【二十五】真実の推理
「まあ、犯人は砂金さんで決まりでしょう」
スマホの向こうで、砂金の笑い声が聞こえた。
「即答とは恐れ入ったね。完全にお見通しだったというわけか」
「完全に、というと語弊があるかもしれませんね。ただ、椎菜さんが共犯者であると分かった時点で、実行犯はあなたしかいないと結論付けました」
「ちょ、ちょっと待ってくれ」
話に付いていけていなかった鮎葉は、たまらず声をあげた。
「おかしくないか? 舞花さんと椎菜さんの嘘で、犯行時刻が変わっただろ。森野さんは十七時から十八時の間のどこかで殺されたとして……だ。お前はまだ、十七時から十七時半にかけての、全員のアリバイを把握してないじゃないか」
新たに判明した空白の時間。
その間に、全員がどこで、何をしていたのか。
それを知らない状態で犯人を特定することなんて、できるのだろうか?
鮎葉の杞憂を断ち切るように、多古島はバッサリと答えた。
「そんなの必要ありません。あのお屋敷で過ごした三日間の間に得られた情報だけで、十分に犯人にたどり着くことができますから」
砂金が笑う。
「くく……。素晴らしいね、君は。ぜひその推理とやらを教えてくれたまえよ」
「そうですね、順を追って説明しましょう。この事件は森野さんを殺す『実行犯』と、それを計画した『共犯者』によって行われた事件です。そして共犯者は椎菜さんだった。ここまではいいですね」
「ああ、問題ない」
「椎菜さんの証言から鑑みるに、どうも彼女は自分以外の人間に罪を被って欲しくないようでした。自分が犯人であることを一貫して主張していることからも、それは明らかです。理由は定かではありませんが……殺人をお願いした、という後ろ暗さがあったのかもしれません。とにかく彼女は、実行犯がバレないように細心の注意を払っていました。
さて、一つ目のキーとなるのは、十七時半以降の全員のアリバイです。困ったことにあの時は、犯人を突き止めることが出来ませんでした」
砂金、椎菜、万知が二階で合流するまで――つまり十七時五十分頃までの間、お互いがアリバイを証明できている人間が、鮎葉と多古島しかいなかったからだ。
一方向の目撃証言だけが連なった、奇妙な状態。それがネックになっていたはずだ。
「皆さんの証言が集まった段階で、私は屋敷内の人間の行動がコントロールされていた可能性を考えていました。
だっておかしいじゃないですか。あんな短い間に、何人もの人間が屋敷の中を移動しているなんて。
思い出してみてください。
絵上さんは、誰に庭でスケッチすることを勧められていましたか?
万知さんはあの時間に部屋を移れることを、誰に教えてもらいましたか?
霊山さんが庭にいるのではと、舞花さんに助言したのは誰でしたか?
私が先輩の部屋で熱く語ったタコの折り紙は、一体誰が折ったものでしたか?」
「おい、まさか……」
鮎葉の目を見て、多古島は一つ頷いてみせた。
「そうです。あの不自然な状況は、椎菜さんの手によって作り出されたものだったのです。椎菜さんは、誰かが犯行予想時刻の証言を集め始めることを予測していたのでしょう」
屋敷にいる人間の行動をコントロールする。口で言うのは簡単だが、果たしてそんなにうまくいくものだろうか?
しばし考えた後、鮎葉は気付いた。
必ずしもうまくいく必要はないのだ。
何故なら、本来の殺害時刻は椎菜の証言で守られている。十七時半以降のアリバイについて話し合っている時点で、最も重要なトリックは機能を果たしている。
だからあれは、犯人を有耶無耶にし、議論を長引かせ、もう一人の犯人に誰もたどり着けないようにするための、幾重にも張られた罠の一つでしかなかったのだ。
上手くことが運んだから使った。ただそれだけの話。
自分たちはずっと、階層の違うところで犯人を追っていたのだ。上の階で踊る犯人が落とした影を、ひたすらに追いかけていた。
多古島は続ける。
「しかし……それが分かったからと言って、犯人がすぐに特定できるわけではありません。
椎菜さんは、かなり慎重に計画を詰めたようです。
仮に椎菜さんが誰かを目撃したと証言していたら、その人物は真っ先に彼女との関係を疑われるでしょう。だから彼女は、誰とも関係のない厨房に、ずっと一人でいたわけです」
つまり、誰にも干渉しないことで、実行犯まで足がつくことがないように調整していたわけだ。多古島の言う通り、緻密で、狡猾だ。
「ただし一点だけほころびがあります。
それは、あのアリバイの連なり……仮に、アリバイリレーとでも言いましょうか。アリバイリレーの中で、実行犯をどこに配置したのかということです。
アリバイリレーが成立したことで、誰が犯人かが分からない状況は作られました。
しかしそもそも、あのリレー自体が始まらなければ意味がないとは思いませんか?
