【九】捜査開始

 遺体を扱う仕事をする以上、死には慣れろとある人は言う。

 死に慣れるなど言語道断だ。いつも死は特別だと思えとある人は言う。

 どちらも正しく、けれどどちらかだけでは正しくない。自分たちは、そんな矛盾を抱えた生き物なのだと、鮎葉は常々思っている。


 とはいえ、それは自分が法医学という極めて特殊な職業に就いているからであって、普通は遺体に、それも自然死ではなく不審死を迎えた遺体に慣れている人間というのは、そうそういないはずだ。


 遺体というのは、非常に独特な雰囲気を醸し出す。

 音もなく静かに、ただそこにあるだけなのに、否応なく目線を引き付けられ、時に触れることすら憚られるほどの存在感がある。人の死についての情報をひどく簡単に得られる昨今、遺体について、人は多くのことを知っているはずなのに、実際に遺体を目にした時に大多数の人間が息を飲み、あるいは叫び声をあげてしまうのは、人の想像をはるかに超えて、死が重いからなのではないだろうか。


 鮎葉自身、死の重みに耐えられるようになるまでに、かなりの時間を要した。最初のうちは胃がひっくり返っては食道を焼き、幾度となく苦酸っぱい経験をした。においが原因かとは思ったが、どうやらそういうわけではなくて、自分が人間と認識している姿かたちをしたものが、冷たかったり、朽ちかけたゴムのような手触りをしていたり、血色が悪かったり、眼球が白く濁ってしまっていることが、受け入れがたいのだという結論に至った。


 人のようで人でなく、だけどどうしようもなく人間である。


 死を見る会のメンバーに自己紹介をした時に、死とはそこにあるものであるなどと鮎葉は嘯いたけれど、実際には「そこにあるものだ」と自分に言い聞かせることで、平静を保っているのかもしれなかった。


 そういう経緯もあったからか、今部屋の中にいる鮎葉以外の七人の人間が、誰一人として悲鳴をあげることなく、大きく取り乱すこともなかったことに、鮎葉は少なからず驚いていた。


 第一発見者の舞花はさすがに驚いているようで、遺書を読み上げた後、壁に寄り掛かって息を整えていた。幼い頃に実親が死に、こうして育て親が殺された彼女の心境を思うと、鮎葉は胸の内が痛んだ。それでもしっかりと森野の遺書を伝えきったのは、ひとえに彼女への恩義を感じてのことなのだろう。


 椎菜はそんな舞花の傍に寄り添って、彼女の頭を静かに撫でていた。椎菜は大きく取り乱す様子はなかった。鮎葉達をこの部屋に集めた時の声音も、毅然としたものだった。しかし、艶やかな髪の隙間から見える人形の様な瞳は憂いを帯び、わずかに赤く、彼女とてこの状況を平気で受け止めているわけではないのだと思わされた。


 生前森野は、両親が亡くなった直後、落ち込んでいた舞花を支えていたのは椎菜だと言っていた。今回も姉としての役割を果たそうと、自分に言い聞かせているのかもしれなかった。

 彼女たち姉妹の次に森野の死に衝撃を受けていたのは、やはり万知だろうか。

 昨晩の森野との会話を顧みるに、彼女と万知の間には、研究仲間以上のつながりがあったように思われる。今回招かれた客人の中では、ただ一人、長い時間を彼女と共有してきた人間だ。何か思う所はあるのだろう。

 森野の遺書が読み上げられた後、「芽々君がそういうのなら、従おう」と呟いた彼の心境を推しはかることは、付き合いの短い鮎葉にはできなかった。


 砂金、絵上、霊山に関しては、衝撃は受けているものの、抱いている感情の色合いは異なっているようだった。

 例えば絵上は、森野の遺書が読み上げられた直後に自分の部屋にスケッチ用品一式を取りに戻っていた。森野の遺言に最も忠実に動いているとも言える。

 砂金と霊山はと言えば、どちらも静かにたたずんで、森野の死体を眺めていた。ステッキに両手をかけ、右足に重心をおいて立つ砂金の姿はなんとも気品にあふれていて、美術館で展示品を眺める貴族さながらだった。

