気の毒なレストラン

 どうしました? ずいぶんとくらい顔をして? え? 死にたい? それはいけま


せんな。そう、ふられた? それは気の毒なことだ。では、そんなあなたにひとつ、


とびきり気の毒な男の話をお聞かせしましょうか。まあ、のひとり言だと思っ


て聞いてください。



 そのレストランのシェフは悩んでいた。悩んで、悩んで悩みつくし、自殺すら考え


たほどであった。自身の存在価値を、どうしても見いだすことができなかった。


 そのレストランは、華美かびでなく地味でなく、落ち着いた雰囲気が熟年層のみ


ならず若いカップルにも評判で、都会のかくれ家的な要素も手伝い、予約客だけでつ


ねに満席であった。むろん各地の厳選素材のみを使用した見事な料理の味が人気の的


であったことはいうまでもない。


 ところがオーナーシェフが心臓発作で急逝きゅうせいし、レストランはピンチにおちいっ


た。それまでシェフの下でサポートしていたスーシェフ、シェフの息子であった彼が


シェフに昇格したのであるが、同じ材料、同じレシピであるにもかかわらず、同じ味


にならない。それどころか、ハッキリとまずい料理を出す店になってしまったのだ。


 理由は実に簡単なことであった。幼いころ、父親の職場であるレストラン厨房でひ


とり遊びをしていた彼は、大量のハバネロをなぜだか口にしてしまい失神した。死な


なかったことこそが正に奇跡であったのだが、そのせいで、彼のかくは完全に破壊


されていた。味かく障害のシェフ。味見ができないシェフ。当然、客足は遠のき、予


約はパッタリと入らなくなった。


 彼が努力しなかったわけではない。彼は、閉店後の店に居残り、毎日、毎日、それ


こそ血のにじむような思いで料理の勉強にはげんだ。先代シェフ、父の残した店をな


んとしても守りたかったのだ。でていこうとした従業員を引きとめ、給料は借金をし


て払いつづけた。そして新たなシェフを募集したが、すでに評判が地におちた店にき


てくれる者はいなかった。つまりは彼がふんばるしかなかったのだ。彼がやめたくな


ればレストランはおわる。彼はさらにさらに、努力を重ねた。ついでに借金も重ね


つづけた。


 ふたたび、奇跡がおこった。店に昔の活気がもどってきたのだ。予約客がつめか


け、店はつねに満席状態である。


 よくがんばったからな……彼は、時おり、客でにぎわう店内をのぞいては涙した。


非常に満足していたが、ひとつ不明な点があった。客席に呼ばれるということが一度


もなかったのだ。先代シェフ、彼の父親は日に何度も呼ばれては、おいしい料理をあ


りがとう。などと直接、客に礼をいわれていた。先代からの従業員たちに一度、たず


ねてみたが、逆に説教されてしまった。


「はやってるとはいえ、まだまだ先代にはおよばないと心えてください。いいです


か? 呼ばれもしないのにシェフは店内をウロチョロしてはなりません。シェフの戦


場は厨房ちゅうぼうの中なのです」


 先代からつかえてくれているろうかいな支配人を筆頭に、ほぼ全員にそういわれて


は、シェフもいうことを聞かざるおえない。はい、わかりましたとスゴスゴ厨房へと


退散たいさんしていくしかなかった。店は繁盛しているのだ、そう気にする話でもない


のかもしれない。


 レストランに取材の申し込みがあったと聞いた。その店で食事をすると美しくなる


と口コミで評判になっているのだという。美しくなる? 意味不明ではあるが、彼と


しては宣伝にもなるし、喜ばしい話であった。


 ところが、オーナーシェフである彼になんの相談もなく、老支配人が取材を断って


いた。それも一度や二度の話ではないらしい。バイトの皿洗いの青年に聞くまで彼は


まったく知らなかったことである。これにはさすがの彼も腹を立てた。オーナーはボ


クなのに!! さらに彼を激怒させる出来事できごとをバイト君から聞かされた。


レストランは完全予約制になっていたのだ。 しかも紹介者がいない場合は、予約す


ら断っているというのだ。つまりは一見いちげんさんお断りというわけだ。


京都の老舗しにせか、この店は!? 予約など一組もない時期、きてくれたお客様が


どれだけありがたかったことか!? つねに厨房内に押しこまれていたボクの知らな


いところで、そんな好き勝手をされていたなんて!! 彼は憤然ふんぜんとして従業員


控え室にとびこんだ。


「いったい全体どういうことですか!?」


「なんの話でしょう?」


 老支配人はタバコの煙を吐きだしながら笑った。シェフは、怒りを必死でおさえな


がらいった。


「開店、一時間前なんです。タバコはひかええてください」


「ああ、コレですか?」


 老支配人は困ったような顔をして、タバコを灰皿に押しつけた。


「ありえない! タバコのにおいをふりまきながら、お客様に料理の説明をするん


ですか? 先代のころからそうだったんですか? 支配人!!」


 そこへ、若いソムリエがわりこんできた。


「アンタね、臭いだなんてえらそういいえる──」


 若いソムリエを押しとどめる老支配人。


「まあまあ。はい、確かに先代のころならば、まずタバコなど禁じておりました。申


しわけありません、坊っちゃま」


 坊っちゃま。 そうだ、あのとき、大量のハバネロを口にして気を失ったとき、懸


命に吐きださせてくれたのが、この支配人であった。坊っちゃま! 坊っちゃま! 


