第7話 それでも医者には行かない
普通なら間違いなく病院へ行くところであるが、先に書いた通り私は病院を信用していなかった。特に糖尿病については、当時(今も?)糖尿病学会の古い治療法であるカロリー制限と、今でこそ誰もが知る言葉となったものの、当時はまだ認知されていない糖質制限という治療法があって、医者によってまったく違うことを主張していた。ネットの情報をもとに本を何冊も取り寄せて研究した結果、そういうことも知ったのだった。
「炭水化物さえとらなければ血糖値は上がらない」という事実を最初に提唱したのは江部先生という町医者の方らしいが、たいへん理にかなった理論だと、私は思った。さらに、ただ炭水化物を避けるという治療法なら、医者に頼るまでもなく自分でもできそうだった。
先にも少し書いたが、もともと私の食生活は健康的なほうだったと思う。朝は野菜を使って麺少なめのパスタを毎朝作り、抜いたことはなかった。(だから、パスタは百種類くらい作れる。)昼は職場の食堂を利用していたが、この食堂は自分で選ぶのではなく、栄養士が考えたものが日替わりで決められて提供されていたから、栄養バランスについては間違いない。しかも、食堂では専属の料理人が手作りしていたから、コンビニ飯なんかよりずっと身体に良いはずだった。おいしくはなかったけど。そして、夜はほぼ毎日刺身。理由は日本酒に合うのが刺身だから。今思っても病気になるような食生活とは言えまい。唯一、酒を除いては・・・。
ビールより、ワインより、以前の私が好んだのは日本酒だった。特に甘口の、いわゆる純米酒、大吟醸と言われるやつで、米を削って芯だけで作ったような高級酒をガブガブ飲んだ。髙木酒造の十四代、新政の六号酵母で醸造したものなど、冷蔵庫には常に一升瓶があった。もちろん、そんな高い酒ばかり飲むわけにいかないから、安くて美味いものを探した。手近に買える日本酒で唯一うまいと思ったのは、菊水酒造の「ふなぐち」だった。酒屋で缶(ふなぐちは180ミリリットル缶で提供されていた)の底の製造年を確認して、それをわざわざ冷蔵庫で長期保存してエイジングさせたりと、かなり気合が入った飲み方もしていた。ただ、大吟醸だろうが醸造酒だろうが、日本酒というのは糖化した米の汁を発酵させるのだから、言わばほぼ砂糖水である。今思えば糖尿病の片棒を担いだのは、こいつらだと思ってほぼ間違いない。肝臓は壊れなかったが、先に膵臓が壊れたということだ。
当然周りにも酒飲みの友人がいて、「酒は現地で飲むにかぎる」と、連れ立って日本中を旅して造り酒屋を訪れた。絞りたての新酒を一升瓶で買い、酒蔵の裏手へまわって、日本酒を輸送するためのプラケースを裏返して椅子とテープルをこしらえ、そこで空ける。時には蚊に食われながら。また、時には冷たい雨に打たれながら。何年も何年も、そんな修行を積んでいたのだ。
話をもとに戻すが、これほどの日本酒好きが、糖質を制限するために禁酒することは意外と簡単だった。いや、正確には禁酒ではなく禁日本酒でよいのだから。江部先生の本にもあったが、血糖値を上げるのは醸造酒であり、いったん蒸発させてアルコールだけを取り出す蒸留酒はそういう悪さをしない。糖尿病学会の昔ながらの治療法では酒は御法度だが、江部先生によると糖分を含まない焼酎や蒸留酒ならばオーケーだったのだ。
というわけで、私の酒は、蒸留酒の一つであるウィスキーに変わった。このへんについては後述するが、これも少し度を過ぎていたのかもしれない。
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