 霊山はかなり及び腰で、きょろきょろと周囲の様子を確認した後に、見やすい位置に移動して森野の遺体を眺めていた。随分と近くに寄っていたので、鮎葉は声をかける。


「すみません、遺体の記録をとりますので、二メートルほど離れてもらってもいいですか?」

「あ、あ……す、すみません! 考え事をしていたら、つい……。こ、このくらい離れてたら大丈夫ですか?」

「ええ、問題ありません。ところで……霊山さんは、遺体を見るの辛くないんですか?」


 鮎葉は霊山のことを、かなり気弱な人物だと認識していた。こういう状況に置かれれば、多少なりとも動揺するのではないかと思っていたのだけれど。


「そ、そうですね、正直かなり驚いてはいるんですけど、そこまで衝撃はないと言いますか……。森野さんのご遺体が綺麗だからかもしれません」


 一理あるかもしれない。例えばこれが目も当てられないような状態であれば、多くの人間が彼女の遺体を注視することはできなかっただろう。不幸中の幸い、といって良いのかもしれない。

 ふと顔をあげると、多古島が一人ずつ声をかけている姿が目に入った。彼女はすでに行動に移っている。自分もできる限りのことはやらなければ。

 もし本当に明日まで警察を呼ばないのであれば、現在の遺体の状態を記録し、報告する必要がある。改めて森野の遺体に向き合い、部屋から持ってきたゴム手袋やピンセット、ノギス、メモ帳などを広げ、遺体の検証に取り掛かった。もしものために持ってきたものが役に立ったわけだけれど、当然、嬉しくはなかった。


 三月上旬ということもあり、一日程度では腐敗もそこまで進まないだろう。しかし念のため部屋のエアコンは切ってもらい、虫が入ってこないよう部屋は閉め切った。

 霊山に伝えたのと同様に、他の六人にも殺害現場と思われるソファとデスク周りから二メートルほど距離を取るようにお願いした。既に日は暮れていたが、森野の部屋を訪れた時に西日が差し込んでいたのを思い出し、カーテンを全て閉めた。遺体発見時、部屋のカーテンは完全に開いていたことも記録した。

 確か自分たちが森野に会った時、彼女はカーテンを半分ほど閉めていたはずだが……。鮎葉はわずかに違和感を覚え、それもメモに書き加えた。


 手持ちのデジタルカメラで現場の写真を数枚撮ったのち、遺体の検死を行う。脈拍、呼吸共に停止しており、間違いなく死んでいることを確認する。

 角膜の混濁、死斑の程度、顎と頚部の硬直具合から、死後二時間以内であると推測できる。とはいえ、鮎葉たちが彼女と別れてから一、二時間程度しか経っていないので、当然の結果とも言えた。森野がいつ死んだのか、これ以上細かく時刻を絞り込むことは、検死の観点からは不可能だ。


「すみません、ここからスケッチしてもいいっすか? 遺体を描ける機会なんて中々ないんで」


 自分の部屋から持ってきたのであろう椅子とスケッチブックを構え、絵上が言った。

 鮎葉が承諾すると、絵上は黙とうの後、早速描き込みを始めた。鉛筆が紙の上を走る音が聞こえる。

 スケッチを始めた絵上に、多古島が声をかけた。


「遺体のスケッチなんて、ジェリコーみたいですね」

「っすね。ジェリコーはメデュース号の筏を描くにあたって、モルグや精神病棟から死体や生首を借りてスケッチを行ったって話しっすけど……まあ、十八世紀だからこそギリギリ黙認された行為ですよね」

「現代だと、そういうのは制限厳しそうですもんね」

「病院側からも、遺族側からも許可が下りないと思いますね。なんで、こういう機会を与えてくださった森野さんには、正直感謝しかないっす。ジェリコーには、ちょっと憧れがあったんで」


 聞き込みは彼女に任せつつ、鮎葉は検死を続けた。

 頚部に深い切り傷があった。顎下から耳元にかけての創傷。長さは約十センチ、幅は最大で二ミリ程度。傷の深さは顎下が最も深く、耳元の方へいくにつれて浅くなっていく。


 傷口の端、創端は鋭く尖っている。刃物の先端で切り付けられたと推測できる。創縁、つまり傷口の周辺は滑らかで、目立った特徴はない。ワークデスクの上に突き刺さっているナイフが、凶器としては有力だ。