こときれかけていたボクを必死に呼びもどそうとしてくれた彼の声、今も心に残って


いる。しかし……いわなければならない。聞かなければならない。


──オーナーはボクなのだから。


「取材をすべて断っているそうですね、支配人、あなたが。ボクになんの相談もな


く」


 場の空気が一瞬にして硬直こうちょくする。老支配人は、しかし笑顔を見せた。


「坊ちゃま、いえシェフは、あのような三流低ぞく雑誌の片すみに、お顔をのせたい


のですか?」


「宣伝になるじゃないか」


「裸の娘のページや、芸能ゴシップの間にあって、はたして宣伝効果がえられるでし


ょうか?」


「裸……どんな雑誌なんです?」


「週間○○とか●●などでしたか。我々も買ってみましたが、とんでもなく下品な雑


誌でした」


「調べたんですか?」


「はい、その上でシェフに知らせる必要はないと判断いたしました」


 ぐうの音もでないシェフ。しかし……。


「で、では、予約客しか店に入れないのはどういうわけなんです!?」


「現在、店は予約でいっぱいなんです。申しわけない話ですが、一見いちげんのお客様


の入る余地はございません」


「しかし、紹介者がなければ予約もできないというじゃないか!」


 彼は自分の店の話をしている気がしなかった。自分の店をまるで他人ひとごとの


ように語る自分に、そうしむけけた老支配人に、むしょうに腹が立った。


「オーナーであるボクにひと言の相談もなかったのはなぜだ? 紹介だ、一見だっ


て、それはなんだ! 料理の前ではみな、平等じゃないのか?!」


  心の中でふりあげてしまったこぶし。彼は、おろしどころを見うしない、激昂げきこう


した。


「支配人、違うか!?」


「アンタの料理の前じゃ、人は平等にならないんだよ」


 先ほどのソムリエだった。


「どういうことだ?」


 シェフはソムリエにつめよる。


「きちんとした紹介者から説明を受けたうえ、そうとうの覚悟がなければ、アンタ


の──」


「やめないか!!」


 支配人がソムリエをさえぎった。


「いってやった方がいいんですよ!」


「だからなにをだ!?」


 ソムリエの胸ぐらをつかみかからんとするシェフ。ふたりの間にわって入る老支配


人。そして、ことのしだいを不安そうに見ている他の従業員たち。丸味をおびた老支


配人の手をふり払うと、シェフは全員の顔を見わたした。そして、完全に孤立してい


ることを知った。雇用主と従業員の関係だからではないことは明白だった。


「ちゃんと教えてくださいよ……ボク自身になにか問題があるなら改善する努力をす


るからさ」


 誰もこたえてくれない。そうさ、努力をするからさ、本当のことを……。


「お願いします」


 シェフは心から頭をさげた。 知らなくてはならないのだ。


「…………」


 ソムリエが、他の者らが老支配人を見る。支配人は苦渋にみちた表情を見せたあ


と、内ポケットから一通の封筒を取りだした。


昔日せきじつより常連の渡部様が、新規のお客様に向けてお書きになった当店の推薦状すいせんじょう


です」


 渡部氏とは、先代のころからなにかと世話になっているいわば店の恩人である。実


は苦しい時期の借金も、渡部氏にたのんだものだ。シェフは、ものもいわずに支配人


の手から封筒をうばい取ると、手紙をひろげた。


あたりさわりのないい時候じこう挨拶文あいさつぶん。そしてそのあとの文面がシェフ


をこおりつかせた。


『世にたぐいまれなる料理を召しあがっていただけること、私がうけあいま


す。各地より取りよせた高級食材、油や調味料を使い、これほどマズい料理を作れる


シェフは、他におりません。かおり高きものを台なしにし、濃厚な深みやコクが


売りの材料を見事なまでに無味乾燥な味に仕立てあげるさまは正に芸術的ですらあり


ます。以前、話題にものぼりましたが、完食すれば美しくなるというお話。あるモデ


ル嬢が、こちらの料理を食べたあと、四、五日は食べ物を見たくもないといいだし、


ダイエット効果が得られると定期的に通っているといううわさ、いささか眉つば


めいていますが真実なのです。しかも食材は超一流の品であるため、よぶんな添加物


の心配もなく、栄養素は摂取できるという正にすぐれ物というわけです。覚悟は必要


