夢みる機械
負け組……なんだろうか? 一生うかび上がることはないのだろうか? そんな風
にしか考えられなくなり始めていた。あなたの好きなようにやっていいから、そうい
ってくれる私には過ぎた妻、
小学校にあがる娘、
優しさがわずらわしく、手を上げてしまったこともあった。そのたびごとにせり上が
ってくる焦燥感、自分への絶望感にさいなまれた悪夢のような日々……。明日の米に
は困らないだろう、しかし、三ヵ月後はわからない綱渡りのようなな日々……。
ああ……なんてことだ! なんて日だ! 今日はなんというう日なんだ!!
私は、額からこめかみに、のどの奥から口元に、ほおめがけて押しよせる歓喜の感情
を抑制できず、今にも吹きだしそうになるのを必死でこらえた。
やった! やった! やった!──いや、まだだ、まだだ美晴と、そして結芽を抱
いて、抱いて、三人で笑うんだ! 美晴は飛びあがって喜んでくれるだろう! もし
かしたら涙するかもしれない。そう思っただけで、ハンドルを握る私の目の前にまで
──な、な、な!?
どどん!
街灯もまばらな暗い夜道に、白い影のようなモノが見えた気がした、そのせつな、
私が運転していた 中古のスカイラインのボディに鈍い音が響き、フロントガラス
に、鮮やかな
こう見えても私は、
た科学者兼、技術者だ。大学在学中に美晴と出会い、卒業を待たずして結芽が産まれ
た。わずかな奨学金と研究室でのアルバイトの毎日、親子三人、生活はひっ迫してい
たが美晴は私の思いを見ぬいていた。他人の手伝いではなく、私の理論に元づく私の
研究をしたい。研究と言うより発明? 発明と言うより製品開発? 美晴は怒った
ような顔をしていってくれた。
「あたしと結芽がじゃまだっていうなら、いつでも出てくわよ。あたし達と一緒にい
たいなら、あなたの研究、開発をやりなさい」
私は、彼女を抱しめて泣いた。翌日、私は研究室に辞表を出し、美晴は金策に走
り、職を求め街にくりだした。奨学金はうち切られ、プログラマーとしての美晴の才
覚を認めてくれた某ゲームメーカーでの給金だけを頼りに私達の船出は始まった。美
晴を雇った社長には美しい彼女に対して別の野心もあったようであることは彼女の態
度から察しがついた。が、私はあえて触れなかった。この製品を完成させさえすれ
ば、ヤツなんぞ思いもよらない名誉と金が私達をつつみ込むはずだ! ガキ相手の
中堅ゲームメーカーの社長なんぞ想像もつかない大金とともに。
──今夜、某大手玩具メーカーより呼びだされ、理論の説明と試作品の提出を求め
られた。ひと通りの説明が終わると大きな拍手が巻きおこり、握手ぜめにあった。
「大ヒット間違いない!」そういってもらえた。……玩具メーカーというのがいくぶ
ん気にはなったが、開発資金と施設の提供を申し出てくれた。 私の理論は完璧であ
る、成功を確信していた。足がかりさえつかめればという条件つきであったのだが。
そして今夜、私はつかんだ! これですべてうまくいく、今夜から、すべてが!!
あわてて車から降りた私が目にしたのは路上に転がる無数の真っ赤な
そして、白っぽい上着を はおった老人の姿だった。老人は白い上着と顔面を血で汚
し、ヒクヒクと
彼の真っ赤な血が冗談で置かれた林檎の皮だったなら……。ヨロヨロと近づきながら
私は思った。
「お爺さん! 大丈夫ですか!? お爺さん!!」
しゃがみ込んで声をかけた私に老人は反応し、口を開く。
「う、う……」
「え? なに?」
きゃあー!! 叫び声がする。どうやら急ブレーキの音を聞きつけた野次馬が集ま
ってきたようだ。老人は血まみれの手で私の袖口をつかむと消え入りそうな声で
「う、うら……ん……」そういって息たえた。ほとんど聞きとれなかったが、うら
む……怨むぞ、そういいたかったのだろう。
パトカー? 救急車? サイレンの音が聞こえてきた。冗談じゃない! 怨みたい
のは私の方だ! やっと、やっとの思いでつかんだチャンスだったのに!