 鮎葉は森野の死因を、頸動脈損傷による出血死ではないかと推測した。入り口側のソファから広く、長く伸びた血痕は頸動脈を切りつけた時に噴き出した血の痕だろう。恐らく最初の数秒で脳機能が停止、十数秒で血液を失い、死に至っている。苦痛は少なかったのではないかと思われる。


 他に体に目立った外傷は確認できなかった。血は左肩から二の腕辺りまでを濡らしているが、その他に汚れた部分はない。部屋の中に飛び散った血の量を見ても、死後に頸動脈が切られたとは考えにくい。心臓が動いている時に切り付けなければ、これほどまでに広範囲に噴き出すことはないはずだ。


 残る問題は、薬物を投与されていたかどうかだが……そこまでの判断は、現状で下すことは不可能だ。血液検査をする道具も設備も、ここにはない。

 それにしても穏やかな表情をしている。筋肉が弛緩しているとはいえ、恐怖で目や口を見開いていた場合は、表情に残ることがある。顎を引き、うたた寝をしているような森野の顔は、まるで死を穏やかに迎え入れたようにも見えた。そんなことは、あるはずもないが。


 続いて死亡現場の状態を確認するために、鮎葉はソファに寄った。

 砂金の声が聞こえる。


「それで、万知さん。あなたの考えを聞かせてもらっていいだろうか。森野さんとは浅からぬ仲だったと私は見ている。心中は察するが……もし良ければ、彼女の死を目の前にした、あなたの感想を聞かせて欲しい」


 万知は静かに笑みを浮かべた。


「なかなかストレートに聞いてくるねえ」

「気を悪くされたなら謝ろう」

「いや、構わないよ。芽々君の遺書には『議論して欲しい』とあったからねえ。彼女がそれを望むなら、応えなくちゃいけない。うん、その通りだ。気を遣わせてしまって申し訳ないね」

「……さすがだね。野暮なことを言った」

「はは、よしてくれ。僕はそんな大層な人間じゃない」


 万知はほんの少し相貌を崩して、続けた。


「そうだな……。僕ももう、それなりに長く生きてるからねえ。肉親とか、友達とか、恋人とか、近しい人の死は大体経験してきたけれど……」


 一拍。


「慣れないね。それに揺らぎそうになる。死は悪いものではないというのが、僕の死へのテーマだけど、本当にそれでいいのかどうか、不安になるよ。人の死には、それだけの衝撃がある」

「それでも信念を変えようとは思わないと」

「死というのは、万人が生の最期に迎えるものだからね。それが悪い物だったとしたら、生きているのが億劫になるじゃないか」

「死は悪い物ではない、か。しかし、こうしてあなたは森野さんの死を悼み、悲しんでいるわけだ。果たして彼女の死は良いのものだったのかな?」

「他人に殺されることが良いとは、もちろん思わないさ。でもだからといって、殺された人間が絶対に不幸だったわけではないだろう。人の死の良し悪しは、それまでに歩んできたその人自身の人生に依るものだよ。つまりこの場合――」

