尖塔の魔術師は、死を招ぶと忌まれた王子殿下

汐凪 霖 (しおなぎ ながめ)

第1話 塔の上の闖入者

 その凄い衝撃と破壊音にペーテルが悲鳴を上げたのを聞きつつも、彼は身を守ろうとする動作を何もせず、机に向かったままだった。


 ──ドサッ!

 がらん、パリパリパリッ。ばさばさ。


 振り向くと、この部屋で唯一の大窓が見事に割れ、四角い穴となっていた。床には硝子の破片だけではなく、かまちだの中桟なかざんだのも完全に窓から吹っ飛ばされていて、バキバキに折れて散らばっている。


 無残な有様に、2人とも、暫く唖然とするしかない。


 老齢で耳の遠い侍女のキンガだけが、いつもと変わらず定位置の椅子に腰掛け、編み棒を繰って何かをこしらえていた。これは、なにも気づいていそうにない。


「……殿下、お怪我、ないですか」

 ようやっと声が出せるようになったらしいペーテルの問いかけに、無言のまま彼は右手を上げた。すると、周囲一帯に透明度の高い淡いブルーの光が壁のように発現し、弾けるようにして消えた。

「ああ……結界を張っておられましたか。それで、破片とか飛んで来てないんですね」


「うう〜ん……」


 初めて聞く、その声に、ペーテルが再び全身を硬直させた。


 窓からはペーテルの身長ぶんほど距離があるものの、寝台の上にも窓の残骸が散らばっている。

 その中心に、何か、布で包まれた塊があり。

 うごめいていた。

「えっ⁉︎ なに⁉︎ なにあれ、うわ動いたっ‼︎」

 ペーテルが叫ぶ。

 なんでもいいがしがみつかないでほしい、と、彼は吐息に自分の気持ちを織り交ぜた。それだけで体温が下がってしまい、慌てて意識を他に逸らす。


「ああ〜、やっちゃったぁ……」


 ばさっと布が広がって、オレンジブロンドの長い束ね髪が舞った。

 寝具の色と同色の赤茶色をしたマントから埃や破片を払いながら立ち上がる。

 ふと、ペーテルは隣に立つ主人の平素つねに穏やかな雰囲気が急激に変化していくのを感じた。対する人間の感情に聡いペーテルでなければ気づかなかったかもしれないが。


われときに命ず。あやまちにて散りたるは本来の道筋にあらず。人の手にて望まれた姿に戻せ」


 黄色味の強い緑の光。

 寝台の上に凜然と立つ人物が両手を広げた。そこから広がった光が、破片を浮かせて集めていく。


「魔法?」


 光の中で元の形を取り戻していき、やがて穴になってしまっていた窓のほうに飛んでいった、それらは、光が収束したときには、もう何事もなかったかのように直されていた。割れていたことを忘れそうなほど完全に。


「すごーい! 成功♪ ありがとう、イドゥ」


 ご機嫌な様子の魔法つかいは寝台の上で跳ね、それから漸く凝視されていることに気がついた。


「はわっ! ご、御免なさい! うっかり、窓、突き破っちゃって!」


 おかしな謝罪だ。しかし、魔法つかいは深々と頭を下げて、お辞儀した。寝台の上だが。長い束ね髪が馬の尻尾のように垂れる。


「ほかに私が壊しちゃったもの、ありますか? 直します!」

 上げた顔が、あまりにも邪気のない可憐な少女のものだったので、ペーテルはさらに唖然とする。きらきらと輝く橄欖石色ペリドットグリーンの瞳。上気した頬は、艶々と健康そうだ。

「まず、ベッドから降りろ」

 ひんやりとした声が横からして、ペーテルは我にかえる。

 ──喋った? この方が。こんなに長く?

「はわわっ! 御免なさい‼︎」

 少女が、ぴょんと飛び降りて床に着地した。うさぎのようだ。

「汚しちゃったかな? きよめますね!」

 元気に魔法を練る。


「我、くうに命ず。いだきし水、纏いし光、寄り添いし風とともに、この部屋の主人あるじの安息の場を浄めよ」


 先ほどと同じ色の光が寝台を覆う。暫く光は点滅しながら寝台全体を覆っていたが、やがて浄め終わったのか、ぱちんと弾けて消えた。


「できました! ありがとう、レヴェゴゥ」


 これほど朗らかな笑顔を向けられると、咎戒きゅうかいに問いづらい。

 おまけに、先ほどから魔法を行使し終わる度に彼女が礼を述べているのは、どちらも この国では古来から崇められている神の名だ。民衆が親しむための名称であり、儀式でしか口にしてはならない真名ではないものの、神の名に間違いない。


 つまり、彼女は神の力を魔法に降ろしている。


「……殿下、どうしましょうか。近衛を呼びますか?」

「いや、まず、見極める」


 尖塔の一室とはいえ、ここは王城。

 そして、存在を認められていないとはいえ、王子の私室である。


「本当に、御免なさい。ちょっと目測を誤ったみたいで。私、マリシュカ・メジェリと言います。偉大なる魔女ゲルトルードの弟子です!」

 二人の警戒心に気づいているのかいないのか、にこにこと笑顔を保ったまま、彼女は身を明かした。


 王国の北西に聳える霊峰トルグァ。そこに、隻腕でありながら魔剣を振るい、国内随一の魔力を持つと巷間にその名を轟かせている魔女が住んでいる。凄まじいほどの魔法の使い手というが、世間の評判は寧ろいい。難病の子どもを快癒させたり、旱魃だろうが長雨だろうが作物を保護したり、人里を襲った竜巻を消したりといった善行が国中に知られていて、まさしく〝偉大な魔女〟という存在なのだ。


「王城に来るつもりはなかったんですけど……お師匠さま、ここ、嫌いだから……ああまた叱られる」

 急に眉を下げて、水たまりに落ちた仔猫のような表情をしたマリシュカに、ようやっとキンガが声をあげた。どうやら、この騒ぎに気づいたらしい。


「まあ! 偉大なる魔女さまの、お弟子さまですって⁉︎ それは大変。殿下、お茶をご用意しなくては。わたくし急いで行って参ります」

 返事も待たずに部屋を出ていくキンガにペーテルは声をかけたが、彼女の主人あるじである彼は止めなかった。だが、年老いても侍女である。キンガは扉の前で主人に一礼するのを忘れず、足音も立てずに一番近い給湯所へ向かった。

「……いいんですか」

 ペーテルの問いかけに、主人あるじは眉を動かすのみだった。


「あの、お茶の用意をしてもらうことになってしまっていて申し訳ないんですけど、そろそろ、私、失礼したいです」


 呑気な言葉を少女が告げるのを、ペーテルは不思議そうに見つめた。


「え? 君って魔女なんでしょ? 魔法で出ればいいんじゃない」

「あ、じゃあ、んですね。この部屋、魔力遮蔽の術が使われていて、魔法が室内にしか及ばないんです。ふつうに歩いて扉から出ないと、無理ですね。あ、しかも、変な条件つきだ。なにこれ?」

「ここに来たのは本当に目的外のことなのか」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る