誰にも見られておらず、誰かを目撃している人。スタートとなるこの人だけは、何としても確保しなくてはいけません。
つまり、アリバイリレーの最初に配置された人間、砂金楓花さんこそが、椎菜さんの共犯相手といえるわけです」
「ふむ」
スピーカーモードにしたスマホから、砂金の声が聞こえた。後ろから車の通る音がしている。外から電話をかけているようだ。
「中々面白い推理だね、多古島さん。それが私を犯人であると断定した証拠かい?」
「もちろんまだありますよ。これだけでは不十分ですから」
「安心したよ。そんな曖昧な理由で犯人扱いされたんじゃ、たまったものではないからね」
どこか楽しそうに、砂金は続きを促した。
「さあ続けてくれ。他の理由も聞こうじゃないか」
「分かりました。では単刀直入に言いましょう。あなたは一つ嘘をついていますね?」
さて、なんのことかな? と砂金は笑った。
多古島は取り合わず、続ける。
「あなたは昔事故に遭い、片足の自由と聴力を失ったと言っていましたが――」
「本当は聴力ではなく、視力を失っていたのではないですか?」
畳みかけるように言葉を連ねる。
「恐らく事故の影響で視神経を損傷し、急激に視力が低下したのでしょう。これに気付くことが出来なかったのが、痛恨のミスでした。椎菜さんが共犯者であると分かったことで、ようやく察しがつきましたが……よくもまあ、うまく隠したものです。
しかし、思い返してみればそれらしい兆候はいくつもありました。
最初に不思議に思ったのは、ダイニングホールでアリバイを聞いていた時のことです。あなたは一度、自分の番が回ってきたことに気付いていなかったことがありましたよね。絵上さんの証言あたりから、補聴器の調子が悪かったと言って。
だけどそれだとおかしいんですよ。
あなたはその後、絵上さんに関してこう言及していましたよね。
『ああ。例えば絵上君は「十六時過ぎくらいから、庭の色んな所で、ずっと絵を描いていた」と言っていたね』
でも、補聴器の調子が悪かったのに、このセリフをはっきり覚えているのは不自然です。本当は聞こえていた、と考えるべきでしょう」
多古島はさらに状況証拠を並べた。
初日、鮎葉を近くに呼んで顔を触ったのは、そうしないと顔を確認できなかったからだ。
多古島の回した紙を取らなかったのは、目が悪いことを悟らせないためだ。
大人数で移動する際に椎菜が介助していたのは、足が痛み始めたからではなく、目が見えないことを周囲に悟らせないようにするためだ。
「そして何より」
一拍。
「これなら最大の疑問だった、森野さんがソファで殺された理由にも説明がつくんですよ。
『実は私は弱視で、あなたの顔が見えないんだ。もし良ければ、近くまで来てもらえないだろうか?』
こう言えば、例え森野さんでも、あなたの傍に腰かけるでしょう。ただでさえ狭いスペースで、しかも砂金さんは足が悪いんですから」
多古島の言う通り、符合する点は多い。
しかし納得できない部分もあった。
「だけど多古島。もし目が見えないんだったら――」
「目が見えないんだったら、そもそも森野さんを殺すことはできない。食事の時や、立ち居振る舞いに、不自然な点は見当たらなかった。ですか?」
一言一句同じだったので、鮎葉は黙って頷いた。
「ええ、確かにその通りです。本来であれば、彼女に犯行は不可能でしょう。では砂金さんが盲目であることを隠すために、ある補助装置を使っていたとしたらどうでしょうか?」
「補助装置……?」
多古島はとんとんと耳を叩く仕草をした。
「『インカム』ですよ。
砂金さんは耳に小型のインカムを付けて、そこから椎菜さんの指示を聞いて回りの情景を想像していたんです。長い髪に隠れてよく見えませんでしたが、補聴器と言われてしまえば、私たちは勝手に納得しますからね。うまい手です。
盲目になってからかなり長いようですし、インカムの情報をもとに行動できるくらいのスキルは身に着けていてもおかしくありません。
アリバイを確認していた時、私たちの声が聞こえていなかったのは、インカムで椎菜さんからの指示を聞いていたからでしょう。