「えっ⁉」


 素っ頓狂な声が聞こえて、鮎葉は顔をあげた。声を上げたのは霊山だった。


「も、森野さんって、殺されたんですか……?」


 部屋にいた全員の視線が、万知たちへ向いた。


「わ、私はてっきり、自殺されたんだと思ってたんですけど……」

「いや、それはないんじゃないかな? だって――」


 万知は舞花をちらりと見た。


「芽々君の遺書は彼女が『殺された時』に読み上げるものだろう?」


 確かに舞花が読み上げた時、文面には「私、森野芽々が殺された時は」とあった。つまり、この現場を見た舞花が他殺と判断したわけだが――

 壁際にいた舞花がおずおずと口を開く。


「えっと。あんなにざっくり首を切られてたら、他殺なんじゃないですか……?」

「自分で頚部を切るのは、じ、自殺の手段としてはそんなに特別じゃないのではないかと……」

「そうなのかい? 自分で切るって言ったら、普通は手首だと僕は思うんだが……」

「ふむ。ここは専門家の見解を聞くべきだろう。どうなんだい、鮎葉君」


 砂金に問われ、鮎葉は考える。

 万知の言う通り、自分を切りつける自殺の手段としてはリストカットの方がメジャーだが、実は頚部を傷つける方が致死率は高い。 

 出血死を狙うのであれば頸動脈を傷つけなくてはならないが、手首の場合は近くに腱が走っているため、相当力を籠めなければ刃は頸動脈まで届かない。頚部は比較的柔らかいため、死ぬ確率が高いのは確かだ。

 しかし。


「僕は他殺だと考えています」

「理由を教えてもらえるかな」

「いくつかありますが……例えば森野さんの手に、ほとんど血がついていませんよね」


 自分で頚部を切ったのであれば、当然切り付けたのは森野自身の手ということになる。頸動脈を傷つけた場合、その瞬間に血が噴き出すわけだから、刃物を持った手に相当量の血がかかることになる。しかし、森野の身体に付着していた大部分の血痕は、左肩から二の腕にかけてのみだった。


「つまり、誰かが森野さんの頚部を切りつけた、と考えるのが妥当だということです。それに凶器らしきナイフがデスクの上に刺さっています。仮に自死していれば、そんなことをする余裕はなかったかと」

「じゃ、じゃあ……この八人の中に犯人がいるってことですか?」

「死亡推定時刻は二時間以内。僕と多古島が森野さんを最後に見たのが大体一時間半前です。この間に、外部から誰かが入ってきていれば話は別ですが……」


 椎菜が首を振った。


「この辺りはほとんど人が通りませんので、可能性は低いと思います」

「ということです」


 どうやら霊山は、森野の死が自殺によるものだと思っていたらしい。だからこそ、あんなに冷静に森野の遺体を観察できていたのだろう。彼女の死が他殺だと分かった今、じりじりとした恐怖を感じているようだった。


「……み、みなさん平気なんですか?」

「僕はさっきも言ったように、芽々君の遺言を大切にしたいからね。例え明日、警察の人間に怒鳴られたり、疑われたりしたとしても、今の気持ちは変わらないよ。たぶん、椎菜君と舞花君も同じ気持ちなんじゃないかな」


 万知の言葉に、二人は静かに頷いた。砂金が続く。


「私は森野さんとの面識は今回が初めてだ。そこの三人ほどの思い入れはないが……死者の生前の言葉というのは、大切にするべきだろうと思うね。死後、人間は言葉を発せない。だからこそ生きているうちに、思いを遺すのだから。それに私は、彼女の死生観には少なからず共感している。そういう気持ちも全て含めて、彼女の遺志を大切にしてあげたいな」

「え、絵上さんは?」

「個人的な意見で申し訳ないっすけど……俺はスケッチを続けたいので。警察が来たら、こんなの許してもらえないでしょうし。ぶっちゃけ、俺の人生でこんな機会、もう二度とないと思うので」

「多古島さんは?」

「私たちは、こういうの慣れてますから」


 私たち、ということは自分も含まれているのだろう。鮎葉は黙って肩をすくめた。個人的には霊山の感性に賛成だったが。


「み、みなさんお強いんですね……。私が気弱すぎるんでしょうか……」

「そんなことありませんよ。霊山さんの気持ちもよく分かります。でもほら、全員で固まって動いていればきっと安全ですよ。どう考えたって多勢に無勢ですし、犯人も変な気は起こさないんじゃないかなって思います」


 多古島がそう言って励ますと、霊山はおずおずと頷いた。

 そんな彼女のもとに、舞花がそっと近づいていく。詳しい話は聞こえないが、霊山のことを元気づけているようだった。さっき見た時よりも、随分と立ち直っているようだった。こんな状況でも他人を気遣えるなんて、気丈で優しい子だ。


