第4話 通院がわりに図書館へ

 それから数年後、デジタルカメラというものが世の中に出始めた。写真を生業とする私にとって、それはとても興味深いもので、まもなく中古でミノルタのDIMARGE Vという35万画素のカメラを手に入れた。定価は8万、1997年に売り出されたものだった。画質は今思えば最低であるが、デジタルカメラが嬉しくて、どこに行くにも胸にぶら下げていた。

 そしておそらく1998年の冬だったと思う。これも当時流行りのショートスキーというもので新潟県のスキー場へ行き、新雪に突っ込んで見事に前転した。社会人2度目の悲劇である。

 前転してきれいに転がればよかったのかもしれないが、私はうつ伏せ顔から勢いよく雪原に倒れ込んだ。そして、ぶら下げていたDIMARGE Vが私の胸部を直撃。この時、息ができなくなるほどの激痛が、胸から背中まで走った。しばらく動けず、なんとか無線機のハンドマイクを握って仲間を呼んだ。スマホどころか、携帯もまだ無い頃の話なのでるある。その後、助け起こされて車に乗ったが、息をすると背中に激痛が走る。背中・・・?胸を強打したのに???

 痛みをこらえてなんとか帰宅した私は、翌日病院ではなく図書館へ向かった。人体図鑑で骨格標本を確認したかったのだ。

 私は自分で触診しながら「一番下のあばら2本ずつは胸骨にくっついてない。ということは、その上の2、3本の肋骨が押されて、背骨との間で外れたか、あるいは折れたか、だな。うーん、これはまずいぞ。」

 ここでも多くの方は「すぐ病院へ」と思うに違いない。いや、実際妻にも仲間にも言われた。しかし、前回の右肘骨折のことを思うと、下手に病院へ行って切り刻まれるわけにはいかなかった。ある本によれば、病院というところはベッドが空いていればそれを埋めるために余計な入院をさせたがるし、外科の医師はとにかく切りたがる、ということだ。それは以前実際に体験したことだったから、このような話を聞いてますます病院へは行くまいと心に誓っていたのだ。そりゃ、血が吹き出して止まらないとか、目玉が飛び出してブラブラとかなら別だが、肋骨骨折は病院でも安静にしろと言われるだけだそうだし・・・。

 かくして、私は約一ヶ月間、妻に毎日迷惑をかけることになった。激痛のため一人で起き上がれないのである。まず目が覚めたら呻きながらまずうつ伏せ状態になる。そして、妻の手を借りながら腕立て伏せの要領で30分ぐらいかけて少しずつ起きるのだ。

「痛っ。ちょっと待て。ゆっくり。痛い、痛い、痛いっ、ゆっくりって言ってるだろっ。」もう、大騒ぎである。

 さらに恐ろしいのが「咳」だった。「咳」をしたとたん、この世のものとは思えないとんでもない激痛が襲った。「エヘンッグワーーーーッ」「ゴホンウォーーーーッ」となって、脇腹を押さえてかがみ込む。

 それこそ複雑骨折の、かなりの重傷だったのかもしれないのだが、この時もこんな感じで奮闘したものの、約ひと月後にはすっかり治ってしまった。その後、酔っぱらってロフトから落ちたり、スーパーの駐車場で自転車に乗りながらよそ見をしていて車輪が車止めに引っかかって大転倒したり、温泉に入ろうとして洗面器を持ったまま滑って転んだり、振り向いた同僚の肘が私の脇にエルボーをくらわしてパキッといったり、肋骨については4、5回やったが、いずれも約1カ月で治った。

 「だから絶対に病院なんか行くものか。」

 その後、病院否定、医者否定の本が流行り始め、『医者に殺されない47の心得』『だまされないためのオクスリガイド』とか、私はそういうのを好んで購入し、読めば読むほど自分が正しかったと思うようになった。何の疑問も持たず毎年健康診断を受けている同僚は、私に向かって「何で君は受けないの?」と問うたが、私には彼らが医者に騙されている哀れな人たちにしか見えなかった。「朝飯抜いてサ、バリウムとかいう金属飲んでサ、放射線浴びてって、そんなこと毎年やってたら、間違いなくオマエら癌になるから。病院や医者の思う壺だよ」とまでは口にしなかったが。

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