滅びると思っていたのに

海辺ふかふか

第1話

 早朝5時。

 静かな部屋のどこかで、スマートフォンのアラームが鳴った。男はすぐに飛び起きると、そのけたたましい音を止めた。

 

「ついにこの日が来た。早く準備しなければ」

 

 男はベッドから降りながらつぶやいた。

 パソコンを立ち上げた。同じ机には、無数のばつと一つのにじゅうまるの書き足されたカレンダーがあった。


 ここは宇宙研究所の一室。男は一人でここに住んでいる。あまり張りのある生活ではない。




 この生活が始まったのは、ちょうど一年ほど前、世界が滅ぶことが発表された時だった。


 ある日突然各メディアから、近いうちに巨大隕石が地球に衝突し、世界が終わる、という報道がなされた。


 当時はヤケになって自ら命を絶ったり、犯罪や暴動を起こしたりするものもいたが、今では落ち着いていた。

 

 生きることを諦め、残りの一年を好きに生きようと趣味に没頭する者や、金を湯水の如く浪費する者が大半だった。


 だから結果的に、それなりの平和は保たれていた。





 しかし、どうにかして地球の滅亡を避けようとするものがみられた。





 男は早歩きで廊下を横切り、キッチンへと向かった。手早く朝食を準備し、管制室に冷房を効かせた。彼の見つめるカメラの画面には、巨大な装置があった。


 それは核ミサイルだった。

 隕石に衝突させて軌道を変え衝突を避けようとするための装置だった。チャンス場は一回だけだった。


 彼はそれに固執していた。予測によると、それを撃つべき日は今日なのだ。





 これを見つけたのは、しばらく前に所長から連絡をもらったときのことだった。


「こんにちは。今日はどのような用事で」

 男が挨拶をすると、所長は希望に満ちた表情で答えた。


「やりたいことが見つかってね。ここに住むことにした」


「やりたいこと......とは」

 男は、昔の職場のコンピュータに懐かしみを覚えた。そして、思わず声をあげた。


「ミサイルじゃないですか」


「そうだよ」

ミサイルは二本あった。画面上に、ひっそりと佇んでいた。


「どういうことですか」


「これがやりたいことなんだよ。このミサイルを隕石に打ち込む。うまくいけば、衝突は避けられる」


「そうだったのですね」

 男は感心し、所長に言った。


「ミサイルは予備のために二本もある。もしこれで地球が守られたら、さぞ皆は喜ぶだろうなぁ」


「それで、発射はいつなのですか」


「それについてだ。話がある」

 二人は椅子に座った。そのうち、所長が書類を開いた。そこには精巧な装置の設計図があった。





「よくできているのですね」


 男は感嘆し、A4の紙に目を通しながら答えた。


「そうだ。しかし、私にはこれを撃つことはできないんだよ」


「どうしてですか」


「末期癌だよ。衝突の日が来る前に自分がの余命が来るわけだ。皆の喜ぶ顔を見られないのは残念だよ」


 所長は諦めたように微笑み、またディスプレイに視線を向けた。

 

 男は画面上のミサイルから目を離すことができなくなってしまった。ただ滅びることを待つ暮らしの中のちょうどいいスパイスだった。そのうち、所長が恐る恐る口にした。


「どうだ、君が私の代わりに撃ってくれないか」


 男は首を縦に振った。





 そのまま二人は、説明のために別の部屋の中に入っていった。その間に、彼は手のひらにすっぽり収まるほどの赤いボタンを見つけた。


「ありがとう。発射時間はちょうど一年後の午前11時だ。万が一自動発射の初撃が当たらなかったら、すぐに2発目を撃って対応してくれ」


「了解致しました」


「本当に感謝する。これで皆を救うことができるぞ。私と君はたたえられるのだろう」

 そして、男はとうとうミサイルを撃つことになってしまったのだ。





 それから一ヶ月弱で所長は亡くなった。男が丁寧に扱い続けてきた装置がこれだった。絶対に失敗するわけにはいかない。

 面倒なことではあったが、所長の嬉しそうな顔のことを考えれば、それは大したことではなかった。


「何という素晴らしいことだ。しかもそれがまもなく現実になるのだよ。喜ばずにはいられないものだ」と所長が話していたことを、ふいに男は思い出した。

 

 今まで地球は滅びるものだと思っていたのに、その危機から抜け出すことができるなんて。彼は高潮していた。


 常に画面に視線を保ち、そばに赤いボタンを置いておく。自動発射の分でどうにかなってくれればよいが。彼はディスプレイの前で笑った。




 その微笑みは、突然緊張へと変わった。

 ミサイルが飛び始めたのだ。

 いよいよその時が来るらしい。

 近くから轟音がしたが、今はそれどころではなかった。

 

「よし、これで世界を救えるのだ」

 

 男はつぶやき、その一瞬を待ち構えながら、画面から見える空を見つめた。

 映された隕石は大きくなり、少しの間をおいて激しく爆発した。


「素晴らしい! 地球の危機は消え去ったのだ!」


 彼が研究所内を駆け抜け、ドアを開けようとした時、どこからか声が聞こえてきた。





「滅びると思っていたのに、何をしてくれているんだ!」 

 

 首をかしげながら、男は彼らの話に耳を傾けた。そしてそこに、恐ろしいものを見出した。



「隕石が落ちないとわかっていたら俺は犯罪などしなかった!」


「私が競馬で飛ばしたお金はどうなるのよ!」


「ワシは家を売り払ったんだぞ? これからの生活はどうしてくれるんだ!」


「おもしろくないなぁ、滅亡すればよかったんだよ! これじゃあ誰も喜ばないよ!」


「滅べ! 滅べ! 滅べ!」




 男はしばらくの間、ぼんやりと立っていた。

 この光景を天国の所長が目にしたら、どう思うだろうか。こんな人たちを救って来た自分の行動に、意味はあるのだろうか。


 少し考えてから、男は部屋に戻って赤いボタンを押した。

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滅びると思っていたのに 海辺ふかふか @tunakannokayu

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