第2話 厭われ、忌まれて、幽閉の身
マリシュカが首肯してから答える。
「はい。お師匠さまから承った届け物を渡しにカロペシュトの街に行こうとしてました。そこにオルバーンさんっていう魔法つかいがいるんです。お師匠さまのお友達です」
「あ、知ってます! カロペシュトで津波があったとき、海を凍らせて、港も街も住民も守った、我が国の三大魔法つかいの一人ですよね!」
「そうです。その凍らせた波を魔剣で粉砕したのが、お師匠さまなんですけど」
「そりゃあ、〝偉大なる魔女〟は三大魔法つかいの頂点に
「はい!」
とびきりの笑みで喜ぶマリシュカには、疑うべきところなど無いように見える。現にペーテルは完全に打ち解けている。学問では抜きんでた頭脳を誇るが、彼は、ちょっと頭が弱い。人の気持ちに敏感なくせに騙されやすい。だからこそ、この忌まれた王子の従僕になどなっているのだ。
「……届け物とは、なんだ」
会話を弾ませている二人とは雲泥の差のトーンで彼が問う。マリシュカは微塵も迷いを見せずに、ごそごそとマントのポケットを探った。
「これです」
深紅の天鵞絨を開くと、乳白濁した淡い緑の石があった。雫のような形。
「
少女の手の上で、宝石は柔らかな光沢を放つ。
それを見ていると、異変が起きた。
彼の額から透明度の高い青い光が放たれて、宝石を覆ったのだ。
「えっ?」
3人が異口同音に驚く。
瞬間、宝石が天鵞絨から消えた。
「はうあっ⁉︎」
マリシュカが悲鳴を上げる。
「あっ!」
ペーテルが叫びつつ、彼の額を指差した。
「え……?」
額に宝石が貼り付いていた。
「えっ、えっ、どうしよう、えっ、お師匠さま……」
ペーテルも茫然とし、口を開けたままだ。
彼は眉間にしわを寄せた。
困りきって脅えてすらいる彼女が、これを狙っていたとは思えない。そもそも、光は彼の額から発されていた。寧ろ、彼女は宝石を奪われた被害者とも言える。
「あああああ、これオルバーンさんからの依頼品……わぁぁ叱られる……お仕置き……おやつ抜き……」
ぶつぶつ嘆き始めたマリシュカの切羽詰まった姿を見て、ペーテルが彼の背を後ろから
「僕が悪かった。偉大なる魔女には手紙を書こう。戻って事情を話してくれ。それと、この解決策を依頼したいが、頼めるか?」
ペーテルが驚愕で固まった。
「はい……じゃあ、お手紙は必要ないので、すぐにここを出てもいいですか……」
「急ぐのは分かるが、そういうわけにはいかない。三分だけ待て」
告げるが早いか、さっさと彼は机の前に戻った。この部屋には便箋などない。だが、筆記用具ならば揃っている。封蝋もないが、仕方がない。彼は自分の純白の髪を一本抜き、魔力をこめた。ふわり、と髪が浮いて折りたたんだ手紙に巻きつき、結びつく。
「それから、これを、お渡ししてくれ」
彼が差し出した小さな巾着を見て、従僕が息を呑む。しかし、構わずマリシュカに握らせる。
「お詫びになるかは分からないが、偉大なる魔女がご友人に渡そうとするほどの本翡翠に釣り合う価値がありそうなものは、これしかないんだ」
彼女は巾着を見つめ、それから視線を彼に上げた。
「これ、魔法の結晶ね。誰かの命が入ってる。手離していいの?」
彼は微笑んだ。
「もっと価値のあるものを差し出せるようになったら、これは返してほしいと伝えて」
その言葉は、マリシュカが初めて聞いた、彼の心からの言葉だった。偽らざる、剥き出しの心。
「いいわ。じゃあ、行ってくる。そうだ! お茶を飲まなくて、ごめんなさいって、さっきのご婦人に」
「言っておくよ」
「ありがと」
扉を出て振り返った彼女は笑顔のまま、消えた。
請願も詠唱もなく発動した魔法。
魔法陣でも持っていたのだろうかと考えながらペーテルのほうを見ると、なんだか情けない表情になっている。首を傾げた。
「……いえ、殿下がこれほどお言葉を下賜されるのは初めてで」
ため息をつくと、慌てた声が返ってきた。
「いえ! 喜んでいるんです! 殿下の笑顔なんて初めて見ました! 嬉しいです精進します大丈夫です!」
何がだ、と聞きたい気持ちを抑えて、彼は半目で興奮している従僕を一瞥し、それから窓のほうに歩いて行った。
マリシュカが直した窓のガラスは新品のように透明だ。遠い空と城壁と、森が見える。この窓からは城下の街も城の兵も見えない。人間の営みが分かるものは、なにも。
孤独を嫌というほど感じるから、もうずっと、窓の外なんて見なかった。
でも、今は何だか眺めていたい気分だった。
侍女のキンガ、従僕のペーテル。
2人の人間しか見たことがない。
自分は公には死んだことになっている、王の息子だと教えられた。
だから、この部屋から出てはならないのだと。
出ようとしても、出られない。
王宮魔術師が ある限りの魔力をこめて張った結界があるせいだ。マリシュカが見抜いたように魔力が室外まで出ないようになっているだけでなく、その結界は、彼にだけ有効な鍵ともなっている。破ることは出来ない。王宮魔術師よりも強い魔力を持った人間に、あるものを彼が授けてもらわない限り。
しかし、それは難しい。
まず、王宮魔術師は城内で唯一の魔法つかいだ。
そもそも魔法が使える人間自体が少ない上、変わり者が多く、王宮内に勤められるような資質を持つ者が貴重なのである。
魔力そのものは誰もが持っている。
しかし、それを活用できる人間は少ない。
そして、魔法と魔術は違う。
魔法は天性のもので、磨けるものではない。
成長させられるのは魔術のほうだ。
王宮魔術師の魔法の行使力は それほど高くない。それを自らも弁えているのだろう。本人が名乗るのは〝魔術師〟で、〝魔法つかい〟ではない。
だが、王宮魔術師曰く、彼は天性の〝魔法つかい〟であるらしかった。
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