野次馬がふえてきた。私は車に乗りこむと、ギアを入れ、発進した。あとで思えば馬
鹿なことをしたものだが、このときの感情は言葉では説明できない。とにかく腹が立
っていた。正直、酒も入っていた。メーカーとの契約のあと、接待を受けたのだ。断
れるわけがない。美晴……結芽……私は、私は……。
今度こそ涙でなにも見えなくなった私は、ワゴン車に給油中のガソリンスタンド目
がけて疾走していた。そしてドォン!という爆発音とともに私は炎に包まれた。
運命の悪戯か、神の気まぐれか、私は生きていた。生きて自力で車からはい出るこ
とができた。 ただし、私の顔はふた目と見られないほどに醜く焼かれ、片目の視力
と片耳の聴力を奪われていた。延焼が広がり、スタンドは火柱を上げている。
私は逃げた。美晴からも、結芽からも。すべてから逃げるべくかけ出した!
交番に貼られた私自身の顔写真を尻目に、私は逃亡を続けていた。少し落ち着きを
取りもどしたころ、私は美晴に判を押した離婚届を送っておいた。これで結芽を犯罪
者の娘にしないですむし、美晴は、美しい美晴は例の社長とでもつき合ってくれれ
ば、なに不自由ない暮らしができるはずだ。勝手ないい分ではあるが……。
あれから二十年の時が流れた。私は立派なホームレスとして生きながらえていた。
不思議なもので、人は生きている限り夢をもつ宿命にある生き物なのだろうか?
私の中に一つの思いがめばえた。美晴、そして結芽にひと目だけでも……。
そして思いは人をつき動かす。私は日雇いの労働で賃金を得ると身なりを整え、
美晴の実家をたずねた。
「昔、娘さん、美晴さんにお世話になった者です。久しぶりにこちらの方へきたもの
で、お会いできればと……」自信はあった。焼けただれた顔、変わりはてた私を、か
つて美晴の亭主であった男だと、判別がつくはずがない。そう、美晴でさえも……。
視力もだいぶ弱まっていたらしい老夫婦は醜い私をこころよく迎え、奥の間に案内
してくれた。仏壇。位牌。そして、あのころのままの美しい美晴、あのころのままの
愛らしい結芽の写真が飾ってあった。
「あんたさんがどういったご縁の方かは存じませんが拝んでやってください。馬鹿な
娘でして……亭主の無実を信じつづけていた矢先に届いた離婚届を見て、錯乱しまし
てな……孫を道づれに……列車に飛び込んでしまいました……」
私は目の前がくらくなり……気絶した。
飲むこと、食べることにも興味を失った私は、ただただ地下鉄の通路にうずくま
り、死を待っていた。そんな私に愛想をつかし、仲間のホームレスも離れていった。
飢えと渇きで瀕死の私に、ある初老の男が声をかけてきた。弁護士だという。
「やっと見つけました! 長い戦いだった!」男は嬉しそうに笑った。「あなたが車
ではねた老人……ふふ……私もすっかり老人となりましたが、彼の遺言を伝えます」
私がはねた老人? 私の人生をくるわせたあの老人? 遺言?
「裏の山に隠したすべての財産を、私を死なせてくれた、あなたに贈ります。以上で
す」
意味がわからなかった。財産? だいたい、あの老人は私を
引き取ったはず……怨む……うら……うら? 裏の山!? えぇー!!
「老人は以前より死にたがっていました。俺を殺してくれたヤツに財産をゆずると申
しておりました。おめでとうございます。約八十億円があなたのモノになります」
え、えー!! 美晴……結芽……私は! 私は!!
私は、ハッとした。目には涙があふれていた。辺りを見まわす。私が目にしたのは
路上に転がる無数の真っ赤な林檎、そして、白っぽい上着をはおった老人の姿だっ
た。老人は白い上着と顔面を血で汚し、ヒクヒクと痙攣しながら不自然に体を折り曲
げ路上に横たわっていた。
──そうか! 私は私の試作品、予知夢マシンのスイッチを切った。
どうだ、この性能! コイツは売れる、売れるぞ! その上、八十億円! ああ、な
んて日だ! なんという日だ! 老人は死にたがっていた。わざと飛びこんできた
に違いない!
「お爺さん! 大丈夫ですか!? お爺さん!!」
しゃがみ込んで声をかけた私に老人は反応し、口を開く。
「う、う……」
「え? なに?」
そうだ、いえ!
「う、うら……ん……」
キター!! 裏の山の財産!
「う、怨むぞ……」
──え?
老人は、林檎の皮をむくために用意していたのかもしれない果物ナイフを私の心臓
に突きたてた。薄れゆく意識の中で 、予知夢マシンの実用化はないな……と、そう
思った。
(終)
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