第14話 コマ、コマッ!

 翌日2018年8月9日。いよいよ今回の旅のメイン、高地の湖へ向けて出発するという日。ホテルの玄関前で待っている車に乗ろうとしたところで、クラッと来た。それからしばらくして、デコボコ道を車椅子に載せられて病院らしき建物に運ばれた気がする。また、病院のトイレが水浸しで、とても嫌な思いをしたことだけ少し覚えている。

 妻によると、私はいったんホテルに戻り、次の日に入院したというのだが、次に気がついたときは病院のベットだったから、詳しいことは分からない。入院が決まったのは、その翌日、すなわち2018年8月10日で、明らかに容体がおかしかったからだという。ガイドが病院へ運んだほうがよい、と言ったらしい。標高3000メートルこの街レーでは、外国人が倒れるのは珍しくない。いわゆる高山病である。だから、ガイドも医師たちも、てっきりそれだと思ったようだ。だから病院では、血中酸素濃度を測ったり、血圧を測ったりしたらしいのだがそのへんは異常なし。そうこうしているうちに、私がぜんぜん関係のない仕事の話を始めたり、しまいには何も言わなくなってしまって、待合室で大騒ぎになった。医師や看護師たちが現地語で「コマッ」「コマッ」と叫び始めたという。「コマ」は昏睡状態という意味。しかも原因が分からない。だから、助けようがない、妻は覚悟しろと言われた。

 夕方になって、血液検査の結果が出て、昏睡の原因が判明した。あとで聞いた話ではあるが、私の血圧や血中酸素濃度その他は以上なしだったが、血糖値が600の目盛りを振り切っていたというのだ。たぶん、すぐにインスリンが投与がされたのだと思う。このとき、妻もガイドも何度もホテルと病院を行き来して、あちこち連絡してたいへんだったようだが、深夜になってようやく、命は取り留めたと告げられたという。

 私が意識を取り戻したのは、その次の昼ごろだと思う。すなわち2018年8月11日か。

自分が倒れて運ばれたのだ、ということは何となく分かった。病院にいたから。そして、倒れる瞬間のふらふらっとしたのも覚えていたから。ただ、意識は朦朧としていて、気づいたらチン○にカテーテルがささっていたので、「インド人め、俺のチン○をシシカバブにして食おうとしてる」と本気で思って、その後はまた眠りに落ちたためよく覚えていないのだが、妻によるとそれを引っこ抜こうとしたり、点滴の管を引っ張ったりしてさんざん暴れたらしい。そのとき着ていた紫色の私のお気に入りのフリースのトレーナーは、帰国後洗濯しようとしたら確かに血だらけになっていたので、暴れたのは本当だと思う。

 しっかりと目覚めたのはさらに翌日の2018年8月12日、薄暗かったので夕方か夜だ。まず、腹が減ったと思った。でも、その田舎の病院では、食事は出ないということだった。固形物はともかく、牛乳が飲みたい。でも、このあたりには自動販売機はもちろん売店すら無いという。車椅子で運ばれた日の記憶でも、ただガラガラと石ころがあるばかりの道で、病院以外には建物が無かった気がする。妻は、ホテルに戻ってはガイドと交代で食事をしていたようだが、ホテルの近所にも店はないという。どうしても牛乳が飲みたいという私に、看護師さんが自分の持っていた牛乳を分けてくれたり、隣で入院していたインド人がバナナをくれたりしたらしいが、このへんの記憶は曖昧だ。ただ、もうとにかく帰国したかった。日本に帰りたい・・・それだけだった。

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