あの時はちょうど、舞花さんが彼女にとってイレギュラーな行動をしていましたから、絵上さんを目撃した時間や、アリバイを調整するために、指示を入れていたんだと思います。だから砂金さんは、自分が発言する前に、椎菜さんの話を聞かなくてはならなかった」
確かに辻褄は合っている。
砂金が犯人ならば成立する謎は多い。
しかし……どれも状況証拠に過ぎないのではないだろうか。砂金が犯人であるという、確固たる証拠はない。鮎葉がそう言うと、多古島は頷いた。
「いい質問ですね。それでは、推理の最終フェーズにうつりましょう。先輩は、机の上に刺さっていたナイフのことを覚えていますか?」
「もちろん。実際に使われた凶器ではなかったって話だけど」
「その通りです。何故、凶器でもない偽のナイフが置かれていたのか。その理由こそが、砂金さんを犯人であると証明する、最期のピースなのです」
そこで一度区切って、多古島は鮎葉に問いかけた。
「ところで先輩。創傷をつけた凶器が特定しにくいというのは、本当ですか?」
「ん? ああ、そうだな。特徴的な形をしていない限り、判断は難しいと思う」
銃創と違い、創傷はどんな刃物でも似たような形になる。今回の凶器に関しても、多古島が柄に付着した血痕の不自然さに気付いていなければ、見逃されていた可能性が高い。
「では、ナイフが偽の凶器であるとバレていなかったとしましょう。その場合、持ち物検査の時に注視されるのはなんだと思いますか?」
「そりゃあ、服じゃないか? 返り血の付いた服は、あの時まだ見つかってなかったんだから」
多古島はぱちんと指を鳴らした。
「その通りです。犯人の狙いはそこでした。持ち物検査の対象から、凶器を除くこと。それが目的だったんです」
鮎葉は首を傾げた。
「なんでそんな回りくどいことをするんだよ。普通に捨てればいいじゃないか」
「いいえ先輩。捨てなかったんじゃありません。捨てられなかったんです」
「……どういうことだ?」
「もー、やっぱりにぶいですねえ。要するに、実行犯にとって、とても身近で、欠かせなくて、手放せないもの。それが凶器の正体なんです」
しばし考える。
身近で、欠かせない物。
例えば、髪が長い人にとってのゴム紐。
例えば、汗をかきやすい人にとってのタオル。
例えば、耳が不自由な人にとっての補聴器。
例えば、目が悪い人にとっての眼鏡。
例えば――
「足が悪い人にとってのステッキ、とか」
多古島がそう言った途端、電話の向こう側で砂金が笑った。
とても愉快そうに。
「ご名答。私のステッキは特注品でね。中に護身用のナイフが仕込まれているんだよ。まあ、簡単にはバレないように仕掛けはされているがね」
「なら刃の部分か、あるいは鞘の部分に、森野さんの血が付着しているはずです。最近の血痕探査試薬は精度が高いですからね。拭いたり洗ったりしたくらいじゃ取れません。間違いなく証拠になります」
「はは、そんな野暮なことはしていないさ。ちゃんと残っているよ。べた付いた血痕がね。色が見えないのが、残念でならないよ」
「……ご自身が犯人だと認めるんですね」
多古島の問いかけに、砂金はあっさりと。
ひどくあっさりと応えた。
拍子抜けしてしまうほどに。
「ああ、そうだ。私が犯人だ」
砂金の声音は、どこか満足げだった。
達成感とでも言えばいいのだろうか。
満ち足りていて、幸福感にあふれていて……それでいて、全てが終わったような声だ。
音が聞こえる。
鉄の車輪が狭い隙間を超える音が、断続的に。
「さて、動機は語らせてもらえるのかな?」
多古島は応える。
「ご自由にどうぞ」
「ありがとう」
そうして彼女は語り始めた。
「なあ。君たちは、現実ってなんだと思う?」
きっかけは、視力を失ったことだったという。
人は五感から情報を得るけれど、その中の実に八割以上を視覚に依存している。
目に見える光景は、いつだって生々しいリアルを彼女に見せてくれていた。
だからだろう。
視力を失った砂金には、何もかもが他人事に思えたそうだ。
「耳に聞こえる話声も、肌で触れる誰かのぬくもりも、全て現実離れした、物語(フィクション)のように感じたんだ」
彼女はその状態を、自分だけが物語の外にいるような、物悲しい疎外感、と形容した。どれほどまでに砂金が思い悩んでいたのか、鮎葉には想像することができなかった。