「先輩、先輩」


 袖を引っ張られ、鮎葉は視線を下げた。多古島が顔を近づけて、そっと耳打ちした。


「どう思います?」

「今はこれでいいと思う。変に皆を刺激したくない」


 顔を逸らせながら答える。

 誰が流れを作ったかは定かではない。

 最初に森野の遺言を尊重した万知かもしれないし、そこに同意した勅使河原姉妹かもしれない。あるいは、そもそも他殺であることに疑問を呈した霊山かもしれないし、遺言を書いた森野自身かもしれない。

 とにかく、大多数が警察を呼ばないことで意見が一致した。不承不承ではあったが、気の弱い霊山さえも頷いた。奇妙な連帯感、あるいは目に見えない同調圧力。


「この場で最も避けるべきなのは、第二の被害者が出ることだ。場所柄、簡単に警察に連絡が取れない以上、何事もなく二十四時間を平和に過ごし切ることが一番――」

「生ぬるいこと言わないでください。犯人を見つけるに決まってるじゃないですか」

「……ああ、そうだな。だけど、どうするんだ? この感じだと、犯人探しをしようって流れにはならなさそうだぞ」

「その辺は任せてください。なんとかしますから」

「……」

「なんですか?」


 ふと。夕方、森野にかけられた言葉が脳裏をよぎって、鮎葉はかぶりを振ってその光景を追い出した。今はそんなことを考えている場合ではない。


「いや、それでいいと思う。いつも通りやろう。僕は現場を調べて、それをお前に伝える。後はお前の閃き次第だ」

「了解です。これ、検死のメモですか? ちょっと見せてください」

「いいけど、まだ現場の方はチェックできてないぞ」

「構いません。ふむふむ、なるほど。頚部を刃物で切り付けられ、頸動脈からの大量出血……。ここは確定っぽいですね。となると気になるのは……。先輩、二つお願いがあります」

「なんだ?」

「ワークデスクに刺さってるナイフと、殺害現場と思われるソファ周り、入念にチェックしておいてください。不自然な点がないかどうか」

「分かった」

「助かります。では先輩、うまくやりましょう。殺人犯と閉じられた館で一晩過ごすなんて、人生で経験したくないシチュエーショントップ5くらいに入る状況ですしね。よかったですね先輩、私に付いて来てて。私がこんな状況にいるってメッセで知ったら、一晩中後悔に苛まれて枕を噛みちぎるところでしょう」

「ここは電波通ってないから、そもそもメッセは送れないと思うけどな」

「むう、細かいなあ」


 とはいえ、彼女の言う通りだった。付いて来てよかったと、心から思う。


「ああ、そうだ。多古島」


 再び事情聴取を始めようと動き出した多古島を呼び止める。


「お前がさっき言ってた『物語の外から殺されたみたい』って言葉。あれ、どういうことだ?」

「そんなこと言いましたっけ?」

「言ってたよ」

「うーん……。すみません、あんまりよく覚えてません」

「じゃあ今覚えるんだ。それで、よく考えてくれ。事件現場を最初に見た時の感想っていうのは、めちゃくちゃ大事なんだ。たぶんうまく言語化できてないか、意識できてないだけで、何かの情報を掴んでるってことだからな。お前のそういう感性は馬鹿にできない」


 鮎葉が言うと、多古島は真剣な表情で、


「分かりました、熟慮します。いつも私のことを嘗め回すみたいな目線で上から下まで見つめてる先輩が言うんですから、間違いありません」

「いい表情でとんでもない嘘を言うんじゃないよ」

「いえいえそれほどでも。では、調査に戻りますね」

「ああ、気を付けて」

「はい。森野さんの事、しっかりと弔ってあげましょう」


 多古島との会話を切り上げて、鮎葉は再度、ソファ周りに足を運んだ。

 これまで何度となく多古島と事件に遭遇してきたが、鮎葉自身が何かを解決したことは一度もなかった。そういうのは致命的に向いていないのだ。

 遺体や現場から得られた情報をもとに事実を並べたり、そこに付随した推測を立てることはできても、真実を組み立てる技量はない。二次元的な思考は得意だが、三次元的には展開できない。

 鮎葉にできるのは、多古島のサポートをすること、ただそれだけだった。

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