スーサイド・ビジネス(Suicide business)

「──今まで生きていてくれてありがとう」


 彼は笑顔でそういった。


「楽ではなかっただろ?  苦しかっただろ?」 


 少しだけ眉をひそめてやさしくたずねてくれた。


じっさい、ろくでもない人生だった。たったの三十年。それだけの人生だったけれ


ど、私にはじゅうぶん長かった。


 楽になれるの? 私が聞くと彼はゆったりゆったりとうなずき、片方の目をつむっ


て見せた。


「じきにね。貴女あなたがそれを望 むのであれば」


 もちろん、私はそれを望んでいる。


「誰にも知られず、誰からも悲しまれずにくのはとてもさみしいことだね。


けれど貴女あなたは大丈夫。このボクの胸にいやでもきざまれてしまうからね、


かなしみの記憶となってね」


 私がくのがかなしいの? それは嘘よ。嘘っぱちだわ。


「どうしてそう思うの?」


 だって、今日、初めて会ったばかりだもの。他人じゃない? 他人が消えたって人


は哀しみはしないわ。


「そうかな? 」


 そうよ! 毎日、毎日、どれだけの人が死んでる? 病気や事故や殺人、それ


に……自殺。ニュースで見るだけだって大変な数だわ。それをあなたは、いちいち哀


しむの? ほら、なにもいえない、やっぱり嘘よ!


彼はイスの上のお尻の位置を変える、顔色ひとつ変えずに。それが妙に憎たらしい。


「よくいわれるよね? としをとると涙もろくなる、涙腺るいせんがゆるくなるとかって」


 それがなによ? ごまかさないで。


「涙腺はね、ゆるくなるもんじゃないよね?」


 知らないわよ。


「若いころに見て、ばかばかしいって感じてた映画を、あるていどの年齢を重ねてか


ら見ると泣けちゃったりしてね。貴女あなたはどうしてだと思う?」


知りません!


「ながく生きるとね、その分、より多くの人に出あうよね? 出あって別れて出あっ


て別れて。その繰り返しが人生といってもいいくらいだよ」


 それがなんなの? わかってる、それくらい。


「生きてきた分、出あった人の数だけ、心に、体に、記憶がきざまれるんだねぇ。


だから、涙もろくなるんだな。より多くの人たちに共感できるようになるからね。簡


単にいうと視野が広がり、思慮しりょが深くなるってことかな」


 なにをいいたいんだかサッパリわからない! 私の視野がせまくて、思慮がたりな


いって、そういいたいわけ!? すると彼はいやいや、と手をふった。


「ボクのような商売をしているとね、わかるようになってしまうということを説明し


たつもりなんだけどね。いや、わかるというのはいいすぎだった。感じられる、か


な?」


 なにがよ? なにをよ?


「今日、初めて出あった貴女あならの心をだよ」


 私はガダン!と音をたててイスから立ち上がった。あなたに私のなにがわかるって


いうの? わからないわよ。わかるはずがない!


 すると彼も立ち上がり、私の倒した木製のイスを起こした。


「そう、ただ、感じることしかできないね」


 感じられるっていうの? 私のいら立ちも?  憔悴しょうすいも? あきらめも?


絶望も!? 感じられるもんか!! わかるもんか!!


 ポンポン。 彼はイスのクッションを軽くたたき、「まあすわりなさい」とそうい


った。


 私は灰皿を引きよせ、タバコに火をつけた。薄ぐらい事務所の人工的なあか


の中、もやのように立ちこめる煙のゆくえをのんびりと目で追う彼。


 もういいでしょ? 私がいう。もう片をつけてください。


彼はなにもいわず、タバコの紫煙しえんから目をはなす。


 片をつけてください。私は繰り返した。早く死なせてよ!!


「冷静にことをはこぶ、それが条件でしたよ。興奮状態がつづくようでしたら出なお


していただくことになりますが? 次の方を待たせていますし」


 なによ? なによ、それ! こっちは大金はらってるのよ!! だまって仕事だけ


しなさいよ!!


「お客さん、ボクのところへくる方の何割かは、借金で首がまわらなくなった方なん


ですよ。そんな人が大金をはらえますか? それでもボクは仕事を受ける場合もあり


ますよ。お金は大切です、貴女あなたのお金にしても、命ギリギリでかせいだものかも


しれませんね? 体をはって。貴女あなたは美しいから、自分を売ることでお金を得る


ことができたのでしょう。しかしそれすらできない女性も、実直すぎてなにも残せか


った男性も、ボクはおおぜい見てきました。金額はたいした問題ではないのです」


 ……じゃあ、どうしろっていうの!? 好きこのんでこんな顔や体に生まれたんじ


ゃない! ただ顔がいいってだけで、男どもにいいように売り買いされてきた! こ


んな女が、盛りをすぎた女が、どうしろっていうの!? どうすれば死なせてくれる


の? 思わず、涙があふれ出た。もう何年も泣いたことなんてなかったのに!!


 ……彼は、そっと、私のまぶたに指をあて、涙をすくい上げた。


貴女あなたを死なせることは簡単です。人の命は簡単にてます」


 なら、さっさとしてよ! 私はしゃくりあげていた。


「ただ、ボクの身にも少しはなっていただけません?」


 彼はキュッと唇の片側をもち上げた。


貴女あなたは心から笑ったことがありませんか? 三十年の人生の中で」


  はぁ?