「ある日のことだ。治療のために通っていた病院の待合室で、一人の老人が亡くなった。触れもしなかったし、言葉を交わすこともなかった。なのに私は、その老人が息絶えたことが――物語が終わったことが、手に取るように分かったんだ」
視力を失って以来はじめての感覚に、砂金は魅せられた。
死という概念に興味を抱き、病院や介護施設に足しげく通いながら、その刹那を追い求めていた。
他人が死ぬ瞬間を。
追い求めて。
追い求めて、追い求めて。
やがて砂金は欲したのだ。
自分自身の手で、その瞬間を生み出したいと。
「私は他人の物語のページをめくりたかった。終わらせてみたかった。ただそれだけが、私の願いだったのさ。椎菜さんが声をかけてきたのは……ある種の巡り合わせだったのではないかと私は思う」
多古島が問う。
「森野さんを殺してみて、どう思いましたか」
「コメントは差し控えておくよ。私があの場で言ったことがすべてだ」
「そうですか」
多古島の表情から、感情は読み取れない。
砂金の声音からも、同様に。
「さて、そろそろ行くことにするよ。君のお陰で、最後に犯人として登場させてもらえて、私はひどく満足だ」
「さすがに他人事のようには思えませんでしたか」
「ああ。久しぶりに、自分のことのように思えたよ」
「あなたは、犯人になりたかったんですか?」
くくっと喉を鳴らして彼女は笑う。
「ああ、そうだな。そうかもしれない。だけど……なあ、信じられるかい? 想像していたよりもずっとずっと……犯人というのは孤独だったのさ」
砂金の声が、段々と周囲の喧騒に飲まれ始めた。
甲高く、周期的な音波を発する音は、赤いランプを髣髴とさせた。
鮎葉は思わず声をあげた。
「まさか――」
「当然のことだよ、鮎葉君。社会に身を置いているんだ。人を殺したならば、当然何らかの形で、その責任を負わなくてはならない。そうしてはじめて、私は死と向き合うことができるんだ。罪を隠したまま生きていくことなんて、できやしないのだから」
「砂金さん……」
「そうだ。一つ言い忘れていた。椎菜さんについてだ」
彼女は、まるですべてを清算するかのように、言葉を連ねていく。
「インカムで指示をくれていた時や、森野さんを殺す計画を立てている時。彼女の口調はとても演技がかっていたんだよ。自分を出さないようにしていた、とでもいうのかな。まるでナレーターのように、俯瞰的で、達観した話し方をしていたんだ。何故だと思う?」
「彼女なりの、葛藤の表れなんじゃないでしょうか」
多古島は応えた。
椎菜は淡々と自分の罪を語ったけれど。やはり心の奥底では抵抗があったのだろう。
心の仮面、ペルソナを被ったのか。あるいは、さながら演劇を眺めるように、ナレーションを挟んでいたのか。そうして自分自身の次元を変えることでしか、森野の哲学を受け入れられなかったのかもしれない。自分の感情が邪魔をしないように、溢れ出さないように、押さえつけていたのかも、しれない。
「私も同意見だ。椎菜さんはインカム越しで、一度たりとも森野さんのことを、『芽々さん』とは呼ばなかったからな」
足が地面をこする音がした。ステッキの音は聞こえない。
だけどきっと、砂金は歩き出した。
「さて、そろそろお暇するとしよう。最後にわがままを聞いてもらえて、度し難いほどに私はぜいたく者だ」
「行くんですね」
「ああ。自分の幕くらいは自分で引くさ」
「……止めません」
もう、うるさいくらいに警鐘が鳴っている。
その狭間を縫うように、彼女は笑った。
「ありがとう」
喉を鳴らすような独特な笑い声と、感謝の言葉。
それだけを遺して、砂金は通話を切った。
飄々とした口ぶりも、遠くから聞こえる警報音も、嘘のように掻き消えて。
残ったのは静寂だけだった。
翌日の新聞の一面に、砂金楓花が載っていた。
彼女の自宅には、全ての罪を吐露したボイスレコーダーと、犯行時に使用していたインカム。そして凶器となったステッキが置いてあったという。
警察は改めて、死を見る会のメンバーに事情聴取を行う予定のようだ。
鮎葉はその記事を切り抜いて、ノートに貼り付けた。
あの事件を忘れないように。
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