第八幕
第八幕
円環を潜ったイライダとスズメフクロウのプーフ、そしてオレクサンドルとペトロの三人と一羽の姿は、首都キエフのアレクサンダー
「……ここは?」
「ここはあなたの病室でしてよ、ペトロ。
これで何度目になるのか、そう言ってペトロの疑問に答えたイライダは頭上に右手を掲げると、その指をぱちんと打ち鳴らして魔術を解除する。すると間髪を容れず、およそ十五歳前後の姿に若返っていたオレクサンドルとペトロの肉体は見る間に老化し始め、瑞々しさの欠片も無い皺だらけの肌とみすぼらしい白髪に覆われた本来の姿を取り戻すと同時に、今宵の夢の旅路は終宴の時を迎えた。
「ああ、糞、夢が醒めちまった!」
名残惜しげにそう言ったペトロは壁際に設置されたベッドに素早く転がり込み、すっかり
「いいじゃないか、ペトロ。楽しい夢だったんだろう?」
ベッドの傍らに立つオレクサンドルはそう言って、彼の従弟である病身のペトロに同意を求めた。
「まあ、うん、間違い無く楽しい夢ではあったんだが……あのゲンナジーとか言うこまっしゃくれた若造だけは、この手でぶん殴ってやりたいほど生意気だったがな!」
「ああ、それは確かにお前の言う通りだ。僕もあの若造には言っておきたい事が山ほどあるが、その点を差し引いたとしても、今夜の夢は間違いなく楽しかったよ」
そう言ったオレクサンドルとペトロの二人は互いの顔を見合わせながら意見の一致を確認し合い、げらげらと声を上げて笑ったかと思えば、今度は二人揃ってイライダに眼を向ける。
「イライダ、今夜は楽しい夢をありがとう」
「ああ、そうだ、そうだとも。若返る事が出来たしプリピャチにも帰れたし、サーシャが言う通り本当に楽しい夢だったぜ、イライダの嬢ちゃん。心から感謝してるよ」
げらげらと笑い合いながら礼を述べる男二人に対し、イライダもまた「どういたしまして。楽しんでいただけたようで、何よりでしてよ」と言って、謝辞の言葉を並べ立てる事を惜しまない。
「それにしても、もうこんな時間か。早く寝ちまわないと、明日の回診の時間に起きられないな」
「ああ、そうだな。僕も早く自分の病室に戻らないと、また看護婦にどやされてしまう」
ベッドのサイドボードの上に置かれた卓上時計でもって現在の時刻を確認しながらそう言ったオレクサンドルは、ペトロの病室から退出して自分の病室に戻るべく踵を返し、扉の方角へと足を向けた。
「じゃあなペトロ、また明日」
オレクサンドルはそう言って別れを惜しみながらドアノブに手を掛けるも、背後のペトロからの返事は無い。そして何故か、彼が寝ている筈のベッドの方角から荒い息遣いが聞こえて来る。
「ペトロ?」
不審に思いつつ振り返ってみれば、ベッドの上のペトロが自分の胸を押さえたまま身体を丸め、苦悶の表情を浮かべながらぜえぜえと喘いでいるのが見て取れた。その呼吸の深さと荒さは、彼の病状が見る間に悪化してしまった事を如実に物語っている。
「おいペトロ、どうした? ペトロ? おいペトロ! しっかりしろ!」
病身の従弟の身を案じるオレクサンドルを他所に、眉間に深い縦皺を寄せて全身に玉の様な脂汗を浮かべながら苦悶し続けるペトロは、不意に吐血した。
「イライダ、看護婦を呼んで来てくれ! 早く!」
ベッドの脇に設置されたナースコールのボタンを連打しながら、オレクサンドルがイライダに指示した。しかしながらその間も、ペトロの口からはごぼごぼと
「ペトロ! おいペトロ!」
呼吸困難と吐血、それに全身の痙攣が止まらないペトロの名をオレクサンドルが叫び続けてみれば、イライダが呼んで来るまでもなく、異常を察した医師と三人の看護師達とが病室に姿を現した。
「どうしました?」
「ペトロが、僕の従弟が突然苦しみ出したんです! 助けてやってください、先生!」
オレクサンドルがおろおろと狼狽しながら懇願すると、度の強い眼鏡を掛けた白衣姿の医師がペトロを一瞥し、即座に看護師に命じる。
「おいキミ達、急いでストレッチャーを用意し、輸血の準備をしなさい。それと、
冷静な口調でもってそう言った医師の命令に従い、看護師達は小走りでもって病室から退出した。
「先生、ペトロは助かりますよね? ねえ先生、助かりますよね?」
「正直な事を言わせていただければ、助かるとは断言出来ません。我々も最善は尽くしますが、彼の容態は重篤ですし、残念ながらこれ以上の延命は難しいでしょうね」
「そんな……」
医師の説明に、がっくりと肩を落として項垂れるオレクサンドル。すると先程退出した三人の看護士達がストレッチャーと共に再び姿を現し、そのストレッチャーをベッドの隣に並べると、ペトロを乗せ換えようと試みる。
「……せえの、はい!」
掛け声によってタイミングを見計らいながら力を合わせ、看護師達は悶絶するペトロの大きな身体を、壁際に設置されたベッドからストレッチャーへと素早く乗せ換えた。そして
「ペトロ! しっかりしろペトロ!」
「……居るか?」
「え? 何だって?」
ペトロの喉から絞り出された蚊の鳴くような声を聞き取ろうと、オレクサンドルが耳を寄せた。
「イライダの嬢ちゃんは、近くに居るか?」
「ああ、ここに居るぞ! ほらイライダ、ペトロが呼んでいるからこっちに来てくれ!」
オレクサンドルがそう言いながら手招きし、少し離れた場所から事の推移を見守っていたイライダをストレッチャーの脇まで呼び出すと、そんな彼女に向けてペトロは感謝の言葉を述べる。
「たとえ夢の中とは言え、あの婆ちゃんの形見の
最後にそう言い残したペトロと彼を乗せたストレッチャーは、病院の廊下にオレクサンドルとイライダ、それにスズメフクロウのプーフの二人と一羽を残したまま、
「ペトロ……」
固く閉ざされた
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