「心から嬉しいなぁ、楽しいなぁと感じたことはありませんか? ひとつもなかった


というのなら、うん、ごめんなさい」


 ないわよ!!


「そう、本当に?」


 本当よ!!  そうよ………そう……本当よ……本当……。


どうしよう……とまらない、涙、とまらないよ……なんで! なんでよ! なんで


よ!!


「ボクの身にもなってください」


 また彼がいう。 こいつはなにをいってるの!?


「心から笑ったり、嬉しいと感じたこと、あるんですよね?」


 ムカつく! 心から笑ったことのない人間なんているわけないでしょ!? そんな


やつがいるはずないでしょ!!


「……そうですよね。いませんよね。たぶん」


 そうよ!!


「だからいうんです。そんな貴女あなたの笑顔や、喜びの記憶、心を、私は、一瞬で


断ちきってしまう。貴女あなたの思いのすべてを受けもたされてしまうのです。重いん


ですよ。仕事とはいえね」


 そんなの、そんなの自分で選んだ職業なんでしょ? 仕事なんでしょ? 責任もち


なさいよ!! 


「はい」と返事をした彼は頭をかいた。「すいません。何度やっても、なれなくて」


 しっかりしてよ!


「はい……自分で選んだ道ですもんね。流されて流されて、こんな商売をはじめたの


だとしても……自分で決めた職業ですもんね──わかりました! ごめんなさい、


すいません、がんばってみます」


 そうよ! ──私も? 私も……自分で選んだ? 自分で決めた? こんな人生


を。いつからなの? いつからくるってしまったの?


「がんばって、貴女あなたを、笑顔の記憶ごと、消してしまいます。悩んだり、怒った


り、元気になったり、落ち込んだり……貴女あなたの夢みたいな人生を、ボクが終わら


せてみせましょう」


 どこから出したのか、彼はピストルをかまえ、無言で私のひたいに押しあてた。


「…………」


 彼の指がひき金にかかった。私は目をギュッと閉じてしまう。お母さん……お父さ


ん……。


「さようなら。今まで生きていてくれて、ありがとう」


 そういった彼の指に力がこもるのを感じた。──いやぁ!!  私は叫び、身をよ


じり、彼の手から必死でのがれた!! 死にたくない! 死にたくない! 死に


たくない!!


 彼はおだやかに笑いながらいった。


「死にたくないですか? 」


 私は……。


「このピストルをデスクにしまってしまいますよ。一度しまったらボクの仕事は終わ


りです。このまま終わってもお金はお返しできませんが、よろしいでしょうか?」


  私は……うなずいていた。


「こちらも商売ですから、ご了承りょうしょうください」


 彼はそういって、ピストルをデスクの引きだしに入れ、鍵をかけた。私はしば


し、イスから立ち上がることができなかった。そして彼は腕時計を見た。


「じゃ、そういうことで。次がつまっていますから」


 そう……。私は力をふりしぼって、木製のイスから腰を上げた。次の人、待たせた


ら、申しわけないもんね。彼はだまってうなずく。私は、彼に背をむけて一歩、足を


ふみ出してみる。コイツのせいで無一文むいちもんになってしまった。だけど……。


 私は一度だけ、ふりむいてみる。ねぇ、もう一度、会えるかしら? 彼は申しわけ


なさそうに顔をしかめた。


「こんな裏稼業うらかぎょうにもおきてやルールがあるんです。同じ人物の依頼は二度とうけおっ


てはならないってルールが。貴女あなた、今日からこの業界のブラックリストにのりま


すから、生きるしかありませんね。──残念ながら」


 ……クソ野郎! ペテン師! 私がどなると彼は、ははは、と苦笑にがわらいした。


「ひとつだけいわせてください」


なによ? いかさま師! 


貴女あなたは、とてもめぐまれている方です。心から笑った記憶のない方々も、


ボクはこれまでたくさん見てきましたし、これからだって見つづけることでしょう」


 だからなによ! 自分で選んだ道なんでしょ!?


「……ははは、その通りです」


「ありがとう!」私は彼にいいはなち、薄ぐらいオフィスからとび出した!!



【自他殺屋(じ-た-さつ-や)】


 21世紀後半までにまん延しつづけた不況と人心の荒廃こうはいにつけこんだ闇社会


の商売。生きることに絶望しつつも、みずから命を断つ勇気をもてない人々を食い物


にするという、歴史上もっとも卑劣ひれつな稼業といわれている。しかしながら、


自他殺屋じたさつやとの接触を望む人々は、必ずしも死を切望しているわけではなく、他の


選択肢を見つけられずにいるだけであるという側面もあり、自他殺屋と向きあうこと


で初めて真実の死というものと相対する場合もある。くわえて自他殺屋がわも、


遺体処理などの面倒な作業をはぶくために、自殺願望者の意思を生存へと誘導する


事例もあるようだ。このことが自殺願望者の抑止よくしにもなるという論説をとなえ


る識者も存在するが、これはまったくの風説ふうせつにすぎない。


                       『ウェブ百科事典 』より引用。


                                   (終)

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