クリスマスの対談

黒田寛実

第1話

「クリスマスイブも、クリスマスも予定がない。」


このような事態を不安に思ってしまうこと、これはなぜであろうか。それは肌感覚で分かる。なぜか現代日本では、クリスマスは恋人たちの日と相場が決まっているからだ。かつてはサラリーマンが外で飲んで騒ぐ日、続いて家族一緒に過ごす日、と移り変わっていった。その延長上に恋人たちの日がある。家族の変化から、家父長制から、軽やかに自由恋愛へ。そして恋人たちの日に。自由の象徴であろう。日本人は束縛から解き放たれた。西洋の行事ならば、キリスト教がなんたら、歴史性を排除して楽しめる。まあ、これは厳密な分析ではないので、やや適当であるが。


「で、これはクリスマスについて何か語りたいってことなの?」


「うん。どうにかして考えていかなきゃいけないと思って。」


「でもどうしてここで台詞になるの?」


「それは孤独のゆえかな?やっぱり、クリスマスについて孤独に書き綴ったら、いかにもって感じじゃない?なんだか陰キャの妬みみたいでさ。」


「どんなに言い訳をしようと、クリスマスにこういうこと書いてる時点でお察しって感じね。陰キャの戯言ととられるのがオチよ。」


「うーん、そこをなんとかしたい。たとえそうだとしても。そもそも陰キャとかも使いたくないね。煽りみたいになってつらいし。でもTwitterを基礎にして思考すると、どうしてもね。」


「そこはこの際吹っ切っちゃえばいいのに。めんどくさい人ね。」


「仕方ないさ。まあ、とにかく進めよう。そうだね、日本のクリスマスは商業主義だから、キリスト教云々無くて恋人たちの祭典になる、と。自由恋愛万歳だ。ヘイカモン、自由主義!それはそれで、しかし恋人がいないと肩身が狭い。なぜか?そこには資本主義の問題が関わっているのではないか?クリスマスに恋人とデートして街でお金を落とす、そう、それは限りなくロマンチックで、エモーショナルな体験だ。そしてちゃあんと経済も回している。もしかしてクリぼっちの不安は、資本主義で華々しさを得られないことへの悲しみから来るのかもしれない。」


「へえ、確かに、一人でコンビニのクリスマスケーキ買ってもそもそ食べるより、恋人とクリスマスディナー囲んだ方が楽しい気がする。もしクリスマスの食事にかける値段が一緒でも、エモさが違うわね。」


「そんな感じさ。消費にも物語が必要なのさ。それがクリスマスには顕著に現れる。」


「ふーん。」


「そこで苦しいのが、恋愛も資本主義の一環なんだってことだよね。より華々しい消費、そしてさらなる消費を。恋人のためにプレゼントを買う、気合を入れて高級レストランを予約する、聖夜ならぬ性夜で、ラブホテルに行っちゃう。そういうところで、ね。」


「なに、アンチ資本主義なの?恋愛と資本主義を絡めて恋愛至上主義に物申すってこと?その戦略は痛々しいわよ。」


「ああ、そう言うか…。そう言われればそれまでさ。仕方ない。僕だって恋人ができれば現在のクリスマスのあり方を肯定するに決まってる。資本主義に負けようが構うもんかって、ね。でも今くらいは。」


「そういう葛藤をなんとか言語化するのは、無駄な悩みにしか見えないけどね。」


「ずけずけ言うね。なんだ?僕は罵倒萌えでもあるのか?対話の相手は誰か?というのはこの際問わない。だめだね、どうにも。まあ、続ける。Twitterでは自嘲ぎみにクリぼっちのことを呟くというしぐさがあるよね。『え~、もうすぐクリスマスなのに予定がないってマジ?~実はフォロワーさんの中に好きな人が~もしDMで告白してくれたら、一発OKするのにな。』みたいな。あとは、『クリスマスには『スクールデイズ』(浮気男が殺されるアニメ)見ようぜ!』とか。ことさらに孤独であることを言い続けるとか。リア充爆発しろ!とか言う人もいるかな。これは現実か。Twitterはそこまで直接的に恋愛に対してヘイトは垂れ流さないかな?これらのように、どうしても『本当は恋人がいてくれたらなあ』という気持ちがあるようで、それがつらい。普段オタクしぐさをとっていても、虚構が現実に勝つとは信じていないのか!?と無力感をおぼえるよ。」


「そこはあれじゃない?Twitterがオタクのノリで運営されていると言っても、オタクしぐさだけ身に着けて、根はそんなにオタクじゃないツイッタラーもいるでしょ?それに、オタクの中でもキャラクターだけで充足できる人ばかりじゃないわ。虚構と現実を切り離している場合が多いでしょ?キャラにガチ恋は、難しいわよ。」


「やっぱりそうなのかな…。どうしても、『このキャラクターがいれば、クリぼっちも、そして現実で恋愛ができない事実に直面しても怖くない』というような圧倒的な突き抜けは無理なのか…。そういう圧倒的な一撃、それこそが資本主義への…。いや、そもそもオタク文化も資本主義にどっぷりだった。推しへの課金とかね。」


「結局、現実に負けてるのよ。資本主義に負けてるのよ。私はそれを慰めてあげられるけど、きっと拒絶するでしょうね。」


「分かってるじゃないか、当たり前でしょ、自分が作った対話相手に慰めてもらおうだなんて。僕はプライドが高いから、どうしてもそれができないんだ。」


「大変ねえ、まあ、語尾的に惣流・アスカ・ラングレーあたりでも想定してるっぽいけど、その辺も織り込んだキャラ設定?さっきの罵倒がなんとかとも関わる。」


「どうだかね、涼宮ハルヒかもしれないぜ。そもそも、こういう対話形式をとっちゃうところがほんとに恥ずかしい。結局、クリスマスについて深まったのかね!陰キャの妬みで終わってるのかね!でもなんとかそこを、次の言葉を、「来るべきクリスマス」を…。みんなが『ああ、今日はクリスマスだね』と素朴にいえるクリスマスを…。」


「意識を消去すれば?『ハーモニー』の世界よ。あんたそういうの好きでしょ?全部が自明の行動になれば、妬みもエモさも無くなるわ。」


「それができればね。技術の進歩を待つか…。いや、こういう考えこそ、なんか逆張り臭い?青臭い?恥ずかしい?」


「あんたバカぁ!?自分の気持ちに正直になればいいのに。」


できない。だから、ナイスな、ナイスな、ナイスな、ギャングになれない。詩人のままだ。その詩人というのも、村上春樹に規定され、アメリカにべったりで、それもつらいのだ。

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