【八】死亡

 部屋に戻り、鮎葉は壁に背中を預け、ずるずるとそのまま腰を落とした。

 何を見るでもなく、天井を仰ぐ。

 一体、森野はどこまで分かっていたのだろうか。

 たった二日一緒にいて、そして多古島の話を少し聞いただけで、自分たちの関係性を把握したとでも言うのだろうか。

 それはとても癪に障る気もしたし、だけどどこか救われる気もした。


「怖い……か」


 目を閉じると、瞼の裏で赤いランプが回っていた。

 今よりも少し冬に近くて、よそよそしい空風が吹いていた。

 赤い光の強弱に乗って、雑音のような喧騒が脳を浸す。


 下がってください! ここから離れてください! 何があったんですか? 実は隣のお家に……。やだ、恐いわあ。ここのところ立て続けでしょう? 警察は何をしてるのかしらねえ? お父さん! お母さん! 君、待ちなさい! どいてください! 関係者です! 彼女はこの家の――


 目を開けると、仄暗い部屋がじんわりと視界を満たした。

 身を切るような寒さはなくて、ともすれば微睡んでしまうような温かな空気を優しく感じた。

 もし自分が何かを恐れているとするのならば、それはきっと、あの光景が繰り返される未来に対してだろう。

 だからこそ、そうはならないように、こんな辺鄙な場所にある屋敷にまで足を運んだのだ。まさか、何もかもを見通すような眼をした美しい魔女に出会うとは、思いもしなかったけれど。


「……僕もサイン、もらおうかな」


 多古島が本を渡していたのを思い出して、誰に言うでもなく呟く。

 本は持っていなかったが、ここは森野の家だ。一冊や二冊、自著があってもおかしくない。財布の中の残高を思い出しながら、鮎葉はそんなことを考えて、静かに目を閉じた。

 その願いが果たされることは、なかったけれど。


「皆さま。急なことではありますが、芽々さんのお部屋にお集まりください」


 十八時過ぎ、椎菜の呼びかけに応じて、六人は森野の部屋に足を運んだ。

 中央のデスクを挟むように、舞花と椎菜が立っていた。

 デスクを挟んで向こう側に、森野は座っていた。

 背後の窓から差し込んだ弱った夕日が、彼女を柔らかく包んでいた。

 彼女だったものを、照らしていた。

 首から流れ落ちた血の痕さえなければ、眠っていると言われても信じてしまいそうなほどに、静謐に、美しく、森野芽々は死んでいた。

 笑っているのではないかと錯覚するほどに、とても穏やかな死に顔だった。

 だからだろうか。

 彼女の遺体を目にしても、誰一人叫び声をあげることはなかった。

 絵上が小さく落とした「美しい」という言葉が印象的だった。

 舞花が手にした手紙を読み始める。

 その声はわずかに震えていた。


「館主の森野芽々さんがお亡くなりになりましたので、ここで彼女の遺書を読み上げさせていただきます」


 その傍らで、


「ねえ、先輩」


 鮎葉だけに聞こえるくらいの小さな声で、多古島がそっと囁いた。



「まるで、物語の外から殺されたみたいですね」


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