となります。覚悟なしでこちらの料理にのぞめば、たちまちトイレへ直行することと


なるでしょう。しかしながら、完食のあかつきには貴女あなた様がまたひとつ美しく


なれますこと──』


 文章はまだつづいていたが、シェフは読むことができなかった。幼いころのよう


に、気をうしないかけていた。


「渡部様は、先代のころより本当にこの店がお好きで……借金を重ねる坊っちゃまを


なんとか救おうと……」


 老支配人の言葉もシェフの耳には入ってこなかった。


みんなやさしいんだね。最低な料理をだすダイエットレストラン。そんな風に雑誌に


書かれないようにボクを守ってくれたんだね。そうか……タバコの臭い、関係ないん


だね。食材のかおりを台なしにしている料理をだすんだから。あはは…なんの覚悟


もない一見いちげんの客がボクの料理を食べたら、たちまち怒りだすか、嘔吐おうとするんだろう


ね。 あはは、あはは、あはは。 あははははははは。



 そのレストランのシェフは悩んでいた。悩んで、悩んで悩みつくし、自殺すら考え


たほどであった。自身の存在価値を、どうしても見いだすことができなかった。



 シェフは努力をしなくなった。どうせマズいのだから、適当だろうがなんだろう


が、大して変わらないだろ?  もういい。どうでもいい……それが口癖になってい


た。


 こうして芸術的とまでうたわれた彼どくとくの料理のマズさは失われてしまった。


セールスポイントをうしない客足も遠のき、彼自身のやる気のなさに嫌気がさした従


業員たちもひとり、またひとりと去っていった。


 最後に残った老支配人が去ると、シェフはひとりきりになってしまった。もう奇跡


はおこらなかった。


 一組の老夫婦が店に入ってきた。若いころ、この店でプロポーズされたのよ、老婦


人が微笑ほほえむと、老紳士も照れたように笑う。なぜこの店が閑散かんさんとしているの


か、これまでの騒動などこの夫婦には知るよしもなかった。大切な思い出のレストラ


ンに足を運んできた、ただそれだけのことであった。シェフはそのすてきな思い出を


ぶちこわしにしてしまうことを恐れた。なによりも、父の店の思い出をけがすこと


を恐れた。


 そして店は事実上、閉店しており、自分以外の店員もいないので、なんのもてなし


もできないと告げた。老夫婦は悲しげな表情をうかべ、ここで食事がしたいのだとく


いさがった。シェフはこんまけした。というより、相手をするのが面倒めんどうだった。


 彼はオーダーを受けると厨房に入り、ため息をつく。……もういい、どうでもい


い。 最近おぼえた超手ぬき料理をチャッチャと作る。これは、それほどうまくもな


いが食べられないほどの料理でもないらしい。出来あいの人工調味料を使うのだから


間違いない。


 コース料理を一度にだすという暴挙のあと、ふたたび厨房にもどったシェフは、死


のう、そう口にだしていた。あの料理を口にした老夫婦は今ごろ、顔をしかめている


に違いない。怒りだしているかもしれない……。


 死のう、彼はそう決めた。そして棚を見あげる。実は、いつでも死ねるようにネッ


トで購入した即効性の粉末を用意していたのだ。毒物は他の従業員に見つからないよ


う調味料の小瓶こびんに入れて、他の物にまぎれてさせて保管してあった。


 ──ない!! 調理台に目をうつす。先ほどの料理に使った人工調味料の小瓶が


何本か、乱雑に置かれていた。


 ああ!!  まずい!! シェフは立ちあがり、厨房のドアを押しあけ、老夫婦が


食事をしている店内へ!! いきかけたが、足をとめた。


 ああ……どうでもいい……もう……なんでもいい……。




 気の毒なレストラン。シェフの物語は、これでおしまい。それからどうなったのか


って? これ以上は、それこそ気の毒で語ることはできませんや。どうです? 彼に


くらべたらあなたの苦しみなんて、吹けばとぶようなものではありませんか? 女性


にふられたくらいで絶望なんかしてはなりません。そりゃ生きていたっていいことな


んか、ひとつもありませんよ。でもね、生きないと。──のように。





(終)


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