、身体に傷ひとつないことに驚くも、それを好機だと睨んだ来弥は赤いローブの男目掛けて飛び出した。


「死ねえっ!」


 ズシャっという衣服の切れる音がして、手にはよく知っている肉感が伝わった。瞬間、男の胸から血が溢れ出す。


「バカな……」


 赤いローブの男は喀血し、その場で倒れ込んだ。来弥ははあはあと何度も呼吸を繰り返すと、


「やった……。やってやったぞ……! 見たか、この阿呆め! 俺は最強の殺人鬼様だ! あはははは!」


 雄叫びを上げると、周りに潜んでいた、さっきの男と同じ格好をした連中が、来弥に向けて詠唱をする。

 詠唱が終わると、火の玉や稲妻が奔るのが見えたが、来弥は相変わらず高笑いを浮かべていた。それから目の前に火の玉や稲光が見えると、キッとその方向を見た。するとまた来弥の身体に触れた途端、パキン、という音がして、火の玉や稲光が消えた。

 来弥は赤いローブの連中を睨み付け、舌なめずりをすると、


「かかってこいやあっ!」


 と、声を上げ、何度も詠唱を重ねる連中の攻撃を打ち消しながら、剣を振るった。


「どうだ。俺は勝ったんだ! あはははは!」


 気づけばそこは死体の山になっていた。来弥は死体の山を一瞥すると、血の匂いでハイになった高揚感を味わうように、思い切り息を吸った。

 空気が澄んでいるのが分かる。空を見上げると、月が出ていた。それを見るとやはりここは地球なのか? とふと冷静さを取り戻した。


「しっかし。ただのコスプレ集団かよ。あの火の玉とかはやっぱ映像か? 痛くも痒くもねえしな。でも、木が切り倒されてるし、草も焼けてるんだよな……。撮影?」


 そんなことを考えていると、急に腹が減ってきたことに気付いた。ぐうと間抜けな音が鳴る。


「とにかく、家に帰らねえと……。ばあちゃん心配するだろうし」


 言って、どちらから来たのかも分からない場所を当てもなく歩いていた最中だった。また草木が擦れる音がした。


「誰だ!」


 来弥は咄嗟に声を出した。するとのそりと姿を現したのは、軽そうな鋼の鎧を纏った女だった。手には剣を所持していた。


「見させて貰ったわ。あなたがあの連中を倒してくれて助かった。見かけない顔だけど、どこの軍の人?」

「軍?」


 来弥が不思議そうに答えると、女は黒くて長い髪を撫でた。よく見ると日本人というよりは、西洋人に近い顔つきで、目鼻立ちがくっきりとしている。厚い唇を揺らして、


「どこの軍にも所属してないのかしら。そんな人がまだ生存していたなんてね。とにかく助かったわ。ありがとう」


 女はふっと微笑むと、剣を鞘に収めて歩いて行った。来弥は初めてこの妙な空間にいる疑問を投げかけたくなった。しかも殺人をしておいてお礼を言われると思っていなかったのもあり、どこかで同士のように思えたからだ。


「ちょっと待ってくれ! ここは一体どこなんだ? 俺は東京にいたはずなんだ。あんたもそうだけど、なんでみんなコスプレをしている?」

「とうきょう? こすぷれ?」


 女はくるりと振り返ると小首を傾げた。


「あなた、変な格好をしているし、もしかして戦闘で記憶が混乱しているとかかしら。ここはアルドナン大陸。私は死神軍、カーズの統領の補佐官、グレイシーよ。あなたは?」

「俺は来弥。ライヤだ」

「ライヤ。いい名前ね」


 言って、グレイシーが握手を求めてきた。来弥はそれにどう答えればいいか迷っていると、ぐう、とまた腹が鳴った。しん、と二人は押し黙る。するとまた立て続いて何度も腹が鳴ってしまう。グレイシーはぷっと吹き出すと、上品に口許に手を当てて、


「あは。ごめんなさい。お腹が減っているのね。それなら魔法政府軍レクイエムから救ってくれたお礼ということで、これから軍で食事をご馳走するわ」


 ふふふ、とまだ笑っているグレイシーを見ると、普段まともに女子と接していなかった来弥は顔が赤くなってしまった。しかし、空腹でよく分からない場所に居続けるのは苦痛でしかない。今は自分の殺人を許容してくれたこの女に従うのがいいのかもしれないと思い、


「飯、食わせてくれるなら着いていく……」


 ぼそりと言うと、グレイシーは「OK」と答えると、


「じゃあ行きましょう。またあいつらに見つかるのも面倒だし」


 言って、森の中を進んで行った。来弥は剣とブラックジャックを握りしめたまま、グレイシーに着いて行った。辺りはもうすっかりと夜の帳が降